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歴史 中学生

明日、授業あるので至急お願いしたいです🙏 中2.歴史の世界史?なのですが、出来るだけピンクの文字を答えにして、一問一答を作っていただきたいです。 ピンクの全ての文字を使ってほしいです。 よろしくお願いします🙇‍♀️⤵️

4章-1節-3 産業革命と資本主義の成立 ( P.152~153) (1) イギリスの産業革命 ┗手工業から機械工業への変化とそれに伴う社会の変化。 産業面の近代化 ○背景・・・ 17世紀、インドから(カットが輸入され人気を集めた。 ①18 世紀: イギリスで産業革命がはじまる。 . ・綿織物工業の分野で新しい機械の発明が相次いだ。 蒸気 E GERA 京丸を改良。 (蒸気機関とは、蒸気のエネルギーを機械的な仕事に変換する装置) 19世紀には、米の(フルトン)がく蒸気 蒸気口)を実用化。 英の(スティーブンソン)が( 蒸気機関車を実用化。 ・また、ワットが ( (③3) 資本主義)が L工場を経営する(資本家)が(労働者)を 雇って商品を生産し、利益を得る経済のしくみ。 産業革命の後で本格的に成立した。 ③ 産業革命の広まり ・19世紀半ばまで…(フランス、ドイツ、アメリカ)で開始。 ・19世紀後半~末…(ロシア)(日本) (2) 資本主義の問題点 ① 資本主義の問題点 資本家と労働者間の 貧富の格差 労働問題 (長時間労働、 児童労働、 劣悪な労働環境など) 労働者は自分たちの生活と権利を守るため(労働組合を結成。 くみあい ② 社会主義思想の登場・・・・ 資本主義の問題を解決し、平等な社会をめざす考え。 ・マルス) [ドイツ、1818~83] … ②の代表的思想家。 資本主義の問題の根本は、工場や土地を個人が私有する点にあると主張。 土地や工場を社会で共有すべきだ、 労働者が団結して武力で資本家を倒し、資本家の いない平等な理想社会を作るべきだと説いた。 主著『 共産党宣言 きょうさんどうせんげん ・19世紀半ば以降、 社会主義思想は世界中で大きな影響力をもつようになっていく ・20世紀、マルクスに学んだレーニンは、社会主義革命をおこし、ソ連をつくる

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現代文 高校生

7、8、10段落目の内容がよくわかりません。例などを挙げてわかりやすい言葉で説明して欲しいです。

ひかる おいずみ 奥泉光 己を放り込む虚構 人が生まれ育った場所を故郷と呼ぶのなら、 庄内は必ずしもぼくの故郷とは言えないだろう。 生まれたのはた しかに山形県ではあるけれど、一年も経たぬうちに両親ともども東京に移ってしまったからである。とはいえ母 の実家である、広々とした水田に点在する集落の家には、祖母と曾祖母が残って、毎年夏には必ず帰省して庄内 平野の穏やかな風光のなかに長い時間を過ごした。 ② 子どもにとって夏休みはそれだけでもう心弾む出来事であるが、ぼくにはさらに田舎での数週間という贈り物 があったわけである。 すばやく身を翻し水底の泥に隠れるドジョウ、草いきれのなか息を殺して浮標を見つめた 用水路での魚釣り、蚊帳に置かれてあわく明滅する蛍、サエギるもののない広い夜空に横たわる銀河、集落のは ずれから繰り返し眺めた月山の姿――。 これら子ども時分の貴重な記憶の数々は、一昨年に書いた「三つ目の鯰」 という作品となって一部結晶したのであるが、要するに大人になるまでのぼくにとっては、庄内はただ心楽しく エキサイティングな冒険の場所にすぎなかった。 ○筆 ③ 故郷という言葉とともに山形の家のことを考え始めたのは、三十歳に近くなってから、小説を書き始めたころ のことである。 ④ ひとつのきっかけは父の死である。葬式が終わり、田んぼの真ん中の墓地で、白木の箱から父の骨灰を墓の底 にばらばらとまいたとき、かつてない不思議に甘美な気分にぼくは捉えられた。それはどうやら自分もいずれ死 ねばこうなるのだとの思いであるらしく、そう思って周囲を見回してみれば、五月の水田は湖沼のように陽光を 映して輝き、月山と鳥海山が蒼くくっきりとした稜線を鮮やかにして墓地を遠くから見つめている。雲雀のさえ ずりが空の高いところできこえた。 ⑤ 自分の死に場所にここは悪くない。そのような声が、 「故郷」という言葉とともに、初夏の平野をぼんやりと眺 めるぼくの心に、静かに立ちのぼってきたのである。 ⑥ 「故郷」とは言うまでもなく近代に発明されたひとつの虚構である。都会での生活スタイルが確立されるにつれ 生じてきた、だれとも連帯せずに浮遊している人の孤独感、あるいは根を断たれているとの不安感が、 温かく己 を包み込んでくれる母胎のごときものとして、己の魂が穏やかに回帰すべき場所として、遠い憧れの地境として、 「故郷」のイメージを文学的に創造した。故郷の山河といった場合、山や河自体は当然昔からそこにあったはずだ けれど、それらが懐かしい風景として思い描かれるにいたったのは、明治以降の文学がそのように描いてきたか らである。 ⑦ たとえば柳田国男の「常民」概念をここであげるなら、それが現実に生きてある人々を具体的にさすのではなく、 失われた何かを回復せんとする柳田のロマン派的文学の心情が作り出した虚構であることは、数多くの批評家が 指摘するとおりである。「常民」とは都会にある者の眼に映った、 「故郷」に棲む人間の幻像である。 一方では、少なくとも近世以来、西欧的な都市団体をもたなかったわが国では、都会の生活者といえども地縁 血縁のしがらみからは逃れがたく、そうしたしがらみの象徴としての意味をもまた「故郷」は担うことになった。 かくして故郷は両義的であり、だからこそ遠くにありて想うものなのである。 ⑨ 虚構である「故郷」はつまり選びとられるものである。選んだおぼえなどないという人にしても、無意識のうち にそうしているのであり、人生の節目のあるとき、ここがやはり私の故郷なのだと、感慨にとらえられつつ風景 に良をやった記憶がだれにも必ずあるはずである。 ⑩ 虚構をこととする作家であるなら、当然この選択にはジカク的である。作家は「故郷」を発見する。たとえば中 上健次にとっての紀州がそうである。むろん作家は故郷にアンジュウしたり、ただ感傷にひたるために故郷を選 ぶのではない。何らかのかたちで「私」を問題にせざるをえない近代小説の伝統のなかで、 己自身をひとつの虚構 に放り込むことで、多様な物語を「私」の内部に導き入れようと作家は企むのである。 ⑩ ひとりの作家であるぼくは、庄内を自分の「故郷」として選んだ。 これから小説を書き進めていくなかで、ぼく の「故郷」は途切れることなく、創造の活力を与え続けてくれるだろう。 32 [⑧] ① 14 筆る 2-1 5-3 7~6

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世界史 高校生

右上の黒い太字「国王も開戦して勝てば....オーストリアに対して宣戦しました」のところについて質問です。 せっかく革命を起こそうとしているのに、国王が勝って王の威信が高まったり、負けて革命が終わったりしたら、革命という目的が達成されませんよね? なぜオーストリアに宣戦したの... 続きを読む

ブルジョワジーの政治参加が認められ,貧しい人びとの政治 つまり「身分による差別(支配) から財産による差別 (支配)」に 参加は、相変わらず認められなかったからです)。 50 移ったことで,一番利益を得たのはブルジョワジーだったというこ とですね。 あら そして、国民議会は憲法制定の仕事を終えて解散し,新たに立法 議会 (1791年10月~92年9月) が招集されました。 りっけん この時代の初期は、立憲君主政を主張する勢力が力を握っていま したが、徐々に共和政勢力(特にジロンド派)が台頭してきます。 ○立法議会でのおもな政治勢力 フイヤン派・・・・・・貴族階級出身者が多く, 立憲君主政を唱えました。 ジロンド派・ブルジョワジーの利害を代表し, 穏健な共和政を主 張しました。 さんがく は ジャコバン派 (山岳派)・・・・・・ 民衆 (小ブルジョワジー・貧困層・農民 など)の利害を代表し,急進的な共和政を主張しました。 しゅうどういん *少しややこしいのですが,ジャコバン派とはジャコバン修道院に拠点をお いた政治グループのことをいいます。 このなかには最初ジロンド派も含ま れていました。しかし1792年夏以降,そのジャコバン派のなかの急進的な グループが主導権を握り, 穏健なグループは去ったので, ジャコバン派と いうと急進的なグループのことだけを意味することが多いのですね。急進 的なジャコバン派については、むしろその別名である山岳派を使った方が よいのでしょうね。 なお、 山岳派とは過激なジャコバン派グループが、議 会の高い場所に議席を占めていたことが, 呼び名のもととなりました。 さんがくは ●対外戦争の開始 革命が進むにつれて,さらにさまざまな問題が起こってきました。 国内的には,物価上昇や食料不足に対する激しい民衆暴動が起 38 近代ヨーロッパ・アメリカ世界の成立 (3) こったことや、絶対王政に戻そうとする王党派グループによって, 地方での暴動が起こされたことでした。 かんしょう おど また、対外的には, ピルニッツ宣言にも見られたような、外国勢 力からの厳しい武力干渉の脅しがなされたことでした。 当時のジロンド派内閣はこのような危機を乗り切るために,また いしん 国王も開戦して勝てば王の威信が高まるし, 負ければ革命が失敗に 終わるとの計算から, オーストリアに対して宣戦しました。その結 果はというと, オーストリア・プロイセン軍が国境付近に侵入し、 ひん フランスの国土や革命そのものまでが危機に瀕してしまいました。 そんななかでフランスのナショナリズムが高まり. 義勇軍が各 ぎゅうぐん で組織されました。 フランスのナショナリズムが高まったとは, ういうことでしょう? この場合は、自分がフランス人 (国民)で るという強い自覚 (国民意識) が生まれたということですね。この とはとても重要なことなので,もう少し説明を続けます。 皆さんは,フランス人は昔から自分たちのことをフランス人だ 自覚していたと思いますか? 実はそうではないのですね。彼ら むしろ自分のことを,パリ出身者だとか,ブルゴーニュ地方の とか思っていたのです。しかし、自分の住んでいるフランスで が起こり,それをまわりの国々が押し潰そうとしていることに ついた時、彼らは自分たちのことを,狭くどこどこ地方の人間 いうより,この革命を行いつつあるフランスという国の国民な という, 強い自覚を持つようになってきたのです。 つぶ とら くろふね ばくまつ *同じように,日本人が自分たちのことを日本人だというふうに捉え になったのは、黒船が来航して圧迫を加えてきた、幕末以降のこと われていますね。 3 フランス革

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現代文 高校生

答えがエで私はウを選んだのですが、ウではなくなぜエが正解なのか教えて下さい! 確かに1文目に似た様なことは書いてありますが、「作り上げた」の主語には「日本人」も必要な気がするのですが…

あ こんどう 日本人は木とともに文化を作りあげてきた。日本列島の山々は木々に覆われ、緑にあふれた風景が広 がっているが、これらの森林のめぐみを享受することで、木の文化ははぐくまれてきたといっても過言で はない。世界最古の木造建築である法隆寺金堂をはじめ、前近代の建物のほとんどが木で造られてきたこ とはその証しのひとつといえる。また、木とともに歩んだ長い歴史のなかで、 身近な生活道具から美術工 芸品に至るまで、木を扱う深い知識と高い技術を蓄積してきており、世界に誇るべき日本の文化である。 いっぽうで現代の日本、とくに都市部では鉄やコンクリートのビルやマンションが林立し、人びとは屋 外を見るにもガラスの窓越し、室内を見わたしてもプラスチック製品に囲まれ、化学センイの衣服を身に まとっている。日常生活と森や木との距離が離れているため、森林のめぐみを実感しにくいかもしれな い。とはいえ、春にはサクラ、秋にはモミジと、木々の告げる季節の移ろいは私たちの感性に息づいてい る。言葉をみても、ちぐはぐな状態を「 A 」と表現したり、ハレの舞台を「檜舞台」 といったり する。このように木々は今なお生活のなかに溶け込んでおり、単なる物質的な存在意義を超越して、日本 の文化に深く根付いているのである。 日本では木々に限らず、そこに生きる動植物、落葉、 山菜に至るまで、森林のめぐみを享受してきた。 保水・防風・気象緩和機能など、森林は人間に適した環境を構築する一翼を担っており、目 にみえない恩恵は計り知れない。陰に日向に、森や木は生活に密着した存在であり続けているのである。 洋の東西を問わず、 人類が森林のめぐみを享受してきたことは間違いない。 「木の文化」 の東洋に対して、「石の文化」の西洋と対比的に語られることも少なくないが、実は西洋においても木材 は各所で用いられている(ヨアヒム・ラートカウ『木材と文明』)。奇しくも二〇一九年四月の火災によっ て、パリのノートルダム大聖堂の屋根が木造であったことが広く知られるようになったが、 軽くて丈夫 で、さらに加工しやすい木材は建材として重宝されたのである。これは特殊な事例ではなく、北欧、東 欧、スペイン・フランス境のバスク地方など、ヨーロッパ各地に伝統的な木造軸組構法の建築物が現代に も数多く受け継がれている。 なかにはバスク地方の一部の木造教会のように、木を用いながらも石造のよ うにみせた建築も点在している。 そこでは石の目まで精巧に描いて柱を大理石にみせたり、石の継ぎ目を 表現して石造の尖塔アーチのようにみせたりしており、その技法や熱意は驚愕に値する。 木目の美しさや 温もりなどを活かす日本では思いもよらない独特の嗜好性を示しており、興味深い。 また建築に限らず、 酒樽や家具などの生活用具をはじめ、大航海時代に大海原を駆けた帆船も木造で P

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