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現代文 高校生

現代文が得意な方に質問です。 これはある専門学校の過去問の一部なのですがわからないところがあったので質問します。 問1 傍線部1の「てんで」は直接下のどの語句にかかっているか。本文中の語句を抜き出して書きなさい

次の文章を読んで、後の間いに答えなさい。(句読点は文字に数える) 男の人はてんで箱なんかのことで気を動かされることはないようだが、女はどういうもの一 が箱というと、え?とふりかえる。傾きがある。A_男の人だって、美術品として価値一 のあるものなら、ほほうと言うかもしれないし、純金に宝石をちりばめたのなどなら、また 別の味を持つかもしれない。画島さんの王手箱以来、男は箱に心都かれなくなったのだろ か。とにかく箱のことなど、男の人が言っているのを聞いたことはない。 女は小さな子供でも箱に反応を示す。チョコレートやビスケットの箱は、きれいな彩色や 絶がついているが、それをほしがるのである。そして予約する智慧をもっているから繋く。 「それ、からっぽになったら、あたしに頂敵ね」と言う。外側の箱もほしいが、箱におとら ヤ中身ももゃんとゾンチョウしているから、中身の存在しているうちは、最高。ゲンイをも つ に保管をゆだねておくのが“羽当だと了解しているのだろう。 入みチのも美しい風景がついていたものだ。あんな薄っぺらな箱などしようがないの一 お予供のときにはほしくてたまちなかった。いまでもきれいなハンケチの箱を焚きつけ にするとき、なにか利用法はないかなどと家人へ園いてまわって笑われる。笑うくせにその *人たちが、お菓子のポール羅やアイスクリームのおみやげ箱に“貯蓄精神を発揮する。杉折」 日河夜返しの戦節が入ってくる商絵箱ともなれば、老者を問わず希望者はずら Pある。どうしてこんなにみんな細が好きなのだろう。あれを入れるのに必要だからとい うならわかるが、入れるもののあてもないのに、C あまりきれいでもない箱なのに、燃 してい明するのは初体ないと、味に批盤されるのである。 44というのはこんなに女たちに愛きれているのにもかかわらず、なかなかびたりと物

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世界史 高校生

Ⅰ〜Ⅴの説明文に合う王朝はそれぞれ、これで合っていますか? またその王朝に合う地図の位置もこれで合っていますか? 語彙力なくてすみません💦🙇‍♀️ 教えていただけると助かります🙇‍♀️ よろしくお願いします!🙇‍♀️

大月氏の支配を脱したイラン系民族が建てた王朝である。2世紀中ごろの カニシカ王は、、都を(1)に定めた。①ガンダーラ美術と呼ばれる仏教 美術が栄えた。3世紀になるとササン朝ペルシアの圧迫を受け、この王朝 は衰亡した。 I 1世紀ごろから活発化した ②季節風を利用したインド洋交易で栄えたの がこの王朝である。インドからは地中海世界に香辛料が大量に輸出された。 この王朝の南には、同じく海上交易を基盤として、チョーラ朝やパーンデ ィヤ朝が海上交易を基礎として長く続き、先住民であるドラヴィダ系のタ ミル語の文化が栄えた。 II この王朝は4世紀前半にガンジス川流域を中心におこり、第3代の(2) の時に、最盛期を迎えた。この王朝のもとで、バラモン教と民間信仰が融 合し、万能の主宰者である(3)と、破壊と創造の神シヴァ神を主神とす る、インド独自の宗教である (4) の基礎が確立した。また、この時代に、 古くから伝承されていた『マハーバーラタ』と『(5)』の二大叙事詩が まとめられ、文学では(6)語の文学がさかんになった。詩人カーリダー サが『シャクンタラー』を著したのも、この時代である。 II IV 前4世紀終わりごろ、 東進してきたアレクサンドロスの軍がインダス川を 渡ったのが一つの契機となって、武将のチャンドラグプタが建てたのが、 この王朝である。第3代 ③アショーカ王の時に帝国は最大となった。 V 7世紀前半にハルシャ=ヴァルダナによって統一された。唐の僧、 玄装が インドを訪れ、 仏教教学の中心である(7)僧院で学んだのは、この時代 である。しかし、彼の死とともにこの王朝は滅亡し、以後北インドでは地 方王国が分立した。

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世界史 高校生

世界史 インド・東南アジア 【至急】提出する課題です!空欄で出してはいけないのですが答えが分からないところがたくさんあって、教えていただけないでしょうか。 量が多くて申し訳ありません。よろしくお願いします🙇‍♂️

インダス川中流域の(10) 地方を中心に展開したインド最古の文明インダス文明は、 インダス中流域の(1②) や下流域の(1③)が代表的な遺跡である。 バラモン教の根本聖典は(20)人が神々を賛美した賛歌集である。このうちインド 最古で、『アヴェスター』との共通性が見られる聖典が『(2②)』である。 ヴァルナの第2位に位置する階層(3①) は武士·貴族階層で、主に政治·軍事を担 当し、仏教を創始した(3@) やジャイナ教を創始した(3③)の出身階層である。 4 ヴァルナの第3位に位置する階層(4①) は一般農民·商人階層で、主に生産·商業 活動を担当した。また、第4位に位置する階層 (4②) は征服された(4③) 系で、主 に隷属農民として扱われた。 (50)朝の創始者(5②)は、アレクサンドロス大王の侵入に乗じて(5③) 朝を 打倒した。さらにギリシア人勢力を駆逐して西北インド·アフガニスタンを統一した(5 の朝は中国では「華氏城」の名で知られる(5@)に都を置いた。 6 インド統一をほぼ達成した(50)朝第 3代(6①) 王は、(6②) を理想として(6®) を実施し、磨崖碑·石柱碑を残した。王子マヒンダをインド東南部の島(6④) に派遣 1 2 3 5 して仏教を普及させ、 中国では「阿育王」の名で知られる。 (70)から自立したイラン系 (7②) 族は、インダス川中流に位置する (7③)を 都として(72)朝を創始した。この王朝は(7④) 王の時期に全盛期を迎えてローマ帝国 と交易を行った。 8 第(80)回仏典結集で(8②) 信仰をもとに(8③) の救済を目指した仏教の一派 (80)は、中央アジアを経由して中国 朝鮮·日本に伝来して広く信仰された。 バラモン出身の仏教学者 (9①)は中国名で(9②)と呼ばれるが、『中論』 を著して (80)の理論を確立した。 10 (72)朝期、(100) 文化の影響を受けたギリシア的要素の濃い美術 (102) 美術が (73)を中心に流行し、インドで (10③) が制作される契機となった。 11 (72)朝と同時期、 デカン高原で (110) 系の人々が(11②) 朝を創始した。この 王朝は海上貿易で栄えてローマ帝国の金貨が流入する一方、 東南アジアへの仏教数伝播に も貢献した。 12 ビハール地方で台頭して勢力を拡大し、 ガンジス川中流域を征服した (12①) は(5 の)に都を置き(12②) 朝を創始した。最盛期の(12③) の治世で (12④) 文学が 栄えたこの王朝の下では、 仏教学院 (12⑤) も建立された。 その後、(12⑥) の侵入 を受け衰退した。 13(122)朝期、 北インドでは (13①) に各地の民間信仰が融合して (13②) が成立し た。この新宗教は (13③)· (13④) を中心とする多神教で、(1 3⑤) を神聖視し、 『(136)』『(13⑦)』『(13③)』にその教えがまとめられた。 7 9

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