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政治・経済 高校生

3の②では公聴会は義務ではないと書いてあるのに対し、5の④では開かないといけないのですか? よろしくお願いします🙇返信明日の夜になります。すみません。

る。 3 国会についての記述として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 ① 国会において憲法の規定に基づき内閣不信任決議案が可決された場合、 内閣は総辞職か衆議院の解散か を選択することになる。 ② 国会に設置されている委員会は、法律案の審議のために公聴会の開催が義務づけられている。 ③ 国会は弾劾裁判所を設置する権限を有しており, 弾劾裁判によって国務大臣を罷免することができる。 ④ 国会の憲法審査会は、法律や命令が憲法に違反するかしないかを決定するために設置されている <2017 本試〉 4 国会の議員に認められている日本国憲法上の地位についての記述として誤っているものを、次の①~④ のうちから一つ選べ。 ①法律の定める場合を除いて、 国会の会期中逮捕されない。 ②議院内で行った演説について,議院外で責任を問われない。 ③法律の定めるところにより, 国庫から相当額の歳費を受ける。 ④議員を除名するには、弾劾裁判所の裁判が必要となる。 <2009 本試〉 日本では委員会での審議を重視した議案処理の仕組みを委員会制度というが、この制度についての記述と して正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。 ①委員会制度は,すでに明治憲法の下で導入されていた ②法律案は、特別な事情のない限り. 常任委員会に付託される。 ③特別委員会は,必要に応じて設置され, 同一会期中は廃止できない。 ④予算委員会は,当初予算の審議に際して必ずしも公聴会を開く必要はない。 <2007.追試 >

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国語 中学生

なぜこの答えだとダメなのか教えて欲しいです

「裸足で薊を踏んづける!」 少年時代、よく友達と遊んでいた原っぱの片隅に、美しい紫色の花の一群がありました。かなりの丈がある濃い緑色の 茎の先端に細い筒状の花びらがふわふわと広がっていて、それが春の風に揺れるのです。うまくすると、花の周囲を舞 アゲハチョウを捕まえることもできました。ただ、下手に触れるととげが刺さって、痛い思いをしたものです。 やがて、その花がアザミとよばれていることを私は知りました。漢字で書いたらどうなるのだろう。そう思って、花の 姿や名前の音にふさわしい文字の組み合わせを考えてみたのですが、なかなかうまくいかず、アザミはその後も、頭の中 片仮名の花として咲いていました。 ところが、ある日、それが「薊」という漢字になって、心に刻まれることになったのです。小学校を卒業した直後の春 休みだったでしょうか、町の図書館でたまたま手に取った宮沢賢治の本に、「種山ヶ原」と題された物語が収められてい ました。達二という名の主人公が、逃げ出した牛を山の中まで追っていく場面があって、そこにこんな一節が出てきたの です。 「ところがその道のようなものは、まだ百歩も行かないうちに、オトコエシや、すてきに背高の薊の中で、二つにも三つ にも分かれてしまって、どれがどれやらいっこう分からなくなってしまいました。」 難しい表現は全く使われていません。詩のようにきらびやかな言葉もありません。それなのに、私はこの文章の不思議 な魅力に捕らわれてしまったのです。なぜ心ひかれるのか、最初はよく分かりませんでした。しかし、何度か読み返すう ち、この一文の光が、「すてきに背高の薊」という表現から発せられていることに気づいたのです。 「すてき」も「背高」も、個別には知っていた単語です。けれど、両者を組み合わせて、アザミのような花の上に載せ るなんて、想像したことさえありませんでした。「すばらしく背の高いアザミ」と書いても、意味としては変わらないで しょう。宮沢賢治はそれを短く刈り込んで、言葉に新しい響きを、つまり、これまでにない音楽を生み出してくれたので す。 それから長い時間がたって、高校生になったばかりの頃、私は再び書物の中で、漢字の「薊」に出会うことになりまし た。梶井基次郎の「闇の絵巻」と題された短編を読んだときのことです。真っ暗な闇の中に一歩を踏み出す勇気を、主人 はこんなたとえで表現していました。 私は呆然としました。裸足で薊を踏んづけるほどの勇気とは! 宮沢賢治の作品を通じて、アザミは明るい光の中では っきり目に見える紫色の、「すてきに背高の」、明るい陽のもとで映える花として心に刻まれていました。梶井基次郎は、 そこにもう一つ、まるで正反対の、闇に沈んだ見えない「薊」というイメージを付け加えてくれたのです。その見えない 色の、なんと鮮やかなことでしょう。おまけに、とげを踏み抜いた足の裏の感触まで生々しく伝わってくるようです。 少年の頃に私が見ていた野の花としてのアザミは、優れた二人の書き手の作品のおかげで、明と暗を持つ、言葉として の「薊」になりました。異なる文脈で出会ったことによって、「薊」は私の心の中で、より豊かな花に育っていったので す。 興味深いのは、言葉としての「薊」の色が深まるにつれて、原っぱに咲いている本物の「アザミ」も美しさを増してい ったことです。つまり、二つの「薊」は、世界の見方を変えてくれたのです。本を読み、言葉に触れ、言葉を育てていく 喜びは、こんなふうに、見慣れていた光景に新しい光が当てられる様子を、驚きをもって眺めることにあるのではないで しょうか。(「二つのアザミ」 堀江敏幸)

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