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物理 高校生

なんで(1)や(2)で有効数字が2桁になるんですか

基本問題 29 30 31 ○小球 ① 基本例題6 水平投射 物理 高さ19.6mのビルの屋上から, 小球を水平に速 さ 14.7m/s で投げ出した。 重力加速度の大きさ を9.8m/s2 として、次の各問に答えよ。 14.7m/s (1) 投げ出してから, 地面に達するまでの時間 を求めよ。 濃度を 解説動画 基本問題39 x 第 No. 力学Ⅰ Date ないので, 「v2=2gy] √2×9.82 =13.8m/s 14 m/s 落とした」 とは 初 床である。 の中にある数値を 37. 19.6= 2=4.0 ある。 t = ±2.0s t0 なので2.0s は解答 に適さない。 したがって 2.0s (2) 小球は,ビルの前方何mの地面に達するか。 (3) 地面に達する直前の小球の速さを求めよ。小の 指針 投げ出した位置を原点とし, 水平右 向きにx軸,鉛直下向きにy軸をとる。 小球の運 動は, x方向では等速直線運動, y方向では自由 落下と同じ運動をする。 解説 (1)地面のy座標は19.6mである から,「y=1/29t2」を用いて、高さはいくらか 1/2×9.8× 地面 (2) 地面に達するまでの2.0秒間, 小球は,水平 方向に速さ 14.7m/sの等速直線運動をする。 29 m x=vxt=14.7×2.0=29.4m/ (3) 鉛直方向の速度の成分 vy は, vy=gt=9.8×2.0=19.6m/s 小球の速さ [m/s] は,水平方向と鉛直方向の 速度を合成し,その大きさとして求められる。 =√ox2+vy^2=√14.72+19.62 (4.9×3)+(4.9×4)=4.9√32+42 [m=4.9×5=24.5m/s 25m/s ( 34, 35, 36,37 ① 基本例題7 斜方投射 物理 Sms.es & 基本問題 40 41 42 Em/s/ 水平な地面から,水平とのなす角が30℃の向きに、 速さ40m/sで小球を打ち上げた。 図のようにx軸, *9.8m/s2 として 40m/s JJ \m 30°(1) x 地面 例

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日本史 高校生

近世の城下町は、大名の居住地や政治的中心という本来の機能以外にも、機能を有していた。近世の城下町のこうした機能またははたらきについて、本文の記述を参考に、居住区の区切り方、どんな業種の人々が流入し、どんな人々の生活を支えるようになっていったのか、やがて何の拠点になっていたの... 続きを読む

の許可証を のために江戸 唐人屋敷が 地域の窓 とよとみひでよし 近世の城下町, 豊臣秀吉が全国を統 した1590年代から天下が徳川家に移 った1610年代を中心として、日本列島各 地でいっせいに建設された。強大な権力 を手にした武士によって都市計画がなさ れ, 全国で共通する性格を持った都市が ほぼ同時につくられた。 このような出来 事は、世界史レベルでみてもきわめて珍 しいといえる。ここでは信濃国飯田藩 (現在の長野県飯田市)の城下町をみてみ よう。 てんりゅうがわ しなの だんきゅう 飯田城は,天竜川に近い段丘の上に建 くじょうか 設された大規模な城である。 城の西と 北に連続して武家が広がり、 さらに連 ちょうにんち 城下町 ・貿易で れ、 されな 人が 続して町人地がかれた。 これらを取り 囲むように多くの寺院が連なり、武家地 の一部はさらに町人を囲んでいた。そ 近出の城下用) [アイナ パタ20 33 るい の外側には土塁と海がめぐらされ、村との境とな っていた。このような配置は地理上の影響を受け ていたが, 身分に応じて居住地を区切る方法自体 は、近世の城下町に共通している。 飯田にはおそくとも戦国時代に城があり,小規 まちば p.112 はいじょう まつ 飯田 92 鯨団殿下町かれる定期市で商人たちに分配さ られ、彼らは高畑の農村でそれらを売りさばいてい きょてん た。 城下町には民衆相手の商売で財をなした商人 がならび、近世後期には地方文化の拠点ともな った。 模な町場が付属していた可能性もあるが,このよ うな本格的な都市の建設が可能となったのは, 1590年代を中心に, 周辺の村々から大勢の人々が 集まってきたからである。 寺院はいずれも,もと もと周囲の村々に置かれていたのが,この時期に 移転したものである。 町人地についていえば,松 尾町一丁目と知久町一丁目は,それぞれ近くにあ った戦国時代の城 (松尾城, 知久平城) が廃城とな るのにともなって, そこにあった町場が移転した からとみられる。 このほか, 周辺の農村に暮らす 人々のなかから町場に引っ越した者もいたとみら れ、伊勢商人が引っ越してきたとの伝承もある。 このことは,戦国時代までに地域の内外で,商工 業がある程度展開していたことを物語っている。 城下町の商工業は、藩主やその家族、そして家 臣団などの生活をささえることを目的としていた が、周辺の村に暮らす人々の生活もささえた。た とえば、三河国から大量にもたらされる塩や魚が, はんしゅ 現在の地方都市の多くは近世の城下町にルーツ がある。身近な事例をもとに,都市の歴史を探っ てみよう。 ↑1960年の知久町三丁目 (飯田市歴史研究所蔵) 近代以後, 飯田は地元の政治、経済、文化の中心として発展した。

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