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現代文 高校生

文化と文明という言葉について。文化の語彙の説明のところには、物質的、精神的活動と書いてあるのに、隣の理解のための1歩というところを読むと、文化は、精神的、文明は物質的と解釈できます。どういうことなのでしょうか?また、文明の説明に高度な文化を持つことと書いてありますが、文明=... 続きを読む

962 ■ 961 語 文化 文明 「評論文を理解するための重要語 あかち 一歩 理解のための ちが (意味) その社会を構成する人々の、物 質的・精神的活動の結果全体の こと。 世の中が進歩し、生活が便利で 高度な文化をもつこと。 対義 未開 使い方 類似語 じんりょく 郷土の〔文化]遺産の保存に尽力す る。 カルチャー・文明 しん 明治維新以後、西洋〔文明〕が日本 に急激に移入された。 文化 文化と文明は、よく似た感じのする言葉ですが、どう 違うのでしょう。その違いを説明する時によく挙げられ るのは、精神的な面と物質的な面です。 文化は、おもに社会の風習や伝統、価値観といった精 の神的な面において生み出されたものを表す時に使い、時 こうはん い 代も広範囲に渡ります。一方、文明は、おもに経済や技 術が発展する状態を表す時に使い、時代や場所は限定さ れます。文明の使い方にある「西洋文明」は十九世紀 のヨーロッパの機械文明を表します。 精神面と物質面。文化と文明は、人間が幸福で豊かな 生活を送るための車の両輪のようなものでしょうか。 文化 )) 文明

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古文 高校生

二重枠線部Cの用言を正しく活用させると明かしになる理由を教えてください🙇🏻‍♀️

T a~ ゆくへ 花は盛りに、月はくまなきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひたれこめて春の行方知 【確認 【季 くもりがないのだけを見るものであろうか、いやそうではない。 こずゑ 家の中に閉じこもって みどこ らぬも、なほあはれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見所多けれ。歌 やはり ことばがき 情趣の深いことだ。まさに咲きそうな頃の 肩や の詞書にも、「花見にまかれりけるに、早く散り過ぎにければ」とも、「障る事ありてまからで」など 参りましたところ、 かたぶ も書けるは、「花を見て」と言へるに劣れる事かは。花の散り、月の傾くを慕ふならひはさる事なれ もっともなこと 春 劣っているものであろうか、いやそうではない。 どことにかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝散りにけり。今は見所なし」などは言ふめる。 特にものの情趣を解さない人が、 何かはま よろづの事も、始め終はりこそ(をかし)。男女の情けも、ひとへに逢ひ見るをばいふものかは。 言うようである。 おもしろい。 情愛も いちずに いうものであろうか、いやそうではない。 う ちぎ 満月で くも 逢はでやみにし憂さを思ひ、(あだなり)契りをかこち、長き夜をひとり(明かす)、遠き雲井を思ひ 逢わずに終わってしまったつらさを あさぢ はかない宿縁を嘆き、 * やり、浅茅が宿に昔をしのぶこそ、色好むとはいはめ。 浅茅が生えた荒れた住居に昔の恋を懐かしむのが、本当に恋の情趣を解するというのだろう。 もちづき ちさと ほか あかつき 遠く離れた地にいる恋人を 望月のくまなきを千里の外まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、いと心深う、青 遥か遠くまで + ま 待ちわびて出てきた月が、 趣深く、 10 みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたるむら雲隠れのほど、また 木々の間の月の光、さっとしぐれを降らせている一群の雲に隠れた有様などのほ しひしば しらかし なくあはれなり。椎柴・白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心 うが、この上なく あらん友もがなと、都恋しうおぼゆれ。 いたらなあと、 (注) ※詞書…和歌の前書き。主として、その作品の成立事情を書く。 きらめいている月の光は、 (第一三七段) ※色好む…現代語の「色好み」は単に「女(男)あさりをする人」の意で非難めいて用いるが、平安時代は現代語 より意味の範囲が広く、「恋愛の様々な情趣を理解する粋な人」の意でほめ言葉としても用いられた。 いき

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現代文 高校生

写真の文章において、傍線部②と言える理由を説明せよと言う問題の答えに赤マーカーの部分が使われていたのですが、青マーカーのところではダメですか?

3 第八問 次の文章を読んで、後の問に答えよ。 こうかつ むく われわれはなぜ、子どもに対して、純粋とか無垢といったイメージを思い浮か べるのだろうか。現実の子どもたちは、学校や塾での友だち関係や家庭環境のな かで、大人と同じように悩み、そして狡猾に立ち回ったり、ときには思わぬ世知 を発揮したりもする。自分の子ども時代をふりかえっても、ただ無垢な存在で あったとはとうてい思えない。多くの人がそう感じているはずなのに、われわれ が子どもを見るとき、心のどこかで子どもは純真無垢であるという観念が働いて しまい、それはなかなか拭いきれない。子どもを大人とは違った特別な存在と見 るこのような観念は、いったい何に由来するのだろうか。 われわれは誰もが、大人になる前に、子ども時代を経験する。同じ人間であり ながら、年齢によって、人は大人と子どもに区別され、社会生活の多くの局面に n おいて異なった扱いを受ける。今日のわれわれの社会では、幼児期、子ども期、 思春期、青年期、中年期、老年期などさまざまなライフステージの区分があり、 人はそれぞれの年齢段階にふさわしい行動をとるよう社会から期待されている。 それぞれの段階に、法律や制度や慣習による年齢規範や文化規範が存在する。多 年齢は人びとを社会的に区分し編成 56 くの社会学者がシテキしてきたように、 するための非常に大きな原理であり、そのために人のアイデンティティを構成す る要素として重要な意味をもっている。 2 ★ 日本 たとえば、自分の現在について考えるときも、将来を予測するときにも、われ われは自分の年齢とその年齢が持つ社会的な意味あいを コウリョにいれずには いられない。また、見ず知らずの人に会うときでも、相手がどんな世代の人なの 2 かを知っていれば、いくぶんかは予測がつき、心の準備をすることができる。つ まり年齢とは、生物学的な加齢 身体が成長、発達し、やがて衰えるというプ ロセスの一時点をたんに示すものではなく、加齢のプロセスに対して社会が 付与するイメージと深く関わる概念なのである。そしてそのイメージには、それ ぞれの社会の文化や歴史、政治や経済等におけるさまざまな要素が複雑に織り込 まれている。〈大人〉と〈子ども〉の二分法は、そのようにして社会が年齢を基準 に構成メンバーを分ける際のもっとも基本的な区分なのである。 〈大人〉は一人前の社会人としてさまざまな権利や義務をもつが、〈子ども〉は そうではない。〈子ども〉は未熟であり、大人によって社会の荒波から配 発達に応じてそれにふさわしい ひご *せち [出典] かわはらか 河原町 「子 〔著者 ・愛 大

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