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化学 高校生

問3.問4.について解説がないため教えていただきたいです

第六間 次の文章を読み, 間 1~5に答えよ。 [解答番号 20 29 酢酸エチル合成の実験として、以下の操作を順に実施した。 操作1 酢酸 2mL, エタノール2mLおよび 濃硫酸 0.5mL を試験管に入れた ガラス管 ゴム栓 操作2: さらに試験管に沸騰石を入れたのち, 右 図に示す反応装置を用いて, 80℃の水浴 中で5分間加熱した。 水浴 酢酸 エタノール 濃硫酸 (80°C) -沸騰石 操作3 試験管を装置から外し, 十分に冷却した のち、飽和炭酸水素ナトリウム水溶液を 少しずつ加えた。 -バーナー 操作反応液をよく振り混ぜたところ,二層に 分離した。 次に、酢酸エチルと同じ分子式をもつエステルA~Cを用いて, 以下の実験を順に 実施した。 実験1:A~Cを加水分解後,塩酸を加えたところ, AからはDとEが,Bからは EとFが,CからはとHがそれぞれ生成した。 実験2D,FおよびHは中性の化合物で,Dはヨードホルム反応が陽性であった FとHは陰性であった。 実験3Eとは酸性の化合物で,Eにフェーリング液を加え熱したところ,赤色 沈殿を生じた。 18 1 操作1~4において、エタノールに代えて、 酸素原子が同位体のエタノー ル C2H5OH を用いた場合,下記の反応式における生成物 【ア】 および 【イ】 として, 【ア】はA群から, 【イ】はB群から最も適切なものをそれぞれ選べ。

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公民 中学生

公民の授業プリントです。教科書を見ても分からないので空欄を教えてください!

1 法に基づく政治と日本国憲法 市にお金が ないから 整備できない・・・ どろぼうが いるけど どうしよう? 保育園に入れなかった O これらの問題 には、一人の 力で対応でき るだろうか。 交通が不便だ もし政治がなかっ たら, 私たちの生 活はどのようにな るのかな。 自然が 守られていない ◆ もしも政治がなかったら 学習課題 政治はどのようなはたら きをもつでしょうか。 な ぜ私たちの社会に政治が 必要なのでしょうか。 ① 私たちにとっての政治と民主主義 私たちと政治 見方・考え方 対立と合意 民主主義 政治の決定の方法と, 決定に際 して守るべきルールを, 民主主 に着目して理解しましょう。 聖職者 貴族 かけがえのない人生を生きる私たちは, それ ぞれの個性を生かして人間らしく幸せに生き たいと考えています。 しかし, 一人の力には限りがあるために, た がいに協力してともに生きていかなければなりません。 そのために, 人々の意見や利害の対立を調整し、 秩序を守り、私たちの生活をよ りよくするはたらきが必要になります。 このはたらきを政治といい ます。 そして, 政治を行うために, きまり (ルール)を定め、 命令を 強制する力が政治権力です。 5 5 10 かつて国王や貴族等が政治を行っていた時代 民主主義とは せんせい には, 少数の人の意見や利益が優先されるこ とがありました (専制政治)。 しかし、人々がたがいに協力してより 幸せに生活するためには,すべての人が, 自由に意見を述べ, 平等 10 平民 そんちょう に政治に参加し、一人一人が公正に尊重されることが必要です。 ま アクティビティ アク みんなで決めるべきことと決めてはならないこと ①右の図の内容について, みんなで決めるべきこと には○. 決めてはならないことには×を. 空らんに 書きましょう。 ②そう考えた理由は何かを説明してみましょう。 ③みんなで決めるべきことと決めてはならないこと を,以下のa. b.cの視点から考えて出し合った 内容について話し合いましょう。 a 個人の尊重を否定するもの b個人の決定にまかせるべきもの 特定の集団が不当に不利益を受ける こと ③について 表に まとめてみよう。 ○○○の政策には 反対です A 他人のものをぬすんだ 人を処罰すること B 政府に批判的なことを いうのは禁止すること (え? やったこと ない C 政府が国民一人一人の つく職業を決めること みんしゅしゅ 「けんぼう 民主主義といいます。 現在では, 多くの国で民主主義に基づく政治 (民主政治) が行われています。 日本も憲法で、 国民が, 政治のあり 方を最終的に決めること(国民主権)を定めています。 ただ,社会の規模が大きくなり、 複雑な対立を調整することが必 D宗教による食事のきまり のちがいを認めないこと 15 こんなん 要になると, 国民が直接参加して政治を行うことは困難になります。 そのため、現実には、 多くの国で、 国民が選挙で選んだ代表者が議 会に集まり, 議論し、決定するしくみをとっています。 はんえい ►P.74.88 すうけつ しょうすう よりよい 限られた時間のなかで、全員の意見が一致し 民主政治のために ないこともあります。 その場合には, より多 くの人の意見を政治に反映させるために, 多数決の原理に基づいて 決定が行われます。 ただし, 多数決を用いて結論を出す前に, 少数 意見の尊重のために, 十分に議論することが大切です。 一時的な感 情にとらわれてはなりません。 また, 社会の変化や議論の結果, 多 数派は入れかわるかもしれません。 現在は少数意見でも、 将来は多 数意見になっているかもしれないのです。 そして, 多数者の利益の ために, 少数の人たちの権利を不当にうばうことは許されません。 よい民主主義にはさまざまな条件が必要です。 議会が国民の意見 3リンカーンの演説 (1863年 アメリカ) 南北戦争の戦場であるゲティスバーグで、 民 主政治を 「人民の, 人民による, 人民のため の政治」 (government of the people, by the people, for the people) と表現しました。 そもそも国政は、国民の厳 な信託によるものであっ て、その権威は国民に由来し、その 権力は国民の代表者がこれを行使 し、その福利は国民がこれを享受す る。(抜粋) 全日本国憲法前文 資料活用 3リン カーンの演説と. 4日本国憲法前文の似てい ある部分を探してみましょう。 確認 民主主義とは、どのような考え方か、本 文の語句を使って説明しましょう。 絶対王政のころのフランスの風 政治によって、平民は重い 税をかけられ、貴族たちは優雅なくら しをしていました。 た,さまざまな見方や考え方をもつ人たちが議論することにより, よりよい決定を行うことができるようになります。 ぜろん 15 このようにして, みんなのことはみんなで決めるという考え方を を反映した決定を行うためには,私たち一人一人が政治に関心をも ち, 選挙や言論を通じて積極的に参加することが大切です。 5 第2編 私たちの生活と政治

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理科 中学生

理科の問題です‼️‼️ 提出しないと行けないプリントで 教えてください‼️⚠️

結びついた物質を離す反応 ~思考表現編~ ノートプリント No.26 <小話> マグネシウムの酸化について メモ 酸素がくっついたマグネシウムということで 酸化マグネシウムと呼ばれる <1>エタノールを綿にかけ、酸化銅の周りの綿を燃やす。 しばらく燃やした後、火を消さず アルミホイルをかぶせて密閉した。冷めてからアルミを取ると、黒い酸化銅の一部が 赤褐色の銅になっていた。 この原理を考えて、 自分の言葉で説明してみよう。 <2>湯気やお湯に硫黄を含む、 温泉に行った。 温泉から出た後、銀でできたシルバーアクセ が変色してしまっていた。 この原理を考えてみよう。 また、シルバーを元の輝きに戻す方法 を考えてみよう。 (できるだけアクセサリーに傷をつけない形で) <3> 【調べ】自由研究の定番、黒ずんだ10円玉を調味料できれいな色に戻す実験。 酸化銅を 銅にしている (還元している)のだが、 調味料の中の何という成分が還元しているのだろう? <4> 【動画から】 ドライアイスの中で、マグネシウムを燃焼させた。 動画の実験結果から、 どんな ことが言えるだろう。 酸素が結びつきたい相手を考えてみよう。

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数学 高校生

写真のピンクで囲った変形?が、どういうことなのかわかりません。教えてください!よろしくお願いします🙇

35. Go A 例題 19 ユークリッドの互除法の応用 思考プロセス nは2桁の自然数とする。 2つの自然数 6m² + 14n +55 と2m² +4n+17 互いに素ではないとき,この2数の最大公約数を求めよ。 さらに、このよ うなnをすべて求めよ。 « ReAction 素因数分解が容易でない2数の最大公約数は, ユークリッドの互除法を利用せよ 互除法の原理… 2つの自然数a, b に対して,a=bg+r (r≠0) のとき (α ともの最大公約数)=(bとrの最大公約数) 6n2+14n+55=3(2n²+4n+17) + 2n+4 411 (6n2+14n+55と2n² +4n+17の最大公約数)= (2n²+4n+17 と の最大公 2次 2次 2次 1次 次数が下がる 次数を下げる 繰り返すと0次 (整数)になる 解 6m² +14n+55を2m²+4n+17で割ると 例題 9 IA 6m² +14n+55=3(2n²+4n+17)+2n+4 2n²+4n+17を2n+4で割ると 2m² +4n+17=n(2n+4)+17 A=BQ+R の形をつ る。 301 よって, 6m² +14 +55 と 2n² +4n+17 の最大公約数は互除法の原理 2n+4と17の最大公約数と一致する。 ここで, 17 は素数であるから, 2n+4 と 17 の最大公約数 は1または17であるが, 6n² + 14n+55 と 2n² +4n+17 は 互いに素ではないから, 最大公約数は1ではない。 よって, 求める最大公約数は 17 ゆえに, 2n+4は17の倍数である。 ここで, nは2桁の自然数であるから 24≦2n+4 <204 (6m² +14n+55と 2n²+4n+17 の最大公 =(2n²+4n+17 と 2 の最大公約 = (2n+4と17 の最大公約 また, 2n+4は偶数であるから 2n+4=34,68, 102, 136,170 したがって n=15,32,49,66,83 Point...ユークリッドの互除法による多項式の最大公約数の求め方 2つの多項式 A, B の最大公約数を求める手順 ①AをBで割ったときの余りR を求める。 (2) BをR で割ったときの余り R2 を求める。 (3) ②と同様の作業を R が整数となるまで繰り 返す。 その整数 R が求める最大公約数である。 候補を絞り込む nが2桁の自然数 す わち 10≦x<100 である ことから, 2n+4の 得る値の範囲を絞り込む 2n+4=2(n+2) より 2n+4は偶数である。 6n2+14n+55=3(2m²+4n+17)+2n+4 2n²+4n+17=n(2n+4)+17 (0次(整数) 最大公約数は17 +3 習 19 n は 50 以上100以下の自然数とする 2つの白枠数 31 2 12m +76 [と

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現代文 高校生

問9の解説お願いします🙏💦

20 ねばならない。 また、こ (解答番号は、第二間で【古文】 を選択した場合は1~現代文を選択した場合は1~25です。) 第一問 次の文章を読んで、1~問1)に答えよ。 少女が涙に濡れた。差し出し、言う。「ピッ」 それを見た少年が、え、雨なの、と空をアオぐ保証など、言語にはどこに ちない。少年が朝鮮を知らなければ何だって? 何て言ったの? どういう意味なの? と、いきなりことばそのもの が前面に立ち現れる ことになる。 www. ロサンゼルスでも、アルフ・アタでもどこでもよい。 英語とスペイン語でも、北京語 広東語でもよい。 秋田空港でタク シーに乗った高知からの運転士との会話でもよい。複数の言語が出会う言語場複数の言語が用いられている場では、こう したことは日常である。 「おそらくこういう意味だろう」というような意味の曖昧な実現の仕方も、まさに日常の出来事である。 ホテルのフロントで 交わされる会話に耳を傾けてみよう。そこがホテルのフロントであるという言語場の条件に支えられて、「おそらくこういう 意味だろう」解ってくれたようだ」といった仕方で、意味がかろうじて立ち現れている、そんなことは、今もおそらく二四時間、 世界中あちこちのホテルのフロントで起こっている。あちこちの場で起こっている。 ことばができあいの意味を有していて、 それをキャッチボールのようにやりとりするといった図式は、ホテルのフロントでも、国境の検問所でも、やはりBに過 この意味な実現というありようを見てゆくと、意味の鮮明な実現と意味の曖昧な実現の境界もまた、しばしばゆ やかなものであることがわかるであろう。意味の実現を考えるにあたって、この点はまた重要である。 「ことば常に多義的である」といった次元のことを述べているのではない。「ことばが常に多義的である」と それ自体として大きくってはいないものの、ことばが意味となる機制の結果を語っているに過ぎない。 ことばは 意味となったりならなかったりする、そしてそのなったり、ならなかったりという境界自体も、また原理的に固定し難いもの だという意味の実現の原理的なありようをここでは問題にしているのである。「多義性」とは、ことばが意味を持つものでは 意味なものであることの結果についての書学的なアプローチによる名づけである。「両義性」 や 「曖昧性」もま たにする。ついでに言えば、「それはまあ、なんて言うか、ちょっとあれですが」とか「これこれっていった感 ことばにする方式、意識的に表現を明瞭にする曖昧化といったことが、表現上の選択肢となり得ることも、 この度にある。 ことばは意味を持つ」と考えた。このことは言すると、ことばを「意味を持つ/持たない」という二項 対立の中に位置づけようとしていることに他ならない。実際の甘酒場において意味が立ち現れる、立ち現れないの際にあること レクがありま は、いくらでもある。そうした意味の「持つ/持たない」の二分法で切り分けようとすること自体が、生理の所行と言わ れがされたことば)であれ書かれたことばであれ、外形を有している。形が在る。形を有すること ばか何らかの意味を持つと見たくなるのは、素朴な意味論のように見えるけれども、実はソシュール言語学を決定的な淵源とす 現代である。 ことばがじないのは、青森方言や鹿児島方言のごとく、そもそもコードが異なるからだとか、意味を持つことばを 聞き手が知らないからだとか、あるいは するからだと考えた。こうした考えは全て、ことばは通じるものだ」という テーゼとして出発している。そうした前提に立って、 伝達の失敗とか意思ソツウがうまくゆかな いといったこと、じようとしてきた。あるいは「文字通りの意味」がまずあり、それが実際に用いられる段になると、「言 があると考えてきた。書かれたことばには「行間を読む」などという比喩もあった。「コミュ ニケーション」にあっては、ことばを「正しく」「正確に」用いることがしばしば語られた。さらにはことばが「文化」にまで める てきたのである。 あらかじ 拡大され、「異文化」というコードを知ること、「異文化理解」などといった考え方が喧伝されてきた。これら多くの考え方の中 で、大前提となる、同一言語コードの上で、即ち正しいコードの共有の上で、ことばの十全たる受け渡し、即ちことばの正しい キャッチボールさえ実現できれば、「ことばは通じるものだ」という暗黙のテーゼ自体は揺るぎないものとして、保持され続け かも戻すた形がと ことばを「意味を持つ/持たない」という二項対立の中に措定しようとする限り、「ことばは通じるものだ」という暗黙のテー ゼは動きようがない。ことばが意味を「持っている」なら、何かしらの外的な阻害条件が加わらない限り、 ことばは投げ与えら れたので、その意味は話し手から聞き手に「伝達」されることになってしまうからである。 言語学的な立場から情報通信理論の図式を提出している典型として、R・ヤコブソン『言語とメタ言語」を挙げることができ る。 「送り手」が「受け手」に対して「メッセージ」を送る。この「メッセージ」ということばも、なかなかに危ないことばで ある。同書では「場面」が強調されている。 送り手と受け手に完全に、もしくは部分的に共通した「コード」と、送り手と受け 手の物理的経路と心理的なつながりである「接触」が欠かせないとして、ヤコブソンはこうした六つの因子を挙げる。場面を強 調している点は首できるものの、送り手が受け手にメッセージをあるコードに従って送るといった考え方は、いかにも機械的、 図式的で、素朴な発想である。こうした機械的 図式的という非現実性は、ヤコブソンの論の隅々に通底する二項対立論がもた らすものである。もっと言えば、ソシュール以来の言語学、記号学、 構造主義が、共通して胚していた二項対立論の、謂わば 負の表れである。負の表れと言ったのは、二項対立論は、二〇世紀思想とまではゆかずとも、少なくとも二〇世紀言語学にあっ ては、長足の発展を基礎づけた、決定的な方法論の一つだったからであり、負の結果と同時に巨大な正の成果も招来してきたか らである。 ジュリア・クリステヴァのような言説の中にも、送り手が「受け手=解読者」にメッセージを送るという、こうした図式が入 り込んでいる。 「伝達される意味」などということばに頼れているように、送られる「タッセージ」はそこでは事実上、意味を 持っていると考えられている。 クリステヴァが「受け手=解読者は、聞こえることを言える範囲でのみ解読する」と言うとき、 「送り手」における意味と、「受け手」における意味という、少なくとも二種の意味があり得ることを掘り下げる、一歩手前まで 来ているのにも拘わらず、どうしても意味を持った「メッセージ」を伝達するという観念から、抜け出ることができないでいる。 「送り手」がある意味をメッセージとして込める、その「メッセージ」を受け手が自ら「言える範囲でのみ」 解読するというク リステヴァの図式においては、やはり「ことばは意味を持っている」 という前提が揺るがない。J・J・カッツ「言語と哲学」 にも似たような考えが見える。 実のところ、送られるのは、一定の意味を持った イッセージなどではなく、一度は音声とい う形で意味から自由になったことばなのである。 ヤコブソンなどのこうしたコード論に立って、意味が実現しないと言っても、それは異なったコード間での出来事ではないか、 エンコード (encode) したのと同じ code でデコード (decode) していないのだから、と反論するのは、見苦しい言い訳に過ぎ ない。その言語観は、まるで数理的な体系でもあるかのような、コードなるものを幻想する以前に、コードなど成立しない言語 場を予めはっきりと理論的に位置づけ得ていただろうか? あるいは一瞬でも考えただろうか? 繰り返すが、 ことばが意 味となったりならなかったりする、あるいはかろうじて意味となる、それは私たちにとって日常であり、世界にとって自然で ある。言語にとっては存在のありかたそのものなのである。そうした事態がその言語観の中に鮮明に位置をシめていないのであ れば、言語の実現のリアリティの大きな前提が、その言語観においては予め切り捨てられている、ないしは隠蔽されていること になる。「ことばが通じる」という事態よりも「通じたり通じなかったりする」ことが先に、あるいは、より深いところにある がゆえに、その深いところにある前提を除外した時点で、その言語観は少なくとももう今日の理論としては失格である。 言語学 としてもヒソウであり、言語教育にあっては、余計に罪深い。ことばが通じない悲しみを背負わぬ言語教育など、信じられるだ ろうか? 百歩譲って、コード論者の言い分を一旦、受け入れてみてもよい。そうしたコード論を理論的に成立させるためには、少なく とも次の二つの本質的な部分を解決せねばならない。 第一に、異なった言語の間だけではなく、実はいわゆる同じ言語の話し手の間でも、つまり同じコードの間でも、ことばが意 24一般入試A問題

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現代文 高校生

問4の解説お願いします!🙏🏻

一般入試A問題 (2月3日) 国語 ねばならない。 Hill 五 二戸口 (解答番号は、第二間で 【古文】 を選択した場合は1~2、【現代文】 を選択した場合は1~125 です。) 第一問 次の文章を読んで、設問 (問1~間10) に答えよ。 少女が街に濡れた”を差し出し、言う。「ビ。」 それを見た少年が、え、雨なの、と空をアオぐ保証など、言語にはどこに もない。少年が朝鮮語を知らなければ、え、何だって? 何て言ったの? どういう意味なの? と、いきなりことばそのもの が前面に立ち現れる事態を、経験することになる。 wwww ロサンゼルスでも、アルマ・アタでも、どこでもよい。英語とスペイン語でも、北京語と広東語でもよい。 秋田空港でタク シーに乗った高知からの客と運転士との会話でもよい。 複数の言語が出会う言語場、複数の言語が用いられている場では、こう したことは日常の出来事である。 「おそらくこういう意味だろう」というような意味の曖昧な実現の仕方も、まさに日常の出来事である。 ホテルのフロントで 交わされる会話に耳を傾けてみよう。そこがホテルのフロントであるという言語場の条件に支えられて、「おそらくこういう 意味だろう」「解ってくれたようだ」といった仕方で、意味がかろうじて立ち現れている、そんなことは、今もおそらく二四時間、 世界中あちこちのホテルのフロントで起こっている。あちこちの言語で起こっている。 ことばができあいの意味を有していて、 それをキャッチボールのようにやりとりするといった図式は、ホテルのフロントでも、国境の検問所でも、やはり B に過 ぎない。 さらにこの意味の曖昧な実現というありようを見てゆくと、意味の鮮明な実現と意味の曖昧な実現の境界もまた、しばしばゆ るやかなものであることがわかるであろう。 意味の実現を考えるにあたって、この点はまた重要である。 ここでは単に「ことばは常に多義的である」といった次元のことを述べているのではない。「ことばが常に多義的である」と いう指摘は、それ自体として大きく誤ってはいないものの、ことばが意味となる機制の結果を語っているに過ぎない。ことばは 意味となったりならなかったりする、そしてそのなったり、ならなかったりという境界自体も、また原理的に画定し難いもの だという、意味の実現の原理的なありようをここで問題にしているのである。「多義性」とは、ことばが意味を持つものでは なく、 意味となるものであることの結果についての辞書学的なアプローチによる名づけである。「両義性」や「曖昧性」もま た、肌をCにする。ついでに言えば、「それはまあ、なんて言うか、ちょっとあれですが」とか「これこれっていった感 じで…」 などとことばにする方式、意識的に表現を不明瞭にする曖昧化といったことが、表現上の選択肢となり得ることも、 この延長にある。 既存の意味論は、「ことばは意味を持つ」と考えた。このことは換言すると、ことばを「意味を持つ/持たない」という二項 対立の中に位置づけようとしていることに他ならない。実際の言語場において意味が立ち現れる、立ち現れないの際にあること レム は、いくらでもある。そうした意味の濃淡を持つ/持たない」の二分法で切り分けようとすること自体が、空理の所行と言わ また、ことばはそれが話されたことば〉であれ書かれたことば〉であれ、外形を有している。形が在る。形を有す ること はが何らかの意味を持つと見たくなるのは、素朴な意味論のように見えるけれども、実はソシュール言語学を決定的な淵源とす 現代言語学の根源的な病である。 ことばが通じないのは、片や青森方言、片や鹿児島方言のごとく、そもそもコードが異なるからだとか、意味を持つことばを 聞き手が知らないからだとか、あるいは「誤解するからだと考えた。こうした考えは全て、ことばは通じるものだ」という 暗のテーゼを前提として出発している。そうした前提に立って、誤解とか誤訳とか伝達の失敗とか意思ソツウがうまくゆかな いといったことを論じようとしてきた。あるいは「文字通りの意味」がまずあり、それが実際に用いられる段になると、「言 外の意味」や「語用論的な意味があると考えてきた。〈書かれたことばには「行間を読む」などという比喩もあった。「コミュ ニケーション」にあっては、ことばを 「正しく」 「正確に」用いることがしばしば語られた。さらにはことばが「文化」にまで 24一般入試A問題 21

解決済み 回答数: 1