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古文 高校生

どこか間違っているとこがあれば教えてください💦

er gen とび [H Imaged. [写] (F. 1@[ A ・ [ Str. [ is. [ ] ] けむ 二次の傍線部の語の意味と活用形を答えよ。 [5点×16] はや、馬率て参りね。待ち給ふらむ。(堤中納言物語・はいずみ) 早く、馬を連れて帰参しておしまいなさい。 今ごろは (殿が帰りを待っていらっしゃるだろう。 1 2 恋ひわびて泣く音にまがふ浦波は思ふ方より風や吹くらむ(源氏物語・須磨) 都恋しさに堪えかねて私が泣く声に似ている海辺の波の音は、私の恋しく思う都のほうから風が 吹くから(泣き声に似ているの)だろうか。 3 鴛鴦いとあはれなり。 かたみにゐかはりて、羽の上の霜払ふらむほどなど。(枕草子・鳥は) I おしどり 鴛鴦は本当に情が深い。雌雄が互いに場所を交替して、羽の上の霜を払うというところなど。 4人の思ふらむことをば、おし返しなつかしうもてなさせ給ふなり。(大鏡・道隆伝) 普通の人がそのように(冷淡に)思うようなことでも、逆に親しみ深い態度でお接しになるのだ。 5わななくわななく書きて取らせて、いかに思ふらむと、わびし。(枕草子・二月つごもりごろに) [ 訳(寒さにふるえふるえしながら(返事を)書いて(使いの者に)渡して、(相手が)今ごろは どのように評価しているだろうかと思うと、つらい。 6 これを思ふに、かの池にありけむ鳶は、まことの鳶にはあらじ。(今昔物語集・巻一六ノ一三) [ 訳これを考えてみると、あの池にいたという鳶は、本当の鳶ではないのだろう。 7 みな家の内出でそけむほどは、さこそはおぼえけめ。(枕草子・宮に初めて参りたるころ) TO みな家の中から(宮仕えに)出始めたようなころは、私と同じように感じただろう。

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古文 高校生

模試で古今著聞集を解いたのですが文章で出てくる位がよくわからないです。 中納言と右大弁は兼任できるのですか。 正三位と中納言はどちらの方が偉いのですか。 なぜ正三位になったら左大弁になれないのですか。 誰かお願いします😭😭

選択肢】 冒頭に「歌合せでは」とあって、歌合せの場合だけに限定してい が正しいとすると、「歌合せ」以外の場では歌の表現に注意しなくてもよいと になってしまおう。 ここでは、話題を「神の前で詠む和歌」に限定しているのが不適。【文章Ⅰ】 の前で詠む和歌」の作法は話題になっていない。 ②と同じく、話題を「歌合せ」に限定しているのが不適。 は⑩。 したように、【文章Ⅰ】の主題は、「和歌を詠むときには、その和歌の内容が の前に かもしれないので、その表現に注意しなければならない」ということであっ を踏まえて、浜の南の宮が焼けたことと、生徒Aの発言中の 南の宮作り改めてけり夜半の白雪」という表現は、本当は雪が降って浜の 段と違って見えるということを詠んだだけだけど」 とあることから解いてい る。 「浜の南の宮作り改めてけり夜半の白雪」は雪の降った翌朝の景色が普 と詠んだのだが、「作り改めてけり」が浜の南の宮が焼失して作り直すこ を暗示する表現になっていたために、本当に火事になってしまったという話 前の実綱の国の歌で述べたことを補強している。 以上を踏まえると、「浜 が近い将来作り直されることを暗示するような表現」が正解と判断される。 「涙の南の宮の改修は神の望みである」、③「浜の南の宮がどんな災害をも回避す ⑨「浜の南の宮の修理は順調に進行する」は、「文章Ⅰ】 の本文にそれと相当す 実守中納言は、宰相の中将でいらっしゃったが、東宮坊に勤めたことに対する賞で 正三位に昇進なさったので、 実綱は)左大弁になる順番を追い越されてしまった。「こ の歌のせいだろうか」と、当時の人々は噂しあっていたということだ。 本当に詩歌の道 はよくよく考えなければならないことである。昔もこのような例はたくさんあったので しょうか。 同じ広田神社)歌合せで、「社頭の雪」という題の歌) 女房の佐が詠みました 歌は、 今朝見ると、浜の南の宮を作り直してしまったのだなあ。 夜半の雪によって。 この歌が詠まれた)後、再び浜の南の宮は焼けておしまいになった。 これも歌の徴候 が現れたものだろうか。 あの実績の中納言は、弟の実房・実国などに官位を) 追い越されなさったときは、 どうして私たち一族は序列が乱れているのだろうか。 羨ましいのは(列を乱 さないで飛ぶ) 秋の雁たちだ。 このようにお読みになったのは、たいそう殊勝なことで、恨みはそのように深かっただ ろうが、誠信が、弟の斉信に追い越されて、目の前で悪行の報いで死後に苦悩の世界に 赴くことを心に決めて恨み死にをなさったのとは似ていないだろうか。 【文章】 斉信民部卿が宰相の当時、才能が人より) 優れていることによって、兄の誠信の君 を追い越して、 中納言におなりになったので、 誠信は、我が身の失態を忘れて、目の前 の恨みに耐えられないで口惜しいとお思いになったのだろうか、七日目の日に、恨み死 にでお亡くなりになった。 (誠信は) 手を握ってお亡くなりになったが、恨みの) 心が 強かったからだろうか、指の爪が、 みな甲へと突き抜けていたということだ。 弟に官位を追い越されることは、帝王や、臣下をはじめとして、その例は少なく ない。 直ちに、これほどまでのことがあるだろうか(いやない) と、 恐ろしく思えるこ 三条内大臣公教会のご子息である、 実綱中納言は、弟の君達である、 実房、 実国など に追い越されて、 どうして私たち一族はこのよう (に序列が乱れているのだろうか。羨ましいのは (列を乱さないで飛ぶ) 秋の雁たちだ。 などとお休みになったとかいうことも、実綱の) 恨みはたいそう深くお感じになって いたのだろうが、このようなこと(=誠信のように恨み死にをすることはなかった。 誠信が目の前の現世)における悪行の報いで死後に苦悩の世界に赴く報いを実感な とだ。 +2 ●現代語訳 【文章Ⅰ】 同じ(承安二年、この(二年前の住吉大社の)歌合せの行事を広田大明神が、海の 上から羨ましくお思いになっているということを、二、三人が同じように夢として見申 し上げた。 道因がそのことを聞いて、また(二年前と同じように)人々の歌を請い求め 歌合せを開催した。歌合せの題は、「社頭の雪」「海上の眺望」「述懐」が、このよう <= 人々の歌を請い求めての歌合せ〉であった。これ<=この歌合せ>も藤原俊成が判者を つとめた。「述懐」の歌に、二条中納言実綱卿が左大弁のとき、宰相の教長入道と歌合 の相手として組み合わせて、 のりなが 「位山を上る」という「上る」ではないが、位が上がれば人に追い越されてしま う我が身であるよ。(古歌に「最上川のぼればくだる」とあるが、私は) 最上川 を漕ぐ舟ではないのになあ。 その 実綱)は、四位・五位だった期間は重要な役職を経験することなく、弟たち二 人に位階を追い越されて哀れな境遇になっておられたが、仁安元年十一月八日、蔵 人の頭に任命されて、 同じ (仁安) 二年二月十一日、参議に就任して右大弁を兼任した。 同じ(仁安) 三年八月四日、従三位に就任した。 嘉応二年正月十八日、左大弁に転じた。 昔の哀れな境遇のとき)の恨みも解消するくらいに、このように次々と続いて昇進な さっていたのに、この歌<=「位山のぼればくだる..…」 の歌〉をお詠みになったのは どのようにお思いになったからだろうか。こうしている間に、同じ(承安) 三年正月六 さったというのは、本当につまらないことと思われる。 顕基中納言が、いつも「罪がないのに流罪になって)、配所の月を見たかったなあ」 とおっしゃっていた状況には(誠信の死に方は) 似ていらっしゃらなかった <=違って いらっしゃった〉。 実に適切な仏道に人を導いてくれる機縁となる物事に出合えていな がら、(誠信が命を落としてしまったのは、無意味なことではないか。 これだけではなく、寛算が死後悪霊となり (祟りをなしたことや)、清和天皇が、前 世で、法華経転読の功徳を自らの極楽往生のために用いないで、伴善男に対する復讐 のために用いることを誓って死んだ (こと) は、恨みが深いためである。 ともよしお ふくしゅう

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古文 高校生

⑥はなぜ謙譲語なのですか? 敬意の方向が作者から中納言とあったのですが、「いかやうにある」と言ったのは中宮定子ですよね?? なぜ、あとに謙譲語を用いて中納言に敬意をはらう必要があるんですか?

敬語は、「古典文法」 最後の大きな砦! 練習問題) でも、これを乗り越えれば大きな力がつくわよ! 問 次の文章は『枕草子』の一節で、中宮定子のもとへ弟の中納言(藤原隆家)がやってきた場面である。 傍線部①~②の、敬語の種類と敬意の方向を答えよ。(制限時間10分) 中納言参りたまひて、御扇たてまつらせたまふに、「隆家こそいみじき骨は得てはべれ。 それを張らせて、参らせむとするに、おぼろけの紙はえ張るまじければ、求めはべるなり」 と申したまふ。「いかやうにかある」と問ひきこえさせたまへば、「すべていみじうはべり。 「さらにまだ見ぬ骨のさまなり」となむ、人々申す。 まことに、かばかりのは見えざりつ」 と、声高くのたまへば、「さては、扇のにはあらで、くらげのななり」と聞こゆれば、「こ れ隆家が言にしてむ」とて、笑ひたまふ。 (枕草子) (注) 中納言(藤原隆家)=道隆の三男で清少納言が仕えていた中宮定子の弟。 骨=扇のほね。 おぼろけの紙=ありきたりな紙。ふつうの紙。 敬語を極めれば、得点 によわ CO

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古文 高校生

活用形も教えて下さい

15 N 4 dobi 探究) MD-2 H かけことば 若狭湾 狭 若 丹後国府天の橋立 19 丹後 琵琶湖 但馬 ER HRF 5 丹波 古典を探究1 調べたいテーマを検討する 奈良 十訓抄 大江山いくのの道 「和泉式部、保昌が妻にて、丹後に下りけるほどに、京に歌合ありけるに、 小式部内侍、歌詠みにとられて詠みけるを、定頼 中納言はぶれて、小式 部内侍、局 にありけるに、「丹後へ遣はしける人は参りたりや。いかに心も となくおぼすらん。」と言ひて、局の前を過ぎられけるを、御簾より半らば かり出でて、わづかに直衣の袖をひかへて、 r 8なほし 大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立 と詠みかけけり。思はずに、あさましくて、「こはいかに、かかるやうやは ある。」とばかり言ひて、返歌にも及ばず、袖を引き放ちて、逃げられけり。 小式部、これより歌詠みの、世に覚え出で来にけり。 これはうちまかせての理運のことなれども、かの卿の心には、これほど の歌、ただいま詠みいだすべしとは、知られざりけるにや。 (第三) ○ 学習のポイント ① 「大江山…」の歌について、 ① この歌は定頼に対する答えになっている。 定頼の言葉とこの歌を問答の形 になるように、言葉を補って現代語訳してみよう。 ② この歌に用いられている掛詞について説明してみよう。 「返歌にも及ばず、・・・・・・逃げられけり。」 (148) とあるが、なぜそうした のか、その理由について話し合ってみ よう。 「知られざりけるにや。」(114. 1)を品詞分解し、現代語訳してみよ 「大江山」「生野」「天の橋立」 はいずれも和歌でくり返し詠まれてお うまく り、「歌枕」と呼ばれる。地域の歌枕 をさがして、どんな歌人がどんな和歌 を詠んでいるか調べてみよう。 ディに いくのの道」 関連地図] C S 3 3.4.

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古文 高校生

中納言参り給ひて この青線の部分の答え、わかる方どなたか教えて欲しいください!!

人申 ② 作者 中納言 ① 作者→中宮定子 です すべてが素晴らしい 結び(強意) ません ます。ま 家に気に入られた 作者の口にしたことが れを、 木つり 中 Islas 人そん 中納言参り給ひて かじわらのたかいえ 2 中納言藤原隆家〔九七九―一〇四四)。 道隆の子で、定子(三五ページ注2) の弟。長徳元年〔九九五〕、中納言。 ちょうとく 中納言参りして、御扇奉らせ給ふに、「隆家こそいみじき骨は得て侍れ。 それを張らせて参らせむとするに、おぽろけの紙はえ張るまじければ、 めるなり。と申し給ふ。 「いかやうにかある。と問ひ聞こえさせ給へば、「 べていみじう侍り 『さらにまだ見ぬ骨のさまなり」となむ人々申す。 とにかばかりのは見えざりつ」と言高くのたまへば、 さては、扇の はあ 2骨 ここでは扇の骨のこと。 まこ ◆「言高くのたまへば」には、誰の、ど のような気持ちが表れているか。 ななり と聞こゆれば、これは隆家が言にしてむ。 とて、 はつ 笑ひ給ふ。 3ななり「なるなり」の撥音便「なん 「なり」の「ん」が表記されない形。 かやうのことこそは、かたはらいたきことのうちに入れつべけれど、「一 おぼろけなり かたはらいたし 【第九十八段】 いかがはせむ つな落としそ。と言へば、いかがはせむ。 学習の 「さては、扇のにはあらで、くらげのななり。〔三四・5〕 とは、どのようなことをいっているのか、説明しよう。 最後の一文には、作者のどのような気持ちが込められているか。 手引き 語句と の敬語の種類は何か。また、誰の誰に対する敬意か。 表現 り給ひて [三四・1〕 ②張らせて参らせむ(三四・2〕 雪のいと高う降りたるを 雪のいと高う降りたるを、例 こと かうし ③中宮が 30-0 中納言に 聞いた てい けるそ 34 随筆 1 ③ 問ひ聞こえさせ給へば〔三四・3) ④聞こゆれば〔三四・6〕 1炭櫃 ≫三一ページ注3 2少納言よ。

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