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信して いたとノハリア
「強い私」を認識してくれる「自分以外の他者」がいなければ「強い私
イ の
もっと言えば、「自分以外の他者」の存在を無視するとき、言葉、あるいは感覚
ですらその意味は無になる。「あのリンゴは赤い」という事実をいくら自分が認
識していたとしても、その事実を伝達する対象となる他者がいなければ、赤いリ
ンゴ自体がどこにも存在しないものになるのだ
他者がいなければ自己も存在し得ない。つまり「私」という「自分」は、他者一
によって生かされているのである。
前に、なるべく誰かのためになりたい、誰かにとって役に立つ存在でいたい、
というようなことを述べた。それは私にとっては、決して「誰か」という他者の
ためではない。それどころかそれは自分のためですらある。かのためになりた
い、誰かの役に立ちたい、という思いは、「私」という「自分」を確立するため、"
私」という「自分」を架空のものにしないため、「私」という「自分」をどこか
でこの世界につなぎとめておくための、ほとんど利己的とさえ呼べるほどの希望
なのである。
そういう思いを切ないくらいに抱えながら生きていくことが「自分らしく生き
る」と呼ぶに足り得るものであるならば、もしかしたら私は自分らしく生きてい
自己を見つめる
私」という「自分」