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日本史 高校生

史料演習のQ2 ・東北経営 ・平安京造営 についてどのようなものなのか教えて欲しいです あと読み方も教えて欲しいです🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️

- 6 とくせい 9徳政論争8 えんりゃく 子のえとら ちょく あ てんか (延暦二十四年十二月壬寅)勅有りて…天下の徳政を相論ぜ あいろん しむ。時に緒嗣、議して云く、「方今、天下の苦しむ所は、 ただいま VO ぞうさく ト) S4う D ひゃくせいやす 軍事。と造作。となり。此の両事を停むれば、百姓安んぜむ」 ま みち かくしつ ふかど といふ。真道、異議を確執して肯へて聴さず。帝。緒嗣の議 よ すなわ ちょうは い を善しとしたまひて、即ち停廃に従はしむ。 (「日本後紀」) | えみし へいあんきょう かんい。 屈0軍事 : 東北経営(蝦夷との戦い) @造作 :平安京造営 帝:桓武天 じゅん な 『日本後紀』:八四○年に成立し、桓武天皇から淳和天皇までの事項を記」 述している。編者は藤原緒嗣ら。 に ほんこう き ふじわらの お つぐ あり ふじわらの 【現代語訳】 延暦二十四(八〇五)年、桓武天皇は詔を出して…(藤原 緒嗣と菅野真道に)徳政について議論させた。その時に緒嗣が主張す ることには、「現在、民衆を苦しめているのは東北経営と平安京造営 すがのの ま です。この二大事業を停止すれば、人々の苦しみは無くなるでしょう」 という。真道は違う意見を主張して譲らなかった。桓武天皇は緒嗣 の意見を採用し、二大事業を中止させた。

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古文 高校生

古典、「土佐日記 -門出-」の問題です。 写真の右から8行目、「和泉の国までと、平らかに願立つ」とあるが、なぜ「和泉の国」までなのですか⁇ 教えていただけるとありがたいです。

紀貫之 教科書p. 44~ 「門出」予習プリント 『土佐日記』【1】 の語句を辞書で調べろ。*他にもわからない語句は辞書を引くこと 二重線部の助動詞の文法的説明(意味·終止形と活用形)を調べてみよう。 男もすなる日記といふものを、女もしてみむとて、するなり。 それの年の、十二月の、二十日余り一日の日の、戊の時に『門出す。その よし、いささかに、ものに書きつく。 ある人、県の四年、五年はてて、例のことども、みなし終へて、解由など取り て、住む館より出でて、船に乗るべき所へ渡る。かれこれ、知る知らぬ、送りす。 *年ごろ、よく比べつる人々なむ、別れがたく思ひて、日しきりに、とかくしつ のしるうちに、夜ふけぬ。 二十二日に、和泉の国までと、平らかに願立つ。藤原のときざね、船路なれど 馬のはなむけす。上·中·下酔ひ飽きて、いと『あやしく、塩海のほとりにて あざれあへり。 二十三日。八木のやすのりといふ人あり。この人、国に必ずしも「言ひ使ふ者 にもあらざなり。これぞ、たたはしきやうにて、馬のはなむけしたる。

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歴史 中学生

これらを行った歴史人物をそれぞれ教えてください😢🙏🏻

弥生時代にあった邪馬台国の女王として、国をおさめた。 天皇を助ける摂政として、天皇を中心とする国づくりき土も条の憲法や冠位士二階、法隆寺をっくった。 2 3造脂使として中国(晴)に派遣され、大陸の文化を日本に取り入れた。 4蘇我氏を滅ぼし、太化の改新を進め、後に天智天皇となり天皇中心のしくみを整えた。 5後に天智天皇となった人物と共に、太化の改新を進め、蘇我氏を滅ぼした。 6|奈良時代、恵大寺の大仏や国分寺などをつくり、仏教(仏)の力によって平和で豊かな国国を作ろうとした。 天皇の命令を受け、大仏づくりに協力した僧(坊さん)で、人々からたいへんしたわれていた。 7 8 大回目の渡航で失明しながら、中国からやってきて、日本に正式の仏教を広めるなど、大陸の文化を広めた。 9 平安時代に、5人の娘を天皇のきさき(妻)にし、貴族でありながら天皇に代わり、政治を行った。 10 |平安時代の女流作家で、かな文字で「通氏物語」を書き上げた。 11|平安時代、天皇のきさきに仕え、「枕草子」を書き上げた。 12 平氏の中心として、藤原氏や源氏をおさえ、武士として初めて政治の実権をにぎった。 13 |征夷大将軍として、鎌倉幕庭を開き、武家政治の基礎をかためた。 14 ||平氏を倒すために、兄の頼組と共に戦い、ついに壇ノ浦で、平氏を滅ぼした。 15 |鎌倉時代に、執権として、将軍に代わり政治をし、中国の元が日本に攻めくるのを防いだ。 16 室町時代に、将軍として政治を行い、金閣とよばれる別荘をつくった。 17 室町時代に、将軍として政治を行い、現在の日本風の家の元になった銀盟とよばれる別荘をつくった。 18 室町時代に、中国まで行ってすみ絵を学び、彼独特の風景画を描いた。 19 日本に初めてキリスト教を伝えたスペイン人の宣教師で、九州を中心に、多くの人たちに広めた。 20 室町幕府を倒し、楽市·楽座などをして全国の統一をめざしたが、けらいの明智光秀におそわれて戦死した。 21 明智光秀を倒し、全国統一をなしとげ、検地や刀粒により武士と農民をはっきりと区別した。 22 関ヶ原の戦いで、全国支配を確かなものにし、将軍として、江戸幕府を開いた。 23 江戸時代の握軍として、「参勤交代」のきまりを定めたり、銀国を実施し、幕府の支配体制を固めた。 24 江戸時代、歌舞伎やじょうるりの台本を書き、人々に、歌舞伎やじょうるりを広めた。 25 江戸時代、浮世絵師として「東海道五十三次」など、すぐれた風景画を残した。 26 江戸時代、「古事記」や「万葉集」などから、日本人の昔の考え方を学ぶ「国学」を伝えた。 27 江戸時代、蘭学を学び、オランダの医学書をほんやくして、「鰹体新書」を出版した。 28 |江戸時代、天文学や測量術を学び、正確な日本地図をつくった。 29 江戸時代の終わりに、4せきの軍艦をひきいて日本に来航したアメリカ人で、閉国を要求し条約を結ばせた。 30 |幕末、幕府側の中心人物となった人で、西郷隆盛との話し合いにより、江戸城があけわたされた。 31 |今の鹿児島県にあったさつま藩の中心として江戸幕府を倒し、明治時代には政府の役人としても活躍した。 32 今の鹿児島県にあったさつま藩の中心として西郷隆盛らとともに活躍し、明治時代には政腐の投人として政治を進めた。 33 |今の山口県にあった長州藩の中心として大久保利通や西鑑隆盛らとともに江戸幕府を倒し、明治政府の役人として活躍した。 34 |明治維新の後の政治や日本の発展は、常にこの人の名のもとに進められ、太日本帝国憲法を国民にあたえた。 35 |明治時代に、「天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず」という「学間のすすめ」という書物を書いた。 36 |明治時代に、国会の開設に備えて、振垣退助と同じように政堂(立憲改進堂)をつくり活躍した。 37 |明治時代に、自由民権運動の中心役として活躍し、政堂(自由堂)をつくるなどして国会の開設を実現させた。 38 ドイツの憲法を学んで内閣制度をつくるとともに、初代の総理大臣として憲法をつくる仕事にあたった。 39 |外務大臣として、イギリスを相手に交渉を行い、不平等条約のひとつである治外法権をなくすことに成功した。 40 |日ロ戦争では、司令長官として海軍をひきい、日本海の海戦でロシアの艦隊をやぶった。 41 |外務大臣として、日口戦争後の条約を結ぶとともに、関税自主権を回復することに成功した。 42 北里柴三郎の指導を受け、アメリカに渡って研究し、黄熱病など当時原因のわからなかった病気の病原体を追究した。

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歴史 中学生

歴史です。教えてくれると助かります。

)にあてはまる語句を書きなさい。 口(1) Aは, 3世紀の日本のようすについての記述が 見られる中国の歴史書「競志」倭人伝の一部。「そ の国」とはO[ は女王の②[ に使いを送り,皇帝から金印などを授かったとい (史料の読解〉次の史料を読んで, 右の文中の[ A その国の王はもとは男であったが,争いが 絶えなかったので, 国々が共同して[ a ] ぎし、わじんでん ]のことで、[a] ]。[a ]は239年に競 を王に立てた。[a ]は神に仕え.まじな いによって人々を治めた。 -[ a ]が 死ぬと大きな墓がつくられ,100人余りの奴 ひ どれい きんいん 蝉(奴隷)がいっしょにうめられた。 う。 口(2) Bは, 7世紀初めに聖徳太子が役人の心がまえ として定めたの[ しょうとくたいし B ーに日く,和をもって貫しとなし、争うこと のないように心がけよ。 二に日く、あつく三宝を敬え。三宝とは、仏」 てはまる語句は,L 法福である。 三に日く,[b ]の器を受けたら、必ず誰 いわ とうと J。(b ]にあ ]である。 ]となった太子は、 さんぼう うやま 推古天皇の③[ 【b ]を中心とした国づくりを進めた。 みことのり んでこれに従え。 ]がよんだ 口(3) Cは,8世紀にO[ 「貧窮間答歌」。貴族である[① ]が,農民の立場 に立ってよんだもので,最古の歌集である r[ C 人間に生まれ 人なみに田をつくるのに よれよれになったぼろを肩にかけつぶれか かった土間の上にわらをしき 父母はまくら の方に 妻や子は足の方にいてなげき悲 しんでいる……それなのに むちをもった 里長が戸口で税を出せとどなりたてる…… ひんきゅうもんどう ]」に収められている。 さとおさ きさき 口(4) Dは, O[ なった祝いの席でよんだもの。[① ]は子の頼通 とともに@[ 口(5) Eは,1221年におきたの[ 頼朝の妻であった[ D ]が、娘が天皇の妃と (う) もちづき この世をば わが世とぞ思ぶ 望月の (え) いわ よりみち 欠けたることも無しと思へば ]政治の全盛時代を築いた。 ]の乱の際。 が御家人た E みなの者,心をひとつにして聞きなさい。 頼朝公が幕府を開いて以来, 官位といい, 慰 賞の土地といい, その恩は山よりも高く, 海 よりも深いものです。 それに報いたいという 志は浅くないはずです。 名誉を重んずる者 は,今すぐ京都に向かって出陣し, 逆臣をう ちとって, 幕府を守りなさい。 よりとも こけにん よりとも ばく。 おん しょう ちに言ったとされる言葉である。 むく この戦いは幕府軍の大勝に終わり,乱の中心人 こころざし めいよ おき 物であった®[ J上皇は,隠岐に流さ しゅつじん ぎゃくしん れた。 口(6) Fは, 1428年におきた①[ ついての記録。近江(滋賀県)の坂本でおこった民 衆の反乱が,近畿地方一帯に広がった。 [c]は高利貸しを営んでいた質屋で, ]に F 正長元(1428)年9月, 天下の土民が蜂起 した。徳政とさけんで, 酒屋, [ c ], 寺院 などを破壊し,いろいろな品物を勝手に略 奪し,借金証文をすべて破棄した。管領が これを鎮圧した。 しょうちょう ど みん ほう き おう み さかもと は かい りゃく だつ しょうもん ちんあつ だいじょういんにっ きもくろく (「大乗院日記自録」より) ]という。

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