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英語 高校生

至急 解答をお願いします!

日本語に合うように,( (1) カナダにいたとき,毎日が楽しかった。 I( )myself every day when I was in Canada. (2) 私のおじは京都大学を卒業した。 )に適語を入れなさい。 A )from Kyoto University. My uncle ( (3)私の姉はちょうど1年前に結婚した。 My sister( ) married just a year ago. 2日本語に合うように, 英文を完成させなさい。 (1) 私は子どものころ、パイオリンを弾いていた。 AB When I was a child, I (2) 車内には人はいなかったが、 エンジンはかかっていた。(run を使って) The car was empty, but (3) 昨夜、会議でなぜあんなに怒ったのですか。 What at the meeting last night? (4) テレビはついていたが, だれもそれを見ていなかった。 The TV was on, but 3与えられた状況に合うように ( 句が1つずつ含まれています。 (1)状況友人からの電話に出られませんでした。なぜなら…。 (was / bath / I/a/taking / took) when you called me. )内の語句を並べかえ, 全文を書きなさい。ただし, 不要な語 B 状況 戦後の復興期に日本がどう変化していたかという話をしている。 Japan(the recession / recovers / recovering / was / from ) year by year. (3)状況 昨夜 10時ごろに彼女が私に電話をかけてくれたが, 私は気づかなかった。すると彼女 は以下のようにたずねた。 What ( you / around / were / last / doing / done/ night /10:00 )? (4)状況昨夜ケイトは誕生日だったので, いつもは着ない服装でした。 Kate (and white / wearing / dress / worn / was / a blue) high heels last night. ]内の語句を参考にして, ~, …に自由に語句を入れ,オリジナルの英文をつくりなさい。 AB (1)私は昨日の~(朝食·昼食·タ食) に…を食べた。[eat / for ] (2)私は昨日,一日中~していた。[was/ all day ]

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世界史 高校生

問16の言語が分かりません💦

問B 下線部 (c), イスラームの写本絵画で, 中国絵画の影響を受けた細密画を何というか 級がイスラーム散に改宗し、 のに答えな 世界史B 第7 127 参照 (1) 東南アジアにイスラーム 問9 下線部(d), シャー·ジャハーンがアグラに建てた, 愛妃のための壮麗な墓廟は何か。 問D 下線部(b) に関して,諸民族 宗派ごとに自治が認められていた国はどこか ムが伝来するのは, 群島部の貿易港にムスリム商人が来糖 問6 Dの国で,支配者のペルシア語·トルコ語に民衆のインド系の言語が融合し, 14 世紀にモンゴル帝国が崩壊したあと,トルコ系·モンゴル系の諸国家がきそい が往来し,モスクや学校が建設され,民衆にもイスラーム文化が浸透していった。 では,君主の強大な権力のもとで,(b)諸民族·宗派の共存がはかられ,(c) 絵画 ついて、 次の文の空欄D~ )がおこり, こめ明は、 は(2) 答奪を行っ った。その 5中国東北 生族番号生修氏 16 服した。 の要職は は明の 一東部に っら清に 百洋の に持ち 方法を 以下 間の~5 問の の国で、支配者の 0イトルコ語に民衆のインド系の言語が融合し、 アクビア語の語棄を加えてはれた言語は何か, 答えなさい。 リア 答えなさい。 問 下線部(c), イスラームの写大公画で、中国絵画の影響を受けた細密画を何というか 「株部(d), シャー·ジャハーンがアグラに建てた, 愛妃のための壮麗な墓廟は何か。 間の 下線部(d),シャー.ジャハーンがデリー郊外に建てた,城塞は何か。 スマトラ 2 3 ポルトがル の マレー マラッカ 王国 特産品 8 アラビア ア4ェ ジャプ @ オスマン神国 2 10 7-フィー マレー ウラマー 16) イラン 中央アジア アフガースタン 13) 20 19 18 17

未解決 回答数: 1
現代文 高校生

これの答えは何番だと思いますか?

観光旅行というものは、そのほとんどが都市と建集の見物なのだが、そのことに気づいている人は意外に少ない。国内でも 神社仏閣や城跡巡り、そして町歩きは旅行に欠かせないし、温泉も町の風情が楽しく、温泉旅館も建築に ったものが多く て、それがひとつの魅力になっているはずだが、そうと意識することは少ない。ファッショナブルな観光スポットも、その多一 くは新しい町角の風景や揚所としてのショッピング·センターだったりするのに、目当ては商品とショッピングだと思い込ん一 の文章は、鈴木博之「都市へ」の一節である。これを読んで、後の問い(問1~6)に答えよ。なお、設問の都合で本文の一 段落に1|~|2の番号を付してある。(配点 0) でいる。ヨーロッパ旅行なら、まず都市巡りがその中心になり、都市巡りは町歩きそのものということになる。 そこで目に一 しているのは、町並みと建築物ばかりといってもよいのだが、それもまたあまり意識されない。 。われわれが観光旅行を都市·建築見物旅行といわないのはなぜなのだろう。 たぶん、旅行では町や建築も見るが、その ー1 3たが、はたして町や建築は単なる器なのだろうか。「だとえばゴシックの大聖堂がある。明らかにそこには中世の精神世界ま」 でもが、造形的に表現されている。さらにいうならば、ヨーロッパの都市は、彼らの精神がつくり上げたものであり、その精一 なかにある遺物や、商品、あるいはそこにまつわる歴史やユイー名ョのにうが大切で、町や建築は器にすきないからだという 気持ちがあるからだろう。 神を体現したものなのだ。魅力的な都市は町並みと建築が美しい町ばかりだ。パリもロンドンもウィーンもパルセロナもブダ ペストも、みな例外ではない。 +けれとも、それでは都市と建築にはいったいどのような精神が込められていて、それは町のどこを眺めれば解るのだと問い詰一 ーロ B められると、答えはすぐには出てこない。町により、建築によってその現れは異なるからだといってみてもおなじことである。 レ 5|ひとつの答えを用意してみよう。ヨーロッパにおいては、それは廃壊、遺跡といった概念だ。 、ヨーロッパには明らかに廃 壊や遺跡が多い。とくに古代ローマの遺跡は、驚くほど広範囲にヨーロッパ中を覆っている。スコットランドに行っても、 あるいは東欧に行っても、ローマの遺跡に出会う。そこにヨーロッパ世界の拡 がりを感じることになるのだが、遺跡というものがそもそもヨーロッパ的な存」 在であるように思われるのだ。 6|石やレンガで建物をつくればそれが時代とともに廃壊となり、遺跡となる のはあたり前だといえるかもしれない。しかし、そうした建設材料の特質だけ」 が廃媒や運跡をむのだろうか。ヨーロッパの建築や都市は、生まれたときか」 らそのなかに廃壊や遺跡の葬を含んでいるのではないだろうか。これはとくに 日本人であるわれわれの感覚に照らして考えてみたい点だ。 い 日本の社寺は手をかけていなければ、消えて山野に戻ってしまうし、町や一 建築も、「方丈記」や『徒然草」を思い起こすまでもなく、どこかしら 「仮の 宿り」、あるいは「うたかたの嘘」の風情を漂わせてきた。「終の概家」 うような表現にも、移ろいつづけた果ての住居という心が垣間見られて、か えって無常を感じさせるのである。つまり、われわれの町や建築は根本的に一 仮のもの、移ろいゆくものという精神の上に成り立っているかのようである。 そこからは名残の風情、名のみが残るという精神が浮かび上がる。木造建築 によって生み出される町の伝統がそうした名所意識を生んだのだろうか。 ローマの古代遺跡 ヨーロッバでは、古代遺跡と現代都市が同居する 町が多い

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