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日本史 高校生

歴史総合 南、東アジアの植民地化 画像問3の、下線分③「オランダは、ジャワ島などを占拠し」に関連して、オランダはジャワ島で何をつぶしてさとうきび栽培を行わせたのか、またその結果、インドネシア国内はどのような状況に陥ったのか。 上記の問題の回答がどうしてもわからないです。 ... 続きを読む

1. インドと東南アジアの植民地化について述べた次の文の空欄に適語を補充し、 下線部に関する下の問いに答 えなさい。(教科書p59~60) 17世紀前半の(1 の領土はインドのほぼ全域に広がり、中国の清と並ぶ巨大国家であった。 特産の (2 は世界各地に輸出され、 インドに大きな富をもたらしていた。 しかし、 17世紀後半以降、 (1) の力が衰え ると、地方に独立政権が次々と現れ、 インドの統一は失われた。 この混乱の中、イギリスの (3 は、対立するフランスを追い出すと、各地の独立政権を破っていき、19世紀半ばまでにインドのほぼ全域を植民地化 した。 その間、 インドには (4 でつくられたイギリスの安価な (2) が輸入されるようになり、 ①綿の手工業は 衰退した。1857年、②シパーヒーが反乱を起こすと、 都市農村のあらゆる人を巻き込んで、イギリス支配を倒そうと する闘争、 (5 へと発展した。 これを鎮圧したイギリスは、 ムガル皇帝を廃位し、 (3) を廃止 して直接統治を始め、1877年にヴィクトリア女王がインド皇帝を兼ねる英領(6 )を成立させた。 フランスはベトナムの植民地化を開始し、 カンボジアとラオスも合わせて、 仏領(7 )を成 立さ オランダは、ジャワ島などを占領し、インドネシア全域を勢力範囲とするオランダ領東インドを成立させ た。このような植氏位の柏木、共仏惟氏地の (8 にあった ④ タイ (シャム王国)を除き、 ⑤ 東南アジ アは欧米諸国の植民地となった。 問1. 下線部①に関連して、イギリスのインド総督は、イギリスの綿製品の普及によるインド手工業の破壊の状況を 記した報告書を、本国に送っている。 その一部を記した下の文の空欄に、適語を補充しなさい。 「その惨状は、経済史上未曽有のものである。 木綿職人の骨)はインドの原野を(白色 に染めている」 P.59. 問2. 下線部②のシパーヒーとは何か、書きなさい。 東インド会社の傭兵 P.59. 14行目 問 3. 下部③に関連して、 オランダはジャワ島で何をつぶしてさとうきび栽培を行わせたのか、 またその結果、イ ドネシア国内はどのような状況に陥ったのか、書きなさい。 問4.下線部④に関連して、近代化政策を進め、タイの独立を保った国王の名を 書きなさい。 問 5. 下線部⑤に関連して、 教科書 p60の地図3と地図4を参考に、 右の地図 (3と4を合わせた地図) に指示に従って作業しなさい。 タイ (シャム王国)の位置にタイと記入する 英領インド(ビルマ含む) : |赤で着色 英領マレー (北ボルネオ含む): |赤で着色 仏領インドシナ連邦 青で着色 オランダ領東インド : 赤・青・黒以外 アメリカ領フィリピン : 黒の斜線 チュラロンコーン王 2. ヨーロッパの日本接近とアヘン戦争に関する下の問いに答えなさい。 (教科書p 61~6267) 問1. 日本との自由貿易を求めるロシアが、蝦夷地と (蝦夷地) 長崎に送った使節の名を、 それぞれ書きなさい。 (長崎) a

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日本史 高校生

室町時代の社会と経済活動について、本文をもとに、農業の発達にはじまり、それが何の発達につながっていったのか、その連鎖の過程が分かるように、160字程度でまとめなさい。(教科書P.106~107参照) 教えてほしいです。お願いします。

106 村や都市の住人たちは、どの ようにして生活を成り立たせて いたのか、考えてみよう。 水 石山寺蔵) 水車を設けて川から田に水を引いて いる。 WA M AMA GR TW SES MAMMAS A ③肥料やり (本)」,国立歴史民俗博物館に をまいている。 IS世紀末には、朝鮮から伝わっ 木綿の栽培が東海地方で始ま り、一般の衣服の生地として使 われ、のちには布やとし ても重宝された。 日本の鋼生産は15世紀初めに復 調して海外への主要な輸出品と り 15世紀末ごろには金鉱の 開発が始まった。 16世紀前半に は朝鮮からの技術移転により、 石見銀山などでの生産が本格 【化した [p.124]。 市では主から営業を許された 市座が設けられ、 その地の領主 に税をおさめる契約をした商人 のみに、営業が認められた。 3 室町時代の社会と経済活動 ②田植えの風景(背菜風俗 東京国立博物館蔵) 村ごとに、農民がそろって田植えを 行うようになった。 第2編 中世の日本と世界 室町時代は寒冷な気候の時期が多く、 15世紀にはし ばしば深刻な凶作や飢饉にみまわれた。 そのため、 なかで おくて 稲作では、各地の気候にあわせて早稲中稲 晩稲の品種が栽培され、竿 ばつや虫害に強い東南アジア原産の米(大唐米) も導入された。西日本で だいとうまい 農業・産業の 発達 は、米・麦・そば・野菜などの三毛作が登場し、庶民の食事を豊かにし かりそうもくばい しもごえじんぶんにょう さん いりあい た。 肥料として刈敷や草木灰が一般化し、 下肥(人糞尿)も使われ始めた。 しかし、人々が共同利用していた山野 河海などの入会地では、伐採や 用水をめぐる争いもめずらしくなく, 共通の利害を持つ人々は個々の社 園をこえて地域ごとに団結して協定を結ぶこともあった。 また, 手工業 の原料として、暴・・鮭・住胡麻・麻などの栽培もさかんになった。 漁業を専門とする集団が生まれ, 揚浜式の製塩業も普及した。 15世紀 前期には、 明や朝鮮に対する輸出品として銅の需要が増えたため、新し あげはま じゅよう い鉱山が数多く開発された。 にしじん はかな とうき 京の西陣や博多の絹織物をはじめ, 麻織物 綿織物 陶器・紙・酒・ 油などの生産が進み, 刀や農具をつくる鍛冶や鋳物業などの手工業もさ かんになった。 特に15世紀後期には、大きな窯の開発に成功した備前・ びんぜん から とこなめ 越前・瀬戸・常滑などで壺や腕などの陶器が大量に焼かれ、全国 信 に出荷された。 商業・流通の 発展 産業の発達につれて商業や流通もさかんになった。 ろくさいいち 市の開催日も増え、仁の乱後には月6回の六斎市 p.110 が一般化した。都市では常設の小売店 (見世物)が増加し、特定の商品だ けをあつかう専門の市場も生まれた。公家や寺社を所とする商工業者 の座も種類や数が増加し,一定地域内での仕入れ・販売の独占権や、領 内での関鈍免除の特権などを本所からあたえられた。 p101 産業や商品流通の発達とともに, 貨幣の流通もさかんになった。13世 せんのう だいせんのう 紀末から, 荘園では年貢の銭納化 (代銭納) が進み, 年貢にかわる銭をえ るために荘園の市場で作物が売却された。 逆に荘園領主は,納入された ばいきゃく たんせん むなべつせん きか によって、必要な商品を市場で購入できた。 また, 段銭棟別銭, 茜 土倉役など、銭納の税も一般化した。 ただし、宋銭や明銭などの渡来銭はつねに不足し、長期の使用による 破損もはげしかったため, 中国福建や日本各地で模鋳された銭が れつあく えりに 利用され始めた。 もっとも,それらの多くは劣悪な銭で, 撰銭 ( 銭の選 だいみょう。 6 別の対象となったので、 商取引が渋滞した。 そこで幕府や戦国大名は, くりかえし撰銭令を出して混乱をおさめようとしたが, 劇的な効果は望 めなかった。 また, そもそも銅銭は重くて運びにくく、 価値も一定しな かわし さいふ かもと やましろ いたくはんぱい。 かったので、為替や割符を用いた代銭納が好まれるようになった。 商品の輸送がさかんになるにつれて, 交通網も発達した。 近江国の大 津・坂本, 山城国の鳥羽・淀など交通の要地で, 馬借など運送業者が活 躍した。 物資の保管や委託販売を業務とする問(問丸) は, 馬借を支配し、 卸売り・運送や商人宿をいとなむ問屋に発展した。 幕府や公家・寺社は, 収入を増やすために多くの関所を設け、 商売物に税(関銭や津料)をかけ ることもあった。 といいま とい せきしょ ⑤機織り 喜多院蔵) 綿布は、 初 , めは朝鮮や中国から輸入されたが, 15世紀末に は、三河地方で綿花が栽培され、 綿織物業も各地 で発達するようになった。 うたあわせ ⑥ 大鋸引き(「三十二番職人歌合』 サン トリー美術館蔵) 大鋸は二人がかり で引く銀であり, 明から伝わったと される。 16世紀の室町通商店街のにぎわ い (「洛中洛外図屏風(上杉本)」 米沢市上杉 博物館蔵) 室町通りは南北に走る. 商家が建ちならぶ目抜き通り。 中央 に都で有名な烏帽子屋がある。 近郷 からの出稼ぎ農民が、 商家の屋根を ふきかえている。 西日本の10余か国に対明用の油 の専 MASTES NUE 油座は, 属し, 石清水八幡宮を本所とし た。 海路や陸路を通じて運ばれ た原料(荏胡麻) から灯油をつく り, 京都の公家や寺社, 各地の 問屋などに販売した。 流通貨幣(一文銭)の種類を限定 したり、 銭貨間の交換比率を定 めたりした。 ⑥ その結果, 銭の現物そのものは 現地に滞留し、しだいに各地で 流通の基準となる特定の銭が選 | 好されていった。 たとえば, 関 丸いらくつうほう 東では永楽通宝、九州では洪武 ■通宝が高い評価をえた。 ① FOLL 3 8t 第3章 ⑦ 明銭と造 明銭の① 洪武通 宝や②永楽通宝などが輸入され, そ れまでの宋銭などとともに1枚1文 として流通した。 日本 中国を問わ ず 民間の模造銭がさかんにつくら れ、日本では, 枝つきの③鋳造銭が 確認されている。 中世社会の展開 107

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