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保健体育 高校生

至急お願いしたいです🙇‍♂️🙇‍♀️ 保健の質問です。次回のテストで次の問題が出るんですけど、まとめ方が分からないのでどこで切り取ればいいか教えて頂きたいです。 【問題】 世界保健機関において、健康についての考え方は変化している、この変化について「WHO憲章」と「オタワ憲... 続きを読む

01 成り立ち ●疾病構造の変化など.p.8 「私 たちの健康のすがた」参照。 p.8 「私たちの健康のすが た」 で取りあげる生活習慣病な ども慢性的な病気といえる。 QOL (Quality of Life) & もいう。 人生において多くの社 会的役割を実行できる能力だけ ではなく、自分の生活への満足 感や幸福感が含まれる。 オタワ憲章としてまとめら れている。 そのため1つの側 面に区分できない 要素もある。 健康の考え方と 1 健康についての多様な考え方 1 WHO憲章での健康の考え方 みなさんは、 「健康とは何ですか」と 質問されたら,どのように答えるでしょうか。 「病気ではない状態が健康」 という答えでよいのでしょうか。 社会の状況などが変化してきたなかで, 料 健康のさまざまなとらえ方 3つの側面は互い 精神的側面 に関連している。 ●身体症状 体力 抵抗力など 身体的側面 さまざまな健康の考え方が生まれてきました。 ダブリュエイチオー 世界保健機関(WHO) 憲章は,1946年に 「健康とは、 身体的、精神的, きょじゅく 社会的に完全に良好な状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないことで はない」と定義しました。 ここでは健康を「病気ではない状態」という消 極的なとらえ方ではなく、 身体的な健康はもちろん, 精神的な状態や社会 的な状態を含めた上で資料 積極的にとらえています コラム。 2 生きがいを重視した健康の考え方 健康について,別の考え方もあり ます。 たとえば、障害や慢性的な病気を抱えていても、人生の目標をもち、 やりがいのある仕事や役割をみつけて、 いきいきとした生活を送っていれ ば十分健康だと考える人もいるでしょう。 このように、1人ひとりが自分 なりの目標をもち, 生きがいや満足感をもった生活を送ることができる状 態 すなわち生活の質を重視した健康観が生まれています。 WHOも 1986年に「健康は生きることの目的ではなく、 より良く生きるための資 源である」と宣言しています。 ●精神症状 ●知的能力 ●満足感 ● 人間関係 ●社会的役割 社会のしくみ など 社会的側面 コラム 権利としての健康 20世紀に入り 人間の生 存そのものへの配慮に対する社会的要求の高まりと予防 医学 公衆衛生の発達とともに、 国民全体の健康を守る 務が国に課せられるべきであるとする意識が強まってきま 3.242 した。 第二次世界大戦後の民主主義の高揚とともに、国際 連合は 「世界人権宣言」を採択し, WHOは、「世界保健機 関憲章の前文で、健康の定義に続き 到達しうる最高基 準の健康を有することは、人種、宗教 政治的理念又は 経済的若しくは社会的条件の差別なしに万人の有する基本 的権利の1つである」 としました。 同様に、 日本国憲法第 25条では、 すべての国民に「健康で文化的な最低限度の生 活を営む権利」を保障し、「国は、すべての生活面について。 社会福祉 社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めな ければならない」と国の義務を述べています。 このように、健康は社会的な権利としてもとらえられて いるのです。 10 15

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世界史 高校生

すんごいお願いします!! 問1〜5を教えてほしいです。 1〜15の答えはこれらだと思います! 1 チャンドラグプタ 2 マウリヤ 3 アショーカ 4 ダルマ 5 クシャーナ 6 カニシカ 7 大乗仏教 8 ガンダーラ 9 グプタ 10 チャンドラグプタ2世 11 ナー... 続きを読む

【4】 古代インドの王朝について、空欄に適切な語句を記入し (「知」)、 問いに答えなさい。 前317年ごろ、マガダ国の武将 (①) が (②) 朝をたてた。 (①) は西北インドのギリシア勢力を 一掃し、アフガニスタン東部も確保した。 また、 デカン高原にも支配を広げ、インド史上最初の帝国 が形成された。 第3代 (③) 王の時代に最盛期に達し、 南端部をのぞく全インドを支配した。 (③) 王 は仏教への帰依を深め、 不殺生や慈悲など守るべき社会道徳 (④、 法) を説き、 詔勅を刻んだ磨崖・ 石柱を各地に作らせた。 また、 仏教教団を厚く保護し、 仏典の編集 (仏典結集) やスリランカ布教を 援助した。 しかし、 (③) 王の死後まもなく帝国は分裂した。 1世紀に、大月氏から自立したイラン系の (⑤) 人が西北インドに (⑤) 朝をたてた。 2世紀の (⑥) 王の時代に中央アジアからガンジス川流域まで支配し、東西交易で栄え、国際色豊かな文化をうんだ。 前1世紀ごろ、 A大乗の改革運動がおこり、 2~3世紀に体系化された。 (⑥) は (⑦) を厚く保護 した。 ギリシア式彫刻の影響を受けた (⑧) 美術とともに (⑦) は中央アジア、東アジアに広がった。 4世紀はじめ、マガダ地方でチャンドラグプタ1世が (⑨) 朝をたてた。 第3代 (⑩) は、 北イン ドの大半を支配し、南インドにも進出した。 (⑨) 朝時代には、インド固有の宗教としてBヒンドゥ 一教が確立し、 インド古典文化が完成期をむかえた。 5世紀にたてられた (⑩) 僧院は、 教学の中心として発展した。7世紀前半にインドを訪れた (⑩) や7世紀後半にインドを訪れた (13) は、 ここで学修に没頭し研鑽を積んだ。 仏教美術では、 (⑧) 様 式とは異なる 「 (⑨) 様式」 が完成した。 日本の (14) 金堂壁画は (⑨) 様式の影響を明示するものと して有名である。 数学・医学・天文学なども発展し、インド数字 十進法 (15) の概念は、イスラー ム圏を通じてヨーロッパに伝わり、 近代科学の発達に貢献した。 7世紀前半、 ハルシャ=ヴァルダナが北インドを統合した (ヴァルダナ朝) が、 王の死後王朝は崩 壊した。 その後、北インドは8世紀から13世紀まで、ヒンドゥー国家が分立抗争する時代になった。 問1 下線部Aの内容を、 それ以前とのちがいをふくめて説明せよ。「思」 問2 下線部Bを50字程度で説明せよ。 「思」 問3、東南アジアにおける、 ア. 中国文化、イ.インド文化の影響を示す例を1つずつ書け。 「知」 問4、東西の交易を説明するときに重要だと考える語句を4つあげよ。 「思」 問5、ア.東南アジアに現在ある世界遺産を1つあげよ。 イ. アがある国名を書け。 「知」 ●

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