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情報:IT 高校生

カについてで、4が答えだったのですが、なぜ3ではいけないのですか? 同じような意味ではないのですか?

問2 次の文章の空欄 I 群のうちから一つずつ選べ。 カに入れるのに最も適当なものを,後の解答 コンピュータネットワークには, LANとWANがある。 WANは, LAN同士を 接続した広い範囲のネットワークで、 専用線方式, 回線交換方式, パケット交換 方式の3種類の回線方式がある。 【パケット交換方式】 【専用線方式】 2か所のLANを直接つなぎ 利用者が回線を占有して使用する方式。 ある 拠点から送り出された信号は、そのまま接続先の拠点まで伝わる。 WANサー ビスやインターネット接続サービスのアクセス回線として利用されることも ある。 データをパケットに分割したうえで,それぞれにヘッダ情報を付加し,異 なる宛先のパケットを同じ回線に混在させて送る方式。 ロ 回線 ロロロ パケット 図3 パケット交換方式のイメージ図 このような方式の違いにより, 専用線方式には I といった特徴が, 回線 交換方式には 0 といった特徴が, そして, パケット交換方式には カ3 といった特徴がそれぞれある。 【回線交換方式】 A支社 B支社 図1 専用線方式のイメージ図 複数の利用者が回線を共有しつつ, 2か所を直接つなぐ方式。 接続が終了 するまで回線は占有され, 次に利用されるタイミングで回線が交換される。 接続できない 図2 回線交換方式のイメージ図 I カ の解答群 ⑩確立された回線は他の利用者による影響を受けない一方で, 回線の使 用時に, 回線を共有している他の利用者が同じ回線を利用することがで きない ① 通信速度が保障され, 安定した接続が確保される一方で, コストが高 くなる可能性がある ② 通信速度が保障され, 複数の利用者が同時に同じ回線を利用すること ができる ③通信速度は低いながらも保障され,コストが安い ④ 通信速度は保障されないが, 複数の利用者が同時に同じ回線を利用す ることができる -4- -5-

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現代文 高校生

愛知医科大学看護学部の公募推薦の過去問です。 答えがないので、答えを出して欲しいです。お願いします🙇🏻‍♀️🙇🏻‍♀️

国 びまん 令和六年度 看護学部学校推薦型選抜(公募制) 基礎学力試験問題用紙 囲 次の文章は、一九九〇年に出版された山崎正和の『日本文化と個人主義』の一節です。この文 章を読んで、後の問に答えなさい。 文化は、これまで国家や民族という観念と強く結びついてきた。そして、人間の歴史を振返っ てみると、不幸なことに国家や民族の自覚はつねに対立抗争の意識とつながってきた。ひとつ の社会のなかで、個人もまたお互いに争うことがあるが、とりわけ国家や民族は、お互いに争う ことで自分自身をつくりあげてきた。その結果として、文化という特性はただの個人の特性以上 に、とかく他者との比較、対立の観点から考えられがちになる。じっさい、今日の経済マサツ や、つい近年までの世界戦争の現実を振返ってみても、ひとが自国の文化、他国の文化をあげ つらうときには、つねに何らかの意味の優越感や、国家主義的な自己主張の意識が伴っていた。 そして、そういう優越感が、たとえば敗戦といった現実によって崩れたとき、今度は極端な自己 卑下が社会に瀰漫するという事実は、多くの日本人の記憶に新しいことだろう。 こうした事情からして、文化論には、1二つの避けがたい危険な傾向が伴っているといわねば ならない。その第一は、過剰な特殊化の危険である。文化を考える場合には、他民族、他国の文 化と比較して考えがちであるので、どうしても両者の共通性よりは、ひとつの文化の異質性を強 調して考えることになる。 つい昨日まで文化的に じっさい、日本の場合、過去の文化論はしばしば民族主義や国粋主義と手を結びがちであった イクセプショナリズム し、アメリカの場合でも、アメリカ文化の「例外主義」という思想が、長らく見え隠れに受け 継がれてきたようである。ユダヤ人の「選ばれた民」の意識、ドイツ人の民族的な使命感といっ たものは、自国の文化を過度に特殊化し、他国との違いを強調することから生まれてきたが、 ③こうした使命感はいったん裏返ると劣等感に変貌する。 高村光太郎という詩人は、若いころフ ランス留学から帰って、日本の国の貧しさとその精神の狭さを嘆いて、「根つけの国」という自嘲 的な詩を書いたことがあった。しかし、彼が本性において強烈な愛国主義者であり、第二次大戦・ 中には過激な祖国讃美の詩を書いたことは、同時代を生きた日本人なら誰もが知る事実だろう。 とかく異文化との劇的な接触は、精神の単純な人物にとっては、自国の文化について過度な自尊 心を誘い出すか、逆に過剰な劣等感を刺激するものであるようにみえる。 そして、いずれの場合でも、そうした特殊化は、個人が自分の存在や行動について振返るとき、 奇妙に気持ちを安らがせてくれる支えになる。自分とは何か、7自己の実質は何かということは、 もともとたいへん難しい問題であり、簡単には答えが出ないものであるが、ひとは生きるために その答えを欲しがりがちである。そのさい、いちばん安易なやり方は、自分がどういう仲間に属 しているかを実感して、それを語ることで自己の中身を言い表わすことだろう。そして、自分 がどういう仲間に属しているかを振返るとき、その仲間の範囲が狭くて、他の集団と対立してい ればいるほど、自分自身の世界のなかにおける位置は明確になる。ここでもまた、文化論のひず みというものは、人間性の悲しい弱さに深く根ざしているといえそうである。 【

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数学 高校生

この教科書の下の問いの答えを教えてください。

17:59 10月13日 (日) 71% 自己とは他者である。 この言葉から、どんなことをイメージするだろうか。 人から余計なお節介でうっとうしいアドバイスをされたりすると、「自分のこ とは自分がいちばんよく知っているから、ほっといてくれ。」と言いたくなる。人 m にはこちらの気持ちなんかわからない。自分のことは自分にしかわからない。そ う思うことがある。 そう思って自分と向き合い、自分自身を捉えようとすると、これが結構 100 自分の ことがよく見えなかったりするのだ。 近すぎてわからないのか、「なんであんなことを言ってしまったんだろう。」「自 分は、本当はどうしたいんだろう。」「なんでこんなにムシャクシャするんだろう。」 と、わからないことだらけ。そんなことになりがちだ。 そうしてみると、いちばん身近であるはずの自分が、実はとても遠い存在なの かもしれない。そのような意味で、自己とは他者であると言うのではないか。そ れも一理ある。 でも、ここではもう一つの意味を考えてみたい。 誰でも自分についてのイメージを持っている。 「自分は何があっても前向きで、笑顔で頑張っていけるタイプの人間だ。」とい" 自己イメージを持っている人もいる。「自分は神経質で、慎重なのはよいかも しれないが、どうも細かなことにとらわれすぎる。」という自己イメージを持つ人 もいる。「自分は人の気持ちがよくわかる優しい性格だ。」という自己イメージを 持つ人もいる。 では、そうした自己イメージは、どのようにして作られたのか。 S 4「いちばん身近であ るはずの自分が、実 はとても遠い存在な のかもしれない。」と は、どういうことか。 閉じる

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倫理 高校生

客問4教えてください!

自己とは他者である。 この言葉から、どんなことをイメージするだろうか。 人から余計なお節介でうっとうしいアドバイスをされたりすると、「自分のこ とは自分がいちばんよく知っているから、ほっといてくれ。」と言いたくなる。人。 にはこちらの気持ちなんかわからない。自分のことは自分にしかわからない。そ う思うことがある。 でも、そう思って自分と向き合い、自分自身を捉えようとすると、これが結構 自分の ことがよく見えなかったりするのだ。 近すぎてわからないのか、「なんであんなことを言ってしまったんだろう。」「自 分は、本当はどうしたいんだろう。」「なんでこんなにムシャクシャするんだろう。」 と、わからないことだらけ。そんなことになりがちだ。 そうしてみると、いちばん身近であるはずの自分が、実はとても遠い存在なの かもしれない。そのような意味で、自己とは他者であると言うのではないか。そ れも一理ある。 でも、ここではもう一つの意味を考えてみたい。 誰でも自分についてのイメージを持っている。 「自分は何があっても前向きで、笑顔で頑張っていけるタイプの人間だ。」とい= 自己イメージを持っている人もいる。「自分は神経質で、慎重なのはよいかも しれないが、どうも細かなことにとらわれすぎる。」という自己イメージを持つ人 もいる。「自分は人の気持ちがよくわかる優しい性格だ。」という自己イメージを 持つ人もいる。 4「いちばん身近であ るはずの自分が、実 はとても遠い存在な のかもしれない。」と は、どういうことか。 では、そうした自己イメージは、どのようにして作られたのか。 5

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現代文 高校生

プラトンにとっての〈わたし〉は、対話の中でプラトンが送り出すロゴスである。 と解答にあったのですが、このことはどこを読めば分かるのですか?

16 望の形態である。それゆえ、「記録」をめぐる手法は常にその時代を象徴する一つのテクノロジーであった。記録は、人々の 記憶を「かたちあるもの」として表現するためのテクノロジーであり続けてきた。ロゴス(言語表現)を用いて「書くこと」; は、「かたちあるもの」として表現するための最も代表的なテクノロジーなのだ。だ <わたし〉と〈他者〉との関係を表現する形態の中で、対話はたぶん歴史上、最も古いロゴス(言語表現)だと僕は思う。 書物や図書館など問題にならないほどの古くて豊かな表現力をもっている。 旧約聖書には、〈わたし〉と〈他者〉という関係が発明された経緯が語られている。中沢新一は、〈わたし〉と〈他者〉とい う関係が神とユダヤ人との「対話」によって始まったとしている。神とユダヤ人との「対話」が始まった瞬間に、〈わたし〉 と〈他者〉との「関係」が定義されたのである。絶対という「関係」が定義されると、世界に意味が与えられる。「対話」に よって、意味が動き始めるのだ。 プラトンはそのような「関係」と「対話」を重視した。書物に問いかけても何も応答がないので、プラトンは神とユダヤ人 がおこなった対話を採用することにした。プラトンにとって、〈わたし〉は、プラトン自身ではない。ソクラテスはもとより、 神になり変わることもできるのだ。対話の中でプラトンが送り出すロゴスは、ソクラテスになったり神になったりしながら生 き続けることになったのだ。 論語やピュタゴラス学派でも、「対話」が重視されている。彼らが殺し文句のように用いる「師曰く」という枕詞は、師の 言葉に服従することを強制しているわけではない。対話を通じて、「師の言葉」を発展させる自由が用意されていることを表 明しているのだ。 5 対話は、「粋な希望」なのである。「有限」としての資料は記述の体系に依存し知覚からは自由であるが、「無限」としての 欲望や想像力は記述の体系から自由になるにつれて、僕たちが持つ知覚の波にさらされ、6のように漂うことに なる。この「有限」と「無限」のとの間の相互作用によって、僕たちは「粋な希望」である対話を実感するのだ。

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現代文 高校生

文章の意味が分かりません。 単語とか調べたものの、筆者の伝えたいこと、 各段落の内容が分からないので分かりやすい言葉で教えてほしいです。 問題の解説が掲載されていないため、漢字問題以外、解説お願いできませんか?🥺 シャーペンが私の、間違っていたとこのみピンクで正解を示して... 続きを読む

off ② ひとひととして向き合い、関係を構築すること自体が稀なことだから。 ⑧ 自立した主体の確立こそを理想とする社会の中で育ってきたから。 ④他者との関係性を損なわないためには、互いに適度な距離をとることが必要だから。 ⑥ 関係だけでなく、個人の能力も自分の本質を為すものとして無視できないから。 五日 (解答番号は、第二間で【古文】あるいは【現代文】 のいずれを選択した場合でも1~35 です。) 第一問 次の文章を読んで、設問 (問1~間10)に答えよ。 ひとりの人間と、彼/彼女が最初に出会うことば 〈言語〉との関係は、自明であり必然的であるというよりはるかに、ある種 偶然と事故によって支配されている。ひとりの人間がその誕生時において引きずる言語的ケイプそのものも、すでに複雑で した経路と水をかかえている。そうだとすれば、ことばの獲得とは、生得的な関係による る種の根源的な喪失とのなかから再発見 再獲得されるなにかであることになる。そのときことばは、私たちの生地ではな なものではなく、あ く、移住地であるのかもしれないのだ。 もしそのように考えることが許されるなら、ことばは私たちの存在を根源的に決定づけるなにものかであることをやめる。こ とばと私たちとの関係のなかに、 な属関係・新有関係を前提としない、旅と移住の運動性が生まれはじめる。こ とばはそれ自体として説明されるのではなく、それが言語的な未発の意識とのあいだに保存する記憶や痛みや欲動のほうから 定義され、そのことによってことばは言語的言語外的な認識によってつねに流動の渦のなかに置き直される。 私たちはみな、自分自身の前言語的な存在のかたちを、ことばという場に住みつかせるのだ。言語を とせずに存在する自分自身というものがあって、それをあらためてことばという異土に移り住まわせる。 そのとき、われわれが な手掛かり ことばを使うという行為は、本来的にすでに移住の行為、移民の行為だということになる。私たちはそのようにして日本語の世 さらにいえば、私たちはそのようにして、日本語話者としての「日本人」へと移民した。 ブラジルでは、ればふつう 「グラフィチ」と呼ばれる。 街路の壁々に描かれた、奔放な落書きのような風刺絵。 そもそもイ タリア語で柱や壁に傷をつけて書かれた「掻き文字」を意味する考古学用語が、日常の街路の壁の落書きをさすことはと 定の業界で仲間内だけで使われる僕。 された「グラフィティ」 (Graffiti)を、そのままブラジルのポルトガル語風に発音すれば「グラフィチ」。この国の街で、グラ フィチはあらゆる通りと路地とに満ちている。消されても消されても、人々は色とりどりのスプレーをふたたび持ってきては、 知らぬ間に家々の、シャッターを呟くばかりの想像力の氾濫によって色と線で埋め尽くしてしまう。 落書きが文字だけであれば、それはふつう「ビシャソン」である。 独特の字体に、特のようなことばの断片が踊り、かぶ 文字が歌やのかたちに変容してきだし、壁の平面に陰影の凹凸が生まれ、ことばに色と風合いとかたちが備わりはじ める。俗っぽいことばや政治的なスローガンを書き連ねる(「ビシャール」=壁に落書きを描く)だけのピシャソンにまじって、 時々はっとするほど時的な数行が、うす汚れた壁面に陥っていることもある。 ブラジルのグラフィチやビシャソンの世界の豊能さを、ブラジルを訪ねるはるか以前に私がはじめて知ったのは、デニス・ テッドロックの詩集『夢の暦の日々』のなかの記述からだった。 ニューメキシコのズニ族や、グアテマラのキチェ族の口承文化 や神話の研究で知られる北米の人類学者・民俗学者テッドロックは、ブラジルのカンピーナス市に滞在して特異な詩集のコウソ ウを練っていたとき、町の落書きのひとつに印象的な詩句を発見する。彼はそのポルトガル語の詩句を、こう写し取ってい VAI-SE A PRIMAVERA QUEIXAS DE PASSAROS, LAGRIMAS NOS OLHOS DOS PEIXES テッドロックが住んでいた家からわずかに二ブロックほど離れた路地に書かれていた、このビシャソンの飛び跳ねる奔放 筆跡を想像しながら、私はすぐに(テッドロックもおそらく気づいていない) この詩句の出自を理解した。 24一般入試A問題 (2024 AG-B-1) 介護は介護する介護されるという立場が明確であり、その主体は介護される者であるため、介護される者が介護とい 関係を受け容れることを待つことしかできない。 介護する者と介護される者の間にひととひととの個別的関係が築かれるためには、それぞれが主体と客体としての役割 をバランスよく果たしつつ、対話の機会を十分に持つ必要がある。 春がゆく鳥の嘆き 涙が魚の目に (行く春や鳥啼き魚の目は mmm はしょう 「奥の細道」の矢立初めの句としてよく知られたこの芭蕉の詩句が、ブラジルの地方都市の路地の壁に優美に踊っているの 想像して、私は不思議な興奮にとらえられた。芭蕉の句が、地球の対地点にまでたどりつく三百年をこえる時の道程のなか で経験した無数の声と文字による橋の過程に携帯用の筆入れと墨壺である立」からとりだされた筆記用具によって 聖の手帖の表面に走った毛筆の軌跡が、時を超えて、南米の植民都市の街路の壁の、スプレーによる躍動する落書きへと転 写されるという、筆跡の機知に満ちたはるかなる旅程に。 このビシャソンとなった芭蕉の句において、過ぎゆこうとする「春」はもはや日本的な春の惜別の感傷を宿してはいない。 ブ ラジルの春とは、いったい植物的な陰喩として測られるものなのか、それとも生き物や食べ物の推移として感知されるものなの か、それすらもはや判然とはしない。 ここで悲しく啼く熱帯の鳥とは? アマゾン川の獰猛な魚の目に溜まる泪とは? 日本語 の Haikaiへと転生するあいだに、ひとつの文化が感情の構造として宿していた意味と感覚の図の が、ポルトガル語の 一体が破れ、異形の、しかしみずみずしい力にあふれた別種のポエジーが、一気に侵入する。 自宅の近くの壁にお気に入りの落書きを見いだしたテッドロックは、たしかにこの時の古典日本的起源を知ることはな かったかもしれない。 しかし「夢の暦の日々」という詩集が示すように、彼はブラジルにおいて経験する日常的な出来事と、そ の反映としての夢のイメージとを、彼がよく知るマヤ=キチェ族の暦の形式に置き換えられた日録のなかに書き込んでいった。 「の」の日にはじまり 「一三の死」の日で一回転する精緻なマヤ暦のなかで自らの日常と幻想とを反することで、彼は近 代世界を統べる日常の時間から離脱し、先住民の生きてきた別種の暦との連続性の感覚のなかに入ってゆく。人類学という実践 そのものが異なる時間性の境界を越えてつかのま生きる実践であり、自らがフィールドにおいて生きたはずの別種の時の充足 ふたたび近代的な時間の支配するアカデミーのなかへと回収してしまう逆説的な行為であるからこそ、人類学はつねに幻影 既存の粋を解ょうヒスコ 夢のを「詩」として、フィールドノートと民族誌の余白に分泌するほかはない。 そして、テッドロックの想像力のなか に堆積した、そうしたヨジョウとしてのポエジーの氾濫が、ポルトガル語となった芭蕉の詩句による無意識のによってうな がされたものであることは、かえって芭蕉の転生としてのビシャソンの力を示している。ハイカイは、ここでたしかに、異土に 移住して別種の「時」と季節を渡りながら、ことばと文字がたどる一つの真実の旅の道程を見事に示している。 ブラジルにおいて、俳句をブラジル時のゼンエイ的な運動へと架橋し、芭蕉の評伝的なエッセイを書いた詩人がパウロ・レミ ンスキーである。姓からも察せられるように、彼の祖父母はポーランド系の開拓移民で、さらに彼の母親には黒人の血統も流れ こんでいた。ポーランド系ムラート〈黒い混血児〉のブラジル人。 この特別のケイフの混合に、レミンスキーは大いなる誇りと を感じていたという。(中略) クリチバという日系人も多く住むブラジル南部の街に生まれ育ち、 「日本」と早くから出逢い、若いときに日本語を習 得したレミンスキーが芭蕉と出会うのは、かならずしも驚くべき偶然とは言えなかったかもしれない、とわかる。そしてポーラ ンド系ムラートのブラジル人によって書かれた、ポルトガル語による唯一の「芭蕉伝」は、やはり「奥の細道」の冒頭における 俳聖の漂泊の心持ちを伝えることからはじまる。 あのビシャソンにもあった「奥の細道」の矢立初めの旬が、ここでも引用さ れているのだ。 レミンスキーによるこの句のポルトガル語ヴァージョンはつぎのとおりである。 primavera não nos deixe pássaros chorum lágrimas no olho do peixe 実験・野心弟で (2024AG-B-3) (2024AG-B-4)

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