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歴史 中学生

空欄の部分を教えてください!できたら書いてあるやつがあっているかどうかも教えていただきたいです!

単元プリント 6 中世~近世 / 20 みなものとよりとも ちょうてい (1) 1185年,源 頼朝が朝廷にせまり,国ごとに置いた役職を何というか。 ばくふ ほうじょう (2) 幕府政治の実権をにぎった北条氏が独占した役職を何というか。 執橋! 後島羽上星 六液羅採験 北条奈時 ごとば ごけにん ごおん (3) 1221年に後鳥羽上皇が乱をおこした際に, 御家人に頼朝の御恩を説 いて結束を訴えたのはだれか。 うった じょうきゅう (4) 承久の乱ののち,西国の武士の統制と,朝廷の監視のために京都に さいごく ちょうてい かん し きょうと 設置された役職を何というか。 ごせいばいしきもく (5) 1232年に武士の法律の見本となる御成敗式目を定めたのはだれか。 ねんぶつ じ しゅう (6)念仏の札を配って時宗を広めた人物を,次から1人選べ。 ほうねん しんらん にちれん 日蓮 いっぺん [法然 親織 一遍) げん しゅうらい (7) 元の二度にわたる日本への襲来を何というか。 かまくらばく ふ けん む しんせい (8) 1333年に鎌倉幕府をたおし,建武の新政を始めたのはだれか。 みん しょうめいしょ (9) 明からあたえられた証明書を正式の貿易船に持たせて行った貿易を 何というか。 10) 応仁の乱後,実力のある者が力をのばし,上の身分の者に打ち勝つ 風潮が広まった。この風潮を何というか。 失印胎買島 下処工 分国法、 コロンでト おうにん ふうちょう せんごくだいみよう (11) 戦国大名が領国の支配のために定めた独自の法律を何というか。 1) たいせいよう とうたつ」 (12) 1492年に大西洋を横断し西インド諸島に到達した人物を,次から1 12) 人選べ。 [マゼラン コロンプス バスコ·ダ·ガマ ] たねがしま ひょうちゃく (13) 1543年,種子島に漂着したポルトガル人が日本に伝えたものは何か。 13) おだのぶなが あづちじょう ざ はいし めんじょ (14) 織田信長が安土城下で行った,座を廃止し,市場の税を免除した政 策を何というか。 (14) とよとみひでよし かたながり たいこうけん ち (15) 豊臣秀吉が刀狩と太閤検地を行ったことで進んだことは何か。 いしだみつなり 風の原の 発動を代 とくがわいえやす (16) 1600年に徳川家康が石田三成らをたおした戦いを何というか。 いえみつ ぶ けしょはっと (17) 徳川家光が武家諸法度に追加した, 大名が1年おきに領地と江戸と を往復する制度を何というか。 (18) 平戸のオランダ商館を長崎の出島に移したことで完成した,江戸幕 府による禁教,貿易統制, 外交独占の体制を何というか。 (19) 17世紀後半に, 上方を中心として栄えた町人文化を何というか。 ひら ど ながさき でじま えと どくせん かみがた ビューリタンを味 水野忠択 200 享保の改革を行った人物を, 次から1人選べ。 |20 たぬまおきつぐ 田沼意次 よしむね まつだいらさだのぶ みずのただくに [徳川吉宗 松平定信 水野忠邦) の

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日本史 高校生

大至急!!!!! 9世紀ころから地方政治が乱れていく理由について 教えて欲しいです🙇‍♀️

ョ入 (『粉河寺縁起 把東 ながからびっ 歳)左の長唐橋 下,右には海の幸 分 息を が利り 濫えめ国 行取 の 横号る守象 法非 藤 公事(→p.56)と こくし ふじわらのもとなが あっせい ぐんじりゃくしょう。 げぶみ の国司の長官藤原元命の圧政に対する農民の訴え(尾張国郡司百姓等解文) おわり たもの。 地方政治の 9世紀になると,政府は租税の実質的な確保を目 こくし 転換と受領 ぎょうせい 的に,しだいに実際の地方行政の運営を国司に任 ふにん せるようになった。その結果,現地に赴任した国司の最上席者に権限 が集中するようになり, 彼らは受領(前任国司から国務を受領した者) とよばれた。一方, 受領以外の国司の地位はその収入だけが目的とさ ずりょう ようにん0 ふゆう れ、現地に赴任しない遥任もさかんに行われるようになった。富裕な じょうごう いなばどう (『因幡堂縁起絵 いなばの 橘行平が因幡 ちょうにん 受領は,成功によって重任したり, さらに実入りのよい国の受領に移 たちばなのゆきひら るようす。 ったりした。 はんでん だいちょう こせき けいちょう 班田が行われなくなり, 課税の台帳となる戸籍· 計帳も作成がとだ 見地には赴任せ 三受けとること。 は、受領も交替 二行かなくなり. 現地の有力者 マ治を任せるよ 2 こく が6 →p.28 えたため,10世紀ごろから, 国術では, 方法をかえて課税するように くぶんでん こう ち なった。まず,ロ分田などの公地を, 期間を定め耕作を請け負う有力 たと みょうでん みょう な農民(田堵)の名前をつけた田(名田,名)ごとに区分し,この田を単 そ ちょう よう ぞうよう 位に,租,調 庸, 雑鑑にかわる, 新しい形で課税した。こうして, →p.29 りつりょう 一紀初めには全 れなくなった。 三初めまで作成 , 女性ばかり 三態とかけはな 課税の対象は,律令体制下での人(成年男子中心)から, 土地(名田中 心)へと移っていった。 15 ふろうにん 有力な農民(田塔)は, 一族とともに農民や浮浪人を使って周囲に撃 でん 田を広げ,広い地域を支配するようになった。受領のなかには, 自己 かこく ちょうぜい →p.56 の収入を増やすためもあり, 過酷な徴税を行った者も多かった。その た。 平安時代以降 ようになる。 ぐん じ ため,郡司や有力な農民は, しばしば受領と衝突し, 10世紀後半から 11世紀にかけて,協力して受領の圧政を政府に訴えることもあった。 あっせい け負う有力農 ニれた。また, k, 当時, 官 20 地方で争乱がおきると, 政府は中央の下級貴族や, かん 武士の誕生 つい ぶし6とうよう おうりょう し ちんあつ よばれた。 地方の有力者を押領使や追捕使に登用して鎮圧 受目であった ら常置とな ち あん しへい し,治安維持にあたらせた。彼らは私兵をひきいてこれにあたり, そ の地方に勢いをのばしていき, やがては都で内裏や貴族の邸宅の警備 じょうち だいり ていたく たきぐち 式士を滝口と も行うようになった。 こうして朝廷の武力としての武士が誕生した。 国家の形成と貴族文化の誕生 しあげる)、 の稲〈正税》 の内に収 稲の出挙) 無きに依一 U事..………… 八日 ·百姓等 し、政府の 郡内の徴税 国司から任

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