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歴史 中学生

歴史の問題でわからないので、わかる方教えてもらえると嬉しいです!

下の (1) ~ (20) の各問いに答えなさい。 (1) 1086年に白河天皇が始めた、天皇の位をゆずって上皇となった後に行う政治。 (2) 平治の乱に勝利し、武士として初めて太政大臣の位についた人物。 (3) 将軍が、 御家人の領地を保護したり、新しい領地を与えたりすること。 (4) 1221年、朝廷の勢力を回復しようとして後鳥羽上皇が挙兵した戦い。 (5) 国ごとに置かれ、 国内の軍事や警察などを担当した役職。 (6) 御家人が天皇の住まいや鎌倉幕府を警備し、戦いが起こったときに命をかけて戦うこと。 (7) 1221 年、後鳥羽上皇が戦いに敗れた後、 鎌倉幕府が朝廷を監視するために京都に置いた役職。 (8) 荘園や公領ごとに置かれ、 管理や年貢の取り立てなどを行った役職。 (9) 代々、北条氏が独占して政治の実権をにぎった、 将軍を補佐する役職。 (10) 1232年 北条泰時が政治の判断の基準を示すために定めた法律。 (11) 源平の争乱をえがき、琵琶法師によって広められた軍事物の代表作。 (12) 東北地方で平泉を拠点に力を持ち、 中尊寺金色堂を建てた一族。 (13) 東大寺南大門に置かれている、 運慶らが制作した力強い彫刻。 (14) 鎌倉時代に始まった、同じ田畑で米と麦を交互に作る農法。 (15) 武士たちが一族や家来を従えて作った、 棟梁を中心とする組織。 (16) 源頼朝が開いた、 本格的な武士の政権。 (17) 1159年に起きた、平清盛が源頼朝に勝って勢力を広げた戦い。 (18) 寺社の門前や交通の便利な所で、月に数回開かれるようになっ (19) 浄土真宗を開き阿弥陀如来の救いを信じる心を強調した。 (20) 平安時代後期に、東日本に勢力を広げた武士の一族。

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歴史 中学生

社会が変化とは、なにがおこっていたのでしょうか?

つんでま 宋や高麗 しばしば 日本で した。 風の文 した。 としな み出 に最 4 教養や才能のある女性が集められ, 紫式部の「源氏物語」や, せいしょうなごん ずいひつ まくらのそうし 5 清少納言の随筆 「枕草子」 などが生み出されました。こうした 女性による仮名文学が多いことも,国風文化の特徴です。 とくちょう それまで唐風だった天皇や貴族の服装は、省略されたり変形 されたりして、ゆったりとした独自のものになりました。 貴族 の住宅は,一つ一つの建物が廊下で結ばれ,広い庭や池が備え しんでんづくり ② 10 られるようになりました ( 寝殿造)。 浄土信仰 貴族は,この世での幸福や社会の安定を願 てんだいしゅう しんごんしゅう って、天台宗や真言宗の祈とうなどにたよ な行事を行っていま 鏡もち 七草がゆ . 盆などは,平安時 です。 この中には 国から伝わって ありました。 りました。 しかし, 社会が変化し, 人々の心に不安な気持ちが あみだにょらい 高まると, 10世紀半ばには, 念仏を唱えて阿弥陀如来にすがり, ごくらくじょうど よう ど しんこう 15 死後に極楽浄土へ生まれ変わることを願う浄土信仰が都でおこ りました。 11世紀になると, 浄土信仰は地方にも広まりました。 巻頭12 ふじわらのよりみち びょうどういんほうおうどう 12 藤原頼通が造らせた, 宇治 (京都府) の平等院鳳凰堂は,このこ ろを代表する阿弥陀堂です。 国風文化の具体例を, 本文からぬき出しまし ぎお 祇園御 学芸術資 1男性貴 した。 ② 室内 なく、 りまし てんじょう 国風文化の特色を 天平文化

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日本史 高校生

黄色で囲んだ②の文章の意味が分かりません 

政期から荘園が増 や収益の豊かな国を与えられた。 とくに鳥羽上皇の時代になると,院の周辺 る。 に荘園の寄進が集中したばかりでなく, 有力貴族や大寺院への荘園の寄進も ふゆふ にゅう 増加した。また,不輪・不入の権をもつ荘園が一般化し, 不入の権の内 容も警察権の排除にまで拡大されて, 荘園の独立性が強まった。 ちぎょうこく いんぶんこく またこの頃には知行国の制度 ② や,上皇自身が国の収益を握る院分国の こくしゅ 制度が広まって, 公領は上皇や知行国主・国司の私領のようになり,院政を 支える経済的基盤となった。 そうへい 大寺院も多くの荘園を所有し,下級僧侶を憎兵として組織し、国司と争い, しんほく しん よ にょいん 神木や神輿を先頭に立てて朝廷に強訴して要求を通そうとした。 神仏の威 ● 上皇は, 近親の女性を院と同じく待遇 (女院) して大量の荘園を与えたり, 寺院に多くの荘 園を寄進したりした。 たとえば, 鳥羽上皇が皇女八条院に伝えた荘園群 (八条院領)は平安時代 ちょうこうどう だいかくじとう じみょういんとう 末に約100カ所, 後白河上皇が長講堂に寄進した荘園群 (長講堂領)は鎌倉時代初めに約90カ所 という多数にのぼり それぞれ鎌倉時代の末期には大覚寺統 持明院統 (p.120) に継承され, その経済的基盤となった。 ② 上級貴族に知行国主として一国の支配権を与え、その国からの収益を取得させる制度。知 もくだい 行国主は子弟や近親者を国守に任じ、現地には目代を派遣して国の支配をおこなったが,これ ほうろく は貴族の俸禄支給が有名無実化したため、その経済的収益を確保する目的で生み出された。 こうふくじ ③ 興福寺の僧兵は奈良法師と呼ばれ、春日神社の神木の榊をささげて京都に入って強訴し, えんりゃくじ なん やまほうし 延暦寺の僧兵は山法師と呼ばれ, 日吉神社の神輿をかついで強訴した。 興福寺・延暦寺を南 と ほくれい 都・北嶺という。鎮護国家をとなえていた大寺院のこうした行動は、法によらずに実力で争う という院政期の社会の特色をよく表わしている。 1. 院政と平氏の台頭 89

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