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古文 高校生

この古文の、カギカッコの組み合わせ(?)がどうなってるのか全く分かりません… 教えてください…🙇‍♂️

第3問 次の文章は、「浅茅が露」の一節である。甲納言は、かつって方違えのために泊まった宇て い契りを結んだが、その後、中納言が再び訪れると、女性は行方知れずになっていた。その頃、中納言の親友である三位の中将 は、母を亡くした子どもをふとしたことから引き取ることとなった。本文は、「三位の中将が、子どもの母の形見の品を受け取っ た後の場面から始まっている。これを読んで、後の問い(問1~5)に答えよ。(配点 0) (一時) 衛門につけ奉りて養ひ奉るに、うつくしく見え給ふを、尼上も、「うつくしき者まうけたり」と、よろこび給ふことかぎりな (注4) 中将殿も、こはいかなる人にかとかなしみ給ふに、この形見とて添へたりしものを見給へば、白き色紙十枚ばかりに、絵、 (&平) 葦手などの、いとめでたきを描き集めたるに、あはれなる古言、新しきも、同じ筋にしわざとならず書きすさみたり。(ありし西 r「 じや の京の家も描きたり。手もいと上手づき、絵の描きざまも、「いかばかりなる人ならん」と、あはれに、涙とどめがたく見給ふ一 ビ に、奥に巻き込めたるは笛なりけり。 「誰ならん」と思すに、殿の二位の中将の、朝夕愛し持ち給ひし、しるしことなる笛なり。「こはいかなることぞ」と、あやし く、驚かれ給ふに、「この児の顔の、言ひ知らずはなばなとうつくしき、かをりたるほど、4いとよく思ひよそへられたるは、一 (の) かくなりけり。いかなる隈にかかる形見をとどめおきて知らず顔にてさすらへ給ふらん」と、言ひ出でて気色も聞かまほしく思 せども、『契り深くてあるらんに、わがものにしてや生ほしたてまし。今は起きかへりなどして、何心なくうち笑み給へるうつ くしさなど、見奉る人もすずろに涙ぐまるるを一左の大臣の姫君の《ただならずと聞きしを、生まれ給ひなば、いづくよりとも なくて、いと気劣りてあらんこそいとほしからめ」と、『ぞれより先に、かくとや知らせ奉らまし」など、やすらひ給ふに、中」 納言殿は、はかなくて暮れぬる年を思し続くるに、垣間見せし方違への夜、思ひのほかなりし火影よりはじめ、はかなかりける 契りのほどを思し続くるに、これしもかうおぼゆるも、口惜しかりける身の宿世かな]と、つくづくとながめ給ひて、 r こ 1 -0 7 x 契りをばいかにむすびて山の井の雫ににごるもの思ふらん」 へdに 池の氷閉ぢかさね、立ちける駕鷺のつがひも、下安からぬ思ひすらんなど、見出だし給ふほどに、三位の中将おはしたり。「こ」 あらんとて、置きて侍りと聞きて侍るに、これなん母の形見とて添へたるものの侍るが、笛にて侍りと申ししを、あやしくて、 T日取り寄せて見 候ひしかば、見し心地のし侍り。まことや、もしさることも思しよる」とのたまふに、あやしく、御心にか かる笛のことなれば、「思ひ分くことは侍らねど、たづねまほしき笛になん侍る。かれを見候はばや。児はいくつばかりに侍る一 らん」とのたまふに、「十月ばかりとかやぞ申し侍りし」「いま、笛のしるしまことならば、聞こえさせ侍らん。かへすがへすゆ かしくなん」とのたまへば、たち返り参らすべきよしのたまひて、出で給ひぬ。心もとなく待ち給ふに、やがて奉り給へり。見 給へば、まがふべくもなきそれなり。まぎらはしたる色紙の手習ひ、絵なんどの筆の流れ、墨つきまで、なべてにはありがたき 1 衛門||三位の中将に仕える女房の一人。 (金) 尼上|三位の中将の継母。 ;し幸体の一つで、文字を絵画化して書いたもの。 りけ!ここがあった。引き取った子ども一 第三番目の の児のことを言ひ出でまし。また、契り浅からねばさてもやあるべき」なんど思ひ給へど、「これほどの契りなれば、聞き給ひ て、しのびこめけるよなんど、心おき給はむもあいなし」なんど思して、「まことは、あゃしきことの侍るを、聞こえあはせん

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歴史 中学生

空いてる所分からないので教えて欲しいです🙇‍♂️

まとめましょう。 その人物がどんなことをし 知り、 平安時代に生まれた,日本を代表するすぐれた文学作品などを覚えましょう。 写真·絵でチェック) 奈良·平安時代に活やくした人々 (①·® · のには,それぞれ左 の写真·絵の人物名が入る は仏教を広める一方,道路や橋,ため池など をつくる土木工事を進め,人々からしたわれていた。大仏 だいぶつ づくりを進める2 は,最初はOの活動 そう をおさえていたが、後に高い僧の位をあたえ,協力を求めた。 だいじょう 武士としてはじめて太政大臣になった3 は、 ふじわら 藤原氏と同様にむすめを天皇のきさきにするという方法を用 ひょうご いて,一族で重要な地位を独占した。また,③ は兵庫の港 こうべ にっそう (神戸市)を整備して日宋貿易を進め, 大きな利益を得た。 ひらいず。 みなもとのよりとも 兄の源頼朝の挙兵に,平泉からかけつけた 原 名 だんのうら へいし やしま いち の たに は,一ノ谷の戦い,屋島の戦いで平氏を破り,壇ノ浦の戦い て平氏をほろぼした。やがて,頼朝と対立して平泉に身を1 くしたが,自殺に追いこまれた。 テーマでチェック)平安時代に文学で活やくした人々

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歴史 中学生

このページ分からないので教えて欲しいです🙇‍♂️

しょう。 テーマでチェック 日中関係と日朝関係 ○遣唐使 当時の航海術が未発達であったため, 唐の高僧管 は、6度目の航海で帰国する遭唐 使船に乗り,日本にたどりついた。 の|は日 ald リっしゅう 本に律宗を伝え,2 を建てた。 の遺唐使船 遣明船 むろまちばくふ ムん 室町幕府の将軍の は,明と貿 易を開始し、正式な貿易船には明からわたされ たの をあたえた。 朝鮮通信使 O遣明船 すでに15世紀より朝鮮から使節は来ていたが, しんりゃく だんぜつ の朝鮮侵略によって断絶し てしまった。1607年に が朝 の淀川を航行する朝鮮通信使の船 朝鮮通信使はこの船で京都へ行き, そこから東海道で江戸にむかった。 鮮と国交を結び,朝鮮通信使がの を おとずれるようになった。 ○韓国併合 ||90 年の韓国併合で, 日本は韓国を植民地とし,朝鮮と 改めた。1936年のベルリン=オリンピックのマラソンで優勝し ソン キ ジョン た孫基禎選手は朝鮮人でありながら, 胸に日の丸をつけなけれ ばならなかった。このような植民地支配は, 1945年に日本が せんげん こうふく ほくい ポツダム宣言を受け入れて降伏して終わった。しかし, 北緯38度 せんりょう 線をさかいには北をソ連に, 南をアメリカに占領され, 1948年に ひょうしょうだい は北に朝鮮民主主義人民共和国, 南に が成 0表彰台の孫基禎選手 朝鮮の新聞は抗議の 意味で日の丸をかくし 立し,二つの国に分かれたまま現在にいたっている。 た写真をのせた。 75

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古文 高校生

この話の日本語訳とか文法の説明とか載ってるサイトとかclearのノートあったら教えてほしいです🙏 訳がなくて困ってます

S SSで 可 粟田讃岐守兼房といふ人ありけり。年ごろ、和歌を好みけれど、よろしき歌もよみ出ださざりけれ ば、心に常に囚麻呂を念じけるに、ある夜の夢に、西坂本とおほゆる所に、木はなくて、梅の花ばか り雪のごとく散りて、いみじく香ばしかりけり。心にめでたしと思ふほどに、かたはらに年高き人あ T m り。(直衣に薄色の指貫、紅の下の袴を着て、なえたる烏帽子をして、烏帽子の尻、いと高くて、常の 人にも似ざりけり。左の手に紙を持て、右の手に筆を染めて、ものを案ずる気色なり。あゃしくて 州 「たれ人にか」と思ふほどに、この人いふやう、「年ごろ、人麻呂を心に懸け給へる志深きによりて、 形を見え奉る」とばかりいひて、かきけつゃうに失せぬ。 夢覚めてのち、あしたに絵師を呼びて、このありさまを語りて、書かせけれど、似ぎりければ、た びたび書かせて似たりけるを、宝にして、常に礼しければ、そのしるしにやありけむ、さきよりもよ ろしき歌、よまれけり。年ごろありて、死なむとしける時、白河院に参らせたりければ、ことによろ ロー0。 J こばせ 給ひて、御宝の中に加へて、鳥羽の宝蔵に納められにけり。 Sのだい4 あきす や 六条修理大夫顕季卿、やうやうにたびたび申して、申し出だして、信茂をかたりて、書き写して あやみや DR せvあき 持たれたりけり。教光に讃作らせて、神祇伯顕仲に清書させて、本尊として、はじめて影供せられけ コ4 マ る。時に、婿たち多けれども、その道の人なればとて、俊頼朝臣ぞ陪膳はせられける。さて、年ごろ、 影供をおこたらざりけり。 がさ4。 ト N 末に長実、家保などをおきて、三男顕輔、この道にたへなりければ、譲り得たりけるを、院に参ら せたりける時、御感ありけるを、(長実、御前に 候ひけるが、そねむ心やありけむ、「刀人麻呂の影、そ J コ れ益なし。めづらしき文あらば、色紙一枚には劣りたり」とつぶやきたりければ、院の御気色かはり て悪しかりければ、立ちけるを召し返して、「なむぢはいかでか、わが前にてかかることをば申すぞ。 3。 みなもと夢より起こりて、あだなることなれど、黒房、さるものにて、ことのほかにうけることはあ らじと思ひて、われ、すでに宝物の内に用ゐて、年ごろ経にたり。なむぢが父、ねんごろにこれを営 みて、久しくなりぬ。かたがた、いかでかをこづくべき。かへすがへす不当のことなり」とて、いみ 5. じくむつからせ給ひければ、はふはふ出でて、年なかばばかりは門さして、音だにせられざりけり 6 これにつけても、かの影の光になりにけるとなむ。 (『十訓抄」による) 〈注〉粟田讃岐守兼房 藤原兼房。平安時代の歌人 人麻呂 柿本人麻呂 現在の京都市左京区 白河上皇 現在の京都市伏見区にある白河院の鳥羽離宮 <条修 人顕季卿 藤原顕季。平安時代の公卿、歌人

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