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歴史 中学生

受験生です(中3 歴史の並べ替えの問題が苦手なのですが、どのように覚えるのがおすすめですか?? 時代ごとに並べて暗記(赤シートとか)するのは効率的ですか〜??💦

がんじん けんとう し (2))Bは奈良時代 (710年~794年)にあたる。ウの唐の僧の鑑真が,遣唐使にともなわれて 来日し,寺院や僧の制度が整えられたのは8世紀中ごろの奈良時代のことなので, ウが適当。 アの唐風の文化を基礎とした日本の風土や生活に合った独自の文化とは国風文化のことで、 9世紀終わりごろから発達した。イの小野妹子などが遣蹄使として派遣されたのは飛鳥時 代のできごと。工の最澄と空海は9世紀の初めに遭唐使とともに唐にわたり,平安時代初 期に仏教の新しい教えを日本に伝えた。 こくふう おののいもこ けんずいし あすか さいちょう くうかい へいあん はくすきの え ペクチェ 3白村江の戦いは 663年。百済からの救援要請により, 日本は白村江に大軍を派遣したが, はくそんこう くだら なかのおおえのおう じ てん じ てん 唐と新羅の連合軍に敗れた。唐や新羅の脅威に備えて, 中大兄皇子は防備を固め, 天智天 のう しらぎ さかのうえの た むら ま ろ せい い たいしょうぐん 皇として即位し, 律令国家をめざした。 ②坂上田村麻呂が797年に征夷大将軍に任命され、 (CG 中央の支配に従わない東北地方を次第に平定していった。 ①遺唐使は, 唐の勢力が9世紀 びょうどういんほうおうどう になると衰えたため, 菅原道真の提案により, 894年に停止された。 ④平等院鳳風堂は11 すがわらのみちざね じょう ど しんこう あ みだ よりみち 世紀に浄土信仰 (阿弥陀信仰) が広まるなか, 藤原頼通によって建てられた。よって, エ の3→②→① ④が正解。

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日本史 高校生

1️⃣と2️⃣の答えを教えて欲しいです!🙏🏻´-

ロ エ 共通テスト対策正誤判定問題演習 1 次の各文の下線部には1か所ずつ誤りがある。その番号を指摘し, 正し い語句に訂正せよ。 A 仏教は、「上宮聖徳法王帝説」 や『O元興寺縁起」によれば, 0552年に③百済の ④聖明王からもたらされたという。 正しい語句 せいめいおう A 22 すうよつ 大臣の0蘇我氏は, 一族が擁立した②飲明天皇とともに仏教導入を主張し, ③崇仏 日 派と対立した。 G 子 1 ん 日 C 0蘇我氏は渡来人と結んで, 斎蔵内蔵 大蔵の@三蔵を管理することでヤマト 政権の8軍事面を握り、台頭したと伝えられる D 孝徳天皇の新政府には、 O内大臣として中臣鎌足が, 国博士には受と@高向玄 理が登用され, また都は飛鳥から0難波に移された。 E 0Z巳の変で退位した②皇極天皇は,のち斉明天皇として③称制した。 F 斉明天皇の時代には, ①太平洋側に築かれた②淳足·磐舟柵を前線基地として、 ③阿倍比羅夫が違遠征を行い, 北方の蝦夷との関係が結ばれた。 G 白村江の戦いに敗れた後,中大兄皇子は0近江大津宮に遷都して即位し, 最初の 戸籍である②庚寅年籍と最初の令である③近江令をつくったといわれる。 H 天武天皇の死後, その皇后は実子の草壁皇子の皇位継承のため, 0大津皇子を減 ぼした。その後, 草壁皇子が病死し, 草壁の子でのちの②聖武天皇が即位するまで 持統天皇として皇位を継いだ。 ヨ 1 1 を からね。 9 なかのおおえのみ おうみおおのみや ミ 7世紀後半の諸政策について述べた文として正しいものはどれか。 2 [15 センター追試 17 センター本試) 0 飛鳥の地に, 西大寺や大官大寺などの大寺院が建立された。 ② 最初の全国的な戸籍である庚午年籍がつくられた。 ③ 冠位十二階が制定され, 豪族が新たな身分秩序のもとに再編された。 0 豪族に官吏としての心構えを説く憲法十七条が制定された。 a 1 生齢明昭 淀

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現代文 高校生

問4と問5の解説お願いします。 答えは④,①です。 わかる問題だけでも構いません。

0コ0コ ロロ同 のようなテーマが彼らにとっては全く「中立」に映らないだろうということです。もし私たちにとっ でその主題が「中立的」に見えるとしたら、それは私たちが「民主主義は当然のこと」という価値観 が普及した地域にいて、他の価値観をさほど想定せずに済んでいるからです。 理系が関わる例でも事情は変わりません。一九七○年代~八○年代の日本では、環境問題を研究テー ーマに選ぶ理系学生は民間企業での就職が大変になるといわれていました。マジョリティが環境問題」 に関心がなかった時代、敢えて環境に関心を持つことは「偏ったこと」とみなされかねなかったので」 す。現代ならこの感覚はむしろ逆でしょう。 「地球環境を気にかけること」も「民主主義を自明視すること」も、それぞれ一つの価値観であり、 政治的信念の一種です。ただ、その価値観がマジョリティにとって一般的になっている時代、地域で一 はそのことが目立たないだけです。 の うん。 もちろん、「テーマの選択が政治性を持つ」ことは仕方ないにしても、それは研究の過程に政治性が一 入り込むこととは違うのではないか、という指摘は可能です。 たとえば、公害問題や、歴史上の虐殺事件といった問題に対し、ある組織や人物にとって不利にな」 る証拠を隠蔽した上で論文を書いたとしたら、それは「政治的」かつ「党派的」なデータの隠蔽です し、研究不正に等しい行いです。 論争になりやすいのは逆のケース、すなわち証拠として用いる材料を広げる場合です。たとえば、 教育を受けた役所の人間が残した文書記録や、定量的に計測可能な証拠といった従来も用いられてい た判断材料だけではなく、知的障害をもつ人の数十年前の記憶や、コンピュータによるシミュレーシ ョンなど、確実さにおいて劣る要素を持ち込む場合、前者は「実証的」だが後者は違うとして、拒否」 されることがあります。そして、そのような不確かなものを研究の材料に使うのは、政治的な意図が あるからだと。キュウダンされたりするのです。 事例ごとに事情は違うので、一般化は困難なのですが、科学史を踏まえて私が思うのは、どちらか といえば、検証する対象を増やす方が、検証の厳密さを求めてそれを避けるよりは実りが多いのでは一 ないかということです。 1101八年現在、日本では過去の優生政策により障害者に対する強制的断種手術が行われたことが 問題視されていますが、これも最初は当事者の証言を真剣に聞き、証拠となる資料を探した歴史家の一 努力がありました。また、地球温暖化問題が前世紀半ば、最初に話題になったときには、それがシミ ユレーションに基づく推論であることが問題視されましたが、現在はそうした手法が科学的推論の一 (ahsg) つとして認知されています。 以上のことを踏まえるならば、むしろ、「複雑な対象を前にして、価値中立を掲げることが持ちうる 政治性」こそが念頭に置かれなければなりません。すなわち、マジョリティの価値観に浸っているた一 めに自らの政治性が自覚できていない状態のことを、「中立」という名で呼び変えていないかどうかを、 改めて問い直す必要があるでしよょう。 それに加えて、人間の理性の限界という問題もあります。実際、本人は真剣に研究をしている場合 でも、無意識のバイアスで、ある証拠を完全に見逃し、自分の論点を支持する証拠ばかり集めるとい うことがありうるからです。一世紀において、女性の知性が男性に劣るとの見解を出したいくつか の研究には、明らかにこのような傾向がみられました。 司寺に言えるのは、「学問は現実の対象に近づくほど不可避の政治性を帯びる」ということを踏まえ vそれでも「学問的方法論に根ざして言葉を紡ぐことの大切さです。物理学のような法則定立的な方一 AuDろ、歴史学のような個性記述的な方法にしろ、定量的な社会学のようにその中間的なものにし Lo、それは世界を認識する異なったやり方として、数世代にわたり様々なテストを生き残り、受け継 がれてきた人類の遺産なのです。

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