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古文 高校生

古典が苦手すぎて全然わからないので、教えて欲しいです。

重衡と女房の別れ 敬意の方向 平重衡(中将)は源氏方に捕らえられたが、思いを交わしていた女房に手紙を 送った。女房は混涙に暮れて返事を書き、その手紙が重衡のもとに届けられた。 見しまねう、 政時持ちて参りたり。また守護の武士ども、「見まらせん」と申せば さし上げる(き粒) 見せてげり。「苦しうも候ふまじ」とて参らする。 中将、文を見給ひて、いよいよ思ひや増さり給ひけん、土肥の次郎に向 かひてのたまひけるは、「年ごろあひ知りたる女房に対面して、申したき ことあるは、いかがすべき」とのたまへば、実平なさけある者にて、「まs ことに、女房なんどの御ことにてわたらせ給ひ候はんには、何かは苦しう 候ふべき」とて許したてまつる。中将、なのめならずよろこびて、人の車 を借りて参らせ給へば、女房、取るものも取りあへず、いそぎ乗りておは したる。縁に車をさし寄せて、「かう」と申せば、中将車寄せに出で向か ひ、「守護の武士どもの見たてまつるに、下りさせ給ふべからず」とて、0 すだれ 車の簾 をうちかづきて、手に手を取りくみ、顔を顔に押しあてて、しば し物ものたまはず。 (注) *政時…以前重衡に仕えていた従者。 *土肥の次郎…源頼朝の重臣。「実平」も同じ。

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日本史 高校生

39の(1) 1、(3) 40の(1)②、(2) が分かりません。 お願いします!!

した。この間,元は日本に朝貢を要求したが,執権( 3 )が拒否したため, その後継者は大帝国を建設した。1258年に朝鮮半島の( 1 )を征服し, )の時代には,都を大都(北京)に移して国号を元とし,南朱を滅ぼ 1 o男 だいと ペキン なんそう 2 武勇に ちょうこう 3 74年と1281年の2度にわたり,元軍は日本を攻めた(蒙古襲来(元冠)。 の襲来をしりぞけた幕府は,西日本一帯に支配権を拡大し,それに伴い げんこう O1274年 a 北条氏の勢力もますます強まった。 (1) 文中の( )に適する語句を書け。 (2) 下線部aについて, 次の問い に答えよ。 ① 1274年と1281年の元軍襲来 をそれぞれ何というか。 2 右の絵は,この時奮戦した 肥後の御家人が描かせた絵巻 物の一部である。何というか。 ③ 幕府は九州北部の警備のため, 九州の御家人に何を課したか。 ④ 1274年の襲来後,鎌倉幕府は再来襲に備えて,博多湾沿いに何を築か b 1281年 C 2 3 の当主 家臣 はか た 2御家人 せたか。 (3) 下線部bについて, 九州地方の御家人の統率· 政務裁判を行うために 設置した機関を何というか。 (4) 下線部cについて, 次の問いに答えよ。 0 北条氏の嫡流の当主を何というか。また, この当主の家臣を何というか。 2 執権北条貞時の時に, 内管領の平頼綱と争って滅ぼされた有力御家 人は誰か。また,この事件を何というか。 3 0の当主やその家臣などが幕府を主導した政治を何というか。 事件 ちゃくりゅう さだとき うちかんれい たいらのよりつな 40 2 40 幕府の衰亡 次の問いに答えなさい。 (1)右の史料を読んで, 次の問いに答えよ。 0 この法令を何というか。 2 傍線部は, 1232年に制定された法令の規定を さすが,この法令を何というか。 3 史料中の口に適する漢数字を書け。 の 0の法令は,どのような人々の窮乏を救うた めに出されたか。 6 の人々が窮乏した原因は主に3つある。1 つは元冠による恩賞の不十分さであるが,他の 2つの原因は何か。簡単に書け。 (2) 鎌倉時代後期になると,女性の地位は低下し始 め,相続方法も変化した。どのように変化したか。 「一期分」の説明も含めて, 簡単に書け。 13) 畿内やその周辺に鎌倉末期頃から現われ始めた, 幕府·荘園領主·国司に従わず, 年貢の横領や納入の拒否などをする新興 武士を何というか。 紀記き 3 | の の を井 は1 本下けぐ は 之。 第団 いち ごぶん の の 1、質券売買地の事 仁五年三月六日 右、地頭·御家人の買得地に於ては、本条を守 | ペし り、 箇年を過ぐる者は本主は取返すに及ばず。 非御家人拝びに凡下の輩の買得地に至りては、年 (『東寺百合文書」)

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現代文 高校生

高階秀爾さんの『オブジェとイマージュ』において 右のページ16行目の「その最も平凡な、最も一般的な意味」とはどう言う意味ですか? 「しかしここでは」と言うことは「もちろん」以下の内容ではないと言うことですよね?

絵画とを決定的に分けるものなのである。 2 (現実の世界と深い関わり合いは持ちながら、現実の世界とはまったく別の、いわば実 で - 体を持たない「影」の世界としての絵画の特性;それを我々は「イマージュ」の世界と 1 イマージュ image (フランス語)。 呼ぶことにしたい。それに対し、先ほどから「実物」という言葉で表してきた現実のも N のの世界、それは「オブジェ」の世界と呼んでもよいものであろう。 2 2 オブジェobjet(フラー ンス語) 和ちろんイマージュとかオブジェという言葉は、人により、場合により、さまざまな 意味に使われる。現代美術においてオブジェといえば、普通、単にどこにでも転がって 3 ベルグソン Henri-Louis Bergson (1八五~1四1)。フランス の哲学者 4 サルトルJean-Paul Sartre(1504~一次0) 。 フランスの文学者,哲 いる「もの」ではなく、何らかの形で日常的価値を離れた造形的意味を持った「もの」 寸 けい じ じょうがく という特殊な存在を指す。また、ベルグソンやサルトルが、形而 上学ないしは心理学 の用語としてイマージュというとき、それは知覚の領域、ないしは想像力の領域におけ る特殊な存在を意味する。しかしここでは、オブジェもイマージュも、その最も平凡な、 最も一般的な意味で用いることとする。オブジェとは、その語源からも明らかなように、 我々の働きかけや運動に対して「投げ出されたもの」であり、我々を取り巻く外界のさ 5 ジャック·マリタン まざまの「対象」、「客観的存在」であり、ジャック·マリタンが「芸術と詩における創 Jacques Maritain(I<<) ~一聖三)。フランスの哲 学者。「芸術と詩にお ける創造的直観」は一 九五三年刊。 造的直観」の中で、芸術家の「自己」に対してその「自己」が働きかけるあらゆる存 o 在という意味で呼んだ文字どおりの「もの」の世界である。Cイマージュは、 ルネ·ユイ 6 ルネ·ユイグ René グが「見えるものとの対話」の中で二十世紀を「イマージュの文明」の時代と規定した Huyghe(150K~一九九モ)。 フランスの美術史家· 随筆家。「見えるもの との対話」は一九五五 ような意味での視覚的映像の世界であり、重さも、厚みも、質量も持たない二次元の色 と形の世界である。オブジェが人間の触覚的働きかけを受けとめるものとすれば、イマ 年刊。 ージュは人間の視覚的働きかけを受けとめるものであるといってもよい。 とすれば、我々人間は自己自身も含めて無数のオブジェのただ中にあって、それらの一 オブジェを主としてイマージュの形で把握している存在ということになる。もちろん、 っない。聴覚も、味 「オブジェを主として イマージュの形で把握 している」とは、どう いうことか。

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