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日本史 高校生

学校の日本史でこのプリントを貰ったのですが、空白に何が入るのかわからないので教えて欲しいです!

R AA CO 【律令国家の文化】 NO.15 (4) 国家仏教の展開 ① (1) 鎮護国家思想 政界・社会の動揺を仏教の思想で鎮める→国家仏教 a. (2聖武 天皇による大事業 国分寺建立の詔 (741) 国ごとに僧寺 尼寺の建立 大仏造立の詔 (743) →(3 開眼供養 (752 孝謙天皇) b. (4鑑真) 6度目の渡航で日本へ入り, 日本に戒律を伝える (754) 国家仏教の展開 c. 現世利益 仏教の日本社会への浸透 d. 16 神仏習合 〕思想 日本古来の神祇信仰と仏教信仰の融合 じょうじつ ほっそう くしゃ けごん ② 教義研究 16 南都六宗 〕 三論・成実・法相・倶舎・華厳律の各宗 ③ 社会事業(光明皇后悲田院(貧窮者孤児を収容) 施薬院(施薬治療施設)設置 (行基) 政府の弾圧の中, 民間布教 社会事業に尽力 (のち大仏造立に協力) (5) 天平の美術 新金岡市中 て ① 建築 〕法華堂・転害門・正倉院宝庫(校倉造) (10 唐招提寺金堂・講堂 がっこう ② 彫刻 a. 塑像 [9 日光・月光菩薩像 東大寺]法華堂(不空羂索観音像 b. [12 乾海 ]像[ ]法華堂不空羂索観音像[10]鑑真像・興福寺八部衆像 ③絵画 薬師寺 (13 吉祥天 らでんしたんのごげんびわ んくんろ しっこへい ④ 工芸 正倉院宝物 (螺鈿紫檀五絃琵琶・銀薫炉 漆胡瓶など) (14称徳恵 天皇の発願で制作 印刷した陀羅尼経を小塔に入れ, 十大寺に納める a. 4 律令国家の受容 (1) 平安遷都と蝦夷との戦い えみし ※桓武天皇の二大事業 軍事 (蝦夷征討) と造作 (平安京造営) だに 百万塔陀羅尼 現存最古の印刷物 ① 平安遷都 寺院勢力からの脱却, 人心の一新, 軍事・交通上の便 a. [15 長岡京 784年遷都→藤原種継の暗殺→造営中止 b. 平安京 (16 の建議で794年遷都 []像 正倉院鳥毛立女屏風 過去現在絵因果経 ※平安時代 (平安京遷都~鎌倉幕府成立) これはりのあざまろ ② 東北経営 伊治告麻呂の乱 (780) などの反乱→支配強化へ 797 征夷大将軍に (17坂上田村麻呂)を任命 802 [18 b. (26 胆沢城の構築、蝦夷の族長阿弖流為が帰順 鎮守府を [19 多賀城]から[18胆沢へ移す b. 兵制改革 [21 c. 班田制の励行6年1回 [22 ② 嵯峨天皇(在位809~823) [23 嵯峨天皇,蔵人所を設置し [24 * [25 7~9世紀頃の東北経営 城柵 国府 平安京遷都直後 ( 9世紀初期) T |奈良時代中期 (8世紀中頃) | 大化の改新 直後の 支配領域 (7世紀中頃) 2 羽 (708) (648) © BUON [浮足樹] (647) 後 □]の設置 国司の交代を監察し不正防止 解由状の審査 の制(792) 郡司の子弟などで組織 ] 年1回(一紀一班) (759) [秋田城] (733)。 出 百万塔陀羅尼 る (803) 志波城の設置 前線をさらに北上 (802) 陸奥 18 ③ 徳政相論 (805) 二大事業継続を主張する菅野真道と批判する藤原緒嗣の論争→二大事業は停止 りょうげのかん (2) 平安時代初期の政治改革 令外官の設置 (令の規定外の官職) ① 桓武天皇(在位 781~806) a. [20 (724) Man 鎮守府の移転 (19 |鎮守府の設置 伊治皆麻呂の乱 辺境の要地以外の軍団と兵士は廃止 雑搖を年60日 30日に軽減 公出挙の利率5割→3割 ちょう そ 〕 (810) 藤原藥子・仲成が平城太上天皇の重祚を策し失敗→式家没落 ]に藤原冬嗣ら任命→北家台頭の契機 ] 〕 (810) 天皇の機密事項を扱う 〕 (816) 治安維持, 訴訟・裁判 (六衛府・弾正台・刑部省等の権限を集中) 当テスト 僧氏 20

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現代文 高校生

できたら、答えまたは考えを聞かせて欲しいです、またこうした方がいいなどということがありましたら教えて欲しいです

作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた。」と書いた。しかし、下人は 格別どうしようという当てはない。 ふだんなら、もちろん、主人の家へ帰るべきはずであ る。ところがその主人からは、四、五目前に暇を出された。前にも書いたように、当時京 都の町はひととおりならず衰微していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、 暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを 待っていた。」と言うよりも「雨に降りこめられた下人が、行き所がなくて、途方に暮れて いた。」と言うほうが、適当である。そのうえ、今日の空模様も少なからず、この平安朝の カチンチマンタリス 下人の Sentimentalisme に影響した。 中の刻下がりから降り出した雨は、いまだに上がる 気色がない。そこで、下人は、何をおいても差し当たり明日の暮らしをどうにかしようと していわばどうにもならないことを、どうにかしようとして、とりとめもない考えを たどりながら、さっきから朱雀大路に降る雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。 雨は羅生門を包んで、遠くから、ざあっという音を集めてくる。 夕闇はしだいに空を 低くして、見上げると、門の屋根が、斜めに突き出したの先に、重たく薄暗い雲を支え どうにもならないことを、どうにかするためには、手段を選んでいるいとまはない。 選 んでいれば、土の下か、道の土の上で、飢え死にをするばかりである。そうして、こ の門の上へ持ってきて、犬のように捨てられてしまうばかりである。選ばないとすれば 下人の考えは、何度も同じ道を回したあげくに、やっとこの局所へ逢着した。しかしこ の「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばない ということを肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、そのあとに 来るべき「盗人になるよりほかにしかたがない。」ということを、積極的に肯定するだけの、 勇気が出ずにいたのである。 下人は、大きなくめをして、それから、大儀そうに立ち上がった。夕冷えのする京都 は、もう火桶が欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱との間を、夕闇とともに遠慮な く、吹き抜ける。丹塗りの柱にとまっていたきりぎりすも、もうどこかへ行ってしまった。 下人は、首を縮めながら、山の疹に重ねた、紺の襖の肩を高くして、門の周りを見 回した。雨風の憂えのない、人目にかかる恐れのない、一晩楽に寝られそうな所があれば、 そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸い門の上の楼へ上る、 幅の広い、これも丹を塗ったはしごが目についた。上なら、人がいたにしても、どうせ死 人ばかりである。下人はそこで、腰にさげたの太刀が華だらないように気をつけなが ら、わら草履を履いた足を、そのはしごのいちばん下の段へ踏みかけた。 Free Pas からか ほうなん S S

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日本史 高校生

4についての質問です。 豪族の隷属民むて奴隷もいますよね、部曲は豪族の田荘を耕す人ですよね、この場合は部曲だったのですが、なぜ奴隷ではなく部曲とわかるのですか? 2枚目は一問一答のものです。

第3項 大和政権 ①1 次の文章を読んで,設問に答えなさい。 A ヤマト政権は, 大王を中心にして, 大王家と, 大和をはじめ河内などの周辺の豪族 との連合により構成されていた。豪族たちは,大王との関係や政権における役割によ り, その(1) 根拠地の名をとったり職掌にちなむ名を付けたりして区別された。この 同じ名乗りの血縁集団を2 といい, 集団の首長たちは (3)大 王 からカバ ネを与えられた。やがて政権の支配の進展につれて, その下には、豪族の隷属民で ある4 王族の名や大王の宮にちなむ5が現れ、各地に6などという 地域支配の拠点を設けるようになった。 問1 下線部(1) に関して, 誤っている文章を次のア~オの中から1つ選べ。 ア葛城・平群・蘇我は大和の地名である。 イ 大伴・物部・中臣は政権内の職掌による名である。 ウ豪族の集団の名は5世紀から6世紀にかけて成立した。 エ 6世紀以降, 大王家は集団の名を称さなくなった。 オ豪族の集団の名は自ら名乗ったものである。 イウジ オキミ 問2 空欄 2にふさわしい語句を, 次のア~オの中から1つ選べ。 エミヤツコ ウベ アイエ 問3 下線部 (3) に関して、 誤っている文章を次のア~オの中から1つ選べ。 アカバネはヤマト政権における豪族たちの政治的地位を示した。 X臣は主に大和の豪族に与えられ, 最も有力な人物が大臣に任じられた。 ウ連は特定の職掌をもつ豪族に与えられ, 大連はその中から任じられた。 エ 豪族の中には連から臣へ昇格し, 大臣に就く者もいた。 オカバネの制度は改訂されながら, 奈良・平安時代まで続いた。 一問4 空欄 4 にふさわしい語句を、次のア~オの中から1つ選べ。 曲 イ 奴婢 エ 寄口 才 伴造 ア 生口 問5 空欄 5 にふさわしい語句を、次のア~オの中から1つ選べ。 ア 品部 イ雑戸 ウ家人工子代 オ 采女 問6 空欄 6 にふさわしい語句を, 次のア~オの中から1つ選べ。 ア 国造 イ田荘 ウ評 エ 県 才 屯倉

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歴史 中学生

I can't understand Japanese so please help me

1 右の年表を見て、次の問いに答えなさい。(5点×168(12)は完答) □(1) AとBについて、平将門や藤原純友はそれぞれ一族や家来を 従えて集団をつくっていた武士だった。 この集団を何というか。 □(2) について,後三年合戦が終わった後、 北方との交易などで栄 え、拠点である平泉に中尊寺金色堂を建立した武士の一族を何と いうか。 □ (3) D について,院政を行ったのはどのような存在か,次のア~エ から1つ選びなさい。 イ ア 天皇 せっしょう ウ かんぱく じょうこう 上皇 白 エ寺社 摂政・ せとないかい □ (4) E について,平清盛はある貿易を行うために瀬戸内海の航路や 兵庫の港の整備を行った。 その貿易にあてはまるものを,次のア 〜エから1つ選びなさい。 にちげん ア 日元貿易 にっとう ウ 日貿易 にっそう イ日宋貿易 にちみん I 日明貿易 できごと 年代 935 平将門の乱が起こる(~940) 939 藤原純友の乱が起こる (~941) 1051 前九年合戦が起こる(~1062) 1083 後三年合戦が起こる (~1087) 1086 院政が始まる 1156 ①が起こる しょうえん ア 国ごとに守護を置き, 公領や荘園ごとに地頭を置いた。 イ国や公領ごとに守護を置き, 荘園ごとに地頭を置いた。 ウ国や荘園ごとに守護を置き, 公領ごとに地頭を置いた。 エ公領や荘園ごとに守護を置き, 国ごとに地頭を置いた。 □ (6) G について、 右の資料1は御成敗式目の一部である。 資料 1 □にあてはまる朝廷で使われていた法律を ごせいばいしきもく ちょうてい 資料1の 表す語句を漢字2字で書きなさい。 1159 ②が起こる だいじょう 1167 平清盛が太政大臣になる 1185 源頼朝が守護・地頭を置く 1221 ③ が起こる ほうじょうやすとき 1232 北条泰時が御成敗式目を定める ごけ にん 生活が苦しくなった御家人を助けようとした。 資料2 の法令を何というか。 1274 元寇が起こる (1281) そくい 1318 後醍醐天皇が即位する 1392 南北朝が合一される きんき 1428 近畿地方で一揆が起こる 1467④が起こる (~1477) 1488 北陸地方で一揆が起こる 各地で戦国大名が活躍する かつやく ......... B (7) Hについて,次の ①・②に答えなさい。 げんこう ていく □① 元寇を起こしたのは, モンゴル帝国の第5代皇帝にあたる人物だった。 この人 物はだれか。 かまくら □ ② 元寇の後、鎌倉幕府は右の資料2の法令を出して 資料2 ・E みなもとのよりとも □(5) F について, 源頼朝が守護・地頭を置いた場所について正しく述べているものを,次のア~エから1つ選び なさい。 ・K ・M 女性が養子をとることは, ■では許されてい ないが,頼朝公のとき以来現在に至るまで, 子ども のない女性が土地を養子にゆずりあたえる事例は, 武士の慣習として数え切れない。 御家人以外の武士や庶民が御家人から買った土地に ついては、売買後の年数に関わりなく、返さなければ ならない。 □(8) I について,次ページのア~エはすべて後醍醐天皇に関係することがらである。ア~エを年代順に並べかえな さい。

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古文 高校生

錬成古文の8番の答え持っている方がいたら見せてほしいです!お願いします🙇‍♀️

19 ステップ1 紀行 ステップ 18 ステップ1 00 いひづか しろいし 約 みち かじま ①⑦ 蚤や蚊にくわれた跡 20 ② (注8) ③とうのちゅうじやうさねかた (注9) みのわ 【6点】 どぎ 404 読解句に込められた芭蕉の思いを読み取ろう 文法 俳諧の常識 2330 こり 3 覇 ^3+2 【8点】 【8点】 まつおばしょう 松尾芭蕉 『おくのほそ道』 その夜飯塚にとまる。 温泉あれば湯に入りて宿を借るに、土座に筵を敷きて、あやしき貧家な (注1) (注2) り。灯もなければ、ゐろりのかげに寝所をまうけて伏す。 夜に入りて雷鳴り、雨しきりに降り て、伏せる上より漏り、蚤蚊にせせられて眠らず。持病さへおこりて、消え入るばかりになん。 短夜の空もやうやう明くれば、また旅立ちぬ。なほ夜のなごり心すすまず、 馬借りて桑折の駅に 5 出づる。はるかなる行く末をかかへて、かかる病おぼつかなしと言へど、旅辺土の行脚、捨身 無常の観念、道路に死なん、これ天の命なりと、気力いささかとり直し、路縦横に踏んで伊達の (注4) あんぎや しゃしん (注3) きりょへんど。。 (注5) だて 大木戸を越す (注7) 鐙摺・白石の城を過ぎ、笠島の郡に入れば、藤中将実方の塚はいづくのほどならんと人に問へ (注6) みずり (注10) ば、「これよりはるか右に見ゆる山際の里を蓑輪・笠島と言ひ、道祖神の社、 かたみの薄今にあ m 。」と教ふ。 ご ろの五月雨に道いとあしく、身疲れ侍れば、よそながらながめやりて過ぐる に、蓑輪・笠島も五月雨の折にふれたりと、 こ の 笠島はいづこ五月のぬかり道 (注)1 飯塚|福島市の北東、現在の飯坂温泉。 2 桑折の駅 福島県伊達 郡桑折町にあった宿駅。 旅辺土の行脚 へんぴな土地への行脚の旅。 4 捨身無常の観念 世を捨て何事も無常と心得る覚悟。 の関所。 また、勇み立つ意の「だて」のニュアンスも含んでいる。 伊達(福島県伊達郡国見町) 5 伊達の大木戸 摺・白石の城―どちらも宮城県白石市にある旧跡。 7 笠島の郡宮城県名取市愛島笠島あたりか。 6 8 藤中将実方 平安中期の歌人、藤原実方。 和歌の名手として知られたが、 陸奥守に左遷された。 陸奥下向 の際、笠島道祖神の前を下馬せずに通ったため、神罰が下って死んだとされる。 9 蓑輪地名。 笠島の北。 をとどめ置きて枯野の薄 10 かたみの薄 西行が陸奥を旅した際、 実方の塚の前で、「朽ちもせぬその 形見にぞ見る」(「山家集」)と詠んだ。 かしま 問一 語句 二重傍線部⑥⑥の意味を終止形で書け。 問五内容 傍線部 ⑨について、 なぜ「蓑輪・笠島」が 【各3点】 「五月雨の折」に似合っているのか。 二十五字以内 で説明せよ。 O 問二 解釈 傍線部①②の解釈として最も適切なも のを、それぞれ次から選べ。 【各4点】 ⑦ 夏の夜のけだるさの名残 M 宿の主人と別れを惜しむこと 問六 「笠島は…」の句について、次の問いに答えよ。 雨が降り続いていること 寝不足や持病の苦痛の名残 10修辞 季語を抜き出して書け。また、季語の 表す季節も答えよ。 ⑦ 道を思うままに踏みしめて 【各4点】 M 道に迷って右往左往して ②⑦ でこぼこ道をさまよい歩いて おぼつかない足どりで (例) あちこち寄り道をして 2読解 この句に込められた芭蕉の気持ちとし 最も適切なものを、次から選べ。 間三内容 本文の前段(7行目まで)において、芭蕉 のこれから先の旅に対する覚悟が述べられている 部分を、三十字以内で抜き出して書け。 【6点】 ⑦ 雨に煙る笠島の景色を、遠くから眺めるこ とができて感慨無量だという気持ち。 M ぬかり道のせいで、実方の塚までの道のり がとてもつらかったという気持ち。 ⑦ 実方の塚を訪れたかったが、 遠くから眺め ることしかできず残念だという気持ち。 せっかく実方の塚まで来たのに、ひどい雨 で景色が見えず無念だという気持ち。 問四解釈 傍線部③を現代語訳せよ。 道がよくわからず、 実方の塚に無事にたど り着けるか不安だという気持ち。 2、 笠島の郡に入る (目的) 分 B | (2) B 【各2点】 (6) (3) 4. 【1点】 内容を確認しよう 本文中の語句を補おう 00*80 1、飯塚(飯坂)に泊まる (夜) ひどい宿・ まで起こる (翌朝) 心すすまず・おぼつかなし 旅辺土の行脚 捨身無常の観念 気力いささかとり直(す) いづくのほどならん」 (悪路) (疲労) よそながらながめやりて過ぐる 知識を確認しよう [重要古語 空欄に本文中の意味を書け。 4 やうやう) 詞 ①次第にだんだん ② 次の傍線部の意味を書け。 【1点】 ○嵯峨野の花 〔盛リヲ]過ぎて、〔狭衣〕 、やうやう 文法の問題(俳諧の常識) 3③ 次に挙げた季語の表す季節を、それぞれ書 【各1点】 菊 2梅 ③ 小 44 風薫る 1 天河 ⑥ 元日 ④ 次の句について、次の問いに答えよ。 A ほととぎすなくなくとぶぞはし ( あつめ句〕 B宿かりて名をなのらするしぐれかな [続猿蓑) 1、 切れ字を抜き出して書け。 【各1点】 2、季語を抜き出して書け。また、その季語 が表す季節も答えよ。 【1点×4】 知識の復習をしよう 助動詞④7 せよ。 ① 次の傍線部を、例にならって文法的に説明 【2点】 例見ず。 マ行上一段活用動詞「見る」の未然 形+打消の助動詞「ず」の終止形 ○伏せる上より漏り、 ( 3行目)

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