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英語 高校生

37と38の赤線を引いた部分 関係代名詞が修飾する語句について 今までは直前の名詞を修飾すると思っていましたが 37番では直前の名詞spainではなく the noble animal を修飾しています 関係代名詞が修飾する語句の見分け方はどういうところからですか?

This is the book [(of which) the teacher is proud]. (1) the teacher (S) を修飾する場合: →先行詞 the book を which に代入して the teacher の直後に付ける。 the teacher (of the book) 意味が不明。 (2) is (V) を修飾する場合: is (of the book)意味が不明。 (3) proud (C) を修飾する場合: proud (of the book) (○) (3) では「その本を誇りにして」と意味がとおるので (of which) が修飾するのは (3) の proud (C)。訳は「これは本である[(その本のことを) 先生は誇りにしている]」 →「これは先生が誇りにしている本である」 となります。 第1文 (~している)間にに取り組んでいる 原子 爆弾 でロス アラモス の間 大戦 [While working on the atom bomb (at Los Alamos) (during ... War), (接) (現分) (Vt) O M “While working" は “While (he was) working” とも, 分詞構文 working に接 while を付加して “While he worked" の意味を明確にしたとも解釈できます (31課)。 ファインマンは•••に~をさせた Feynman S M 妻 ・・・に~を出す 自分(に) 手紙(を) him letters send his wife had Vt (使役) C → (Vt) (0₁) (O2) (それ) 自分が ない を知ら 鍵 [(to which) he did not know the key]: M S Vt (否) O を使って 暗号 彼はと感じた満足している(~する)ときに彼がわかった he felt satisfied S Vi C (過分) [when (接) in a code) M (to which) を (to a code) にして, the key (to a code) の結合を見抜くのがポイン トです。 <have Oⓘ> (→16課) に注意。 暗号 he discovered the code]. S Vt O 〈全文訳〉 第2次世界大戦中ロス・アラモスで原爆に取り組んでいる間、ファインマ ンは自分が解読の鍵を知らない暗号で妻に自分宛の手紙を出させた。そして、彼 は暗号を解読して満足した。 【【語句】 Feynman ファインマン (1918-88; 米国の物理学者; ノーベル物理学賞)/ work on に取り組む / Los Alamos (ロス・アラモス; 米国 New Mexico 北部の町; 最初に原爆を製造した研究所の所在地) / code 图暗号/key 图(問題・パズルの) 手 がかい / [] を発見する 時間関係の難 77 関係詞節の把握

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英語 高校生

関係代名詞がCになる場合があるというのは これは関係代名詞節が直前のCを修飾していると言うことで良いですか?

Cである関代は見えないことがしばしば 目的格の関代と同様, C の役割をする関代が 「透明接着剤」に変身し, I'm not the person I was before. のように,〈名詞 [Sbe/become]> の形で英文に入り込む場 合があります。〈名詞 [ (透明接着剤) Sbe/become]> とイメージしましょう。 第1と第2文 動物 ではスペイン [(そう)それがであるではイギリス is (in England)]. Vi M 犬はではない 身分の高い The dog is not the noble animal (in Spain) [that it S Vi (否) (形) C (先) M (関代) CS that-節がこの課のポイントです。 “The dog is C in Spain" と “it is (C) in England" を対比して、 「it=the dog で本来は “it is” の後にCが必要だが、後ろにな いので that が C の役割をする 関代」 と判断します。 には C, すなわち “The dog is in England.” という文を設定すると, that の先行詞が入ります。 先行詞は直前の名詞とは限りませんよ。 the noble animal なら OK ですね。 that-節の直訳は「それがイギリスではそのようなものである (下線 部は that の直訳)」 となります。 この訳を the noble animal につなぐと「犬はスペイ ンでは身分の高い動物ではない, イギリスでは身分が高い動物だが」となります。 いじめられ それが (られ) る gets... tormented ...]. V (受) (過分) 理由はについてのこのことであるということ で 街 The reason (for this) is [ that (in... streets) it S M ViC → (接) M S this は前文を指します。 is の後に 〈that (M) SVX〉は28課で既習ですよ。 〈get +過去分詞>の箇所は受動態なので「いじめられる」の意味です。 that-節の 中は so が見えて後に that SV ... となっていますから, <s0 ~ that ... > の構文 ( 30 課) です。 第3文は内容から判断すると [that it becomes cowardly, (and) then (it) forfeits respect] となるべきところです。 〈全文訳〉犬はスペインではイギリスとは違って身分の高い動物ではない。この理由 は、スペインの村や労働者階級の街では犬は小さな男の子たちからひどくいじめ られて臆病になってしまいそれで尊重されなくなる、ということなのだ。 【語句】noble 囲 身分の高い/working-class 形労働者階級の / torment V をいじめ る / cowardly 臆病な / forfeit [V] を失う / respect 尊重 関係詞節の把握

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国語 中学生

至急です!!! 中学古文です。 現代語訳してくれませんか? よろしくお願いします🙏

あたひ 「牛を売る者あり。買ふ人、明日その値をやりて、牛を取らんといふ。 夜の間に、牛死ぬ。 買はんとする人に利あり、 売らんとする人に損あり」と語る人あり。 これを聞きて、かたへなる者の言はく、「牛の主、誠に損ありといへども、又大きなる利あり。 その故は生あるもの、 死の近き事を知らざる事、牛、既にしかなり。 人、又おなじ。はからざるに牛は死し、はからざるに主は存ぜり。一日 の命、万金よりも重し。牛の値、毛よりも軽し。万金を得て一銭を失はん人、損ありといふべからず」と言ふに、 がもう ひとあざけ ことわり 人嘲り、「その理は牛の主に限るべからず」と言ふ。 たから 又言はく、「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しび を忘れていたづかはしく外の楽しびを求め、この財を忘れて、危ふく他の財をむさぼるには、志満つ事なし。 生け 間生を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず。 人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。 死を恐れざるにはあらず、 事を忘るるなり。もし又、生死の相にあつからずといはば、実の理を得たりといふべし」 と言ふに、いよいよ嘲る。 じゃうじ (兼好法師 徒然草』から) (注) かたへなる者=そばにいた人。 毛ガチョウの羽根 牛、既にしかなり牛がそのとおりである。 いたづかはしく苦労をして。 はからざるに思いがけず。 外の楽しび名誉や金銭に対する欲求。 実の理を得たり=真理を悟っている。 生死の相=仏教用語で、生死の境地。 まこと まこと 14

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現代文 高校生

【至急】ホンマに助けて下さい 明日テスト 宇野重規の〈私〉時代のデモクラシー この文に「折り返し点」という記述があると思うのですが、折返し点とはなにを表してるのですか?

な人間関係の束縛からいかに る影もありません。 時代は変わったのです。 「近代」のもう一つの目標は、宗教からの解放でした。伝統的な社会においては、つね 「聖なるもの」の感覚がありました。 人間を超えた「聖なるもの」は、人々の畏れる 2 べき対象であると同時に、人々にあるべき姿、進むべき道を示してくれるものでもあり ました。 「近代化」は、この「聖なるもの」の感覚に支えられた宗教から人々を解放し、 個人の意志を新たな価値の源泉にしました。人々が選択にあたって指針とするのは、も 々自身のうちに、あらゆる価値の源が見いだ はや人間を超えたものではありません。「人々自身の S せるというのが、「近代」のスローガンでした。 「聖なるもの」が一つひとつ失われていったのが、「近代」という時代です。ある意味 で、私がこのように強調される現代とは、そのような「近代」の行き着いた時代な のかもしれません。なぜなら、あらゆる「聖なるもの」が見失われてしまった現代にお いて、価値とされるものは、もはや〈私〉しかないからです。 現代の社会理論家の代表的な一人であるジーグムント・バウマンは、次のようにいい ます。近代においても、最初のころには歴史において実現されるべき目標の理念があり ました。「公正で平和な社会」などというのが、それです。このような時代においては、 そのような社会の理想を実現するための「革命」という言葉には、独特の魅力がありま した。しかしながら、現代の社会理論で強調されるのは、むしろ「個人の差異」や「個 人の選択」です。もはや社会的な理想は力をもたず、もっぱら一人ひとりの〈私〉の選 択こそが強調されるのが、いまの時代だというのです。つまり、近代という時代も一つ の折り返し点に達したということなのでしょう。 バウマンは、私たちの生きる近代は、 同じ近代でも、〈個人〉や〈私〉中心の近代だといいます。 このような「折り返し点」を過ぎた「近代」のことを、現代ヨーロッパの理論家で、 社会学者であるアンソニー・ギデンズやウルリッヒ・ベックらは、「後期近代」とか 「再帰的近代」などと呼んでいます。このようないい方のポイントは、「折り返し点」を 過ぎたとしても、「近代」が終わったわけではないし、「近代」を押し進めた運動がスト ップしたわけではない、ということです。 つまり、「近代」が終わり、「近代」とはまっ たく別の「脱近代(ポスト・モダン)」が始まったわけではないのです。むしろ、「近 5 O

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