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TOEIC・英語 大学生・専門学校生・社会人

let’s try の問題の解説部にthose who~who とちう二重限定なのか分裂限定なのかという部分についての質問です。私は二重限定だと思いました。なぜならthoseが両方の主語になっているのではないかと思ったからです。しかし、解答は分裂文ということでした。解説お願... 続きを読む

ed # が省略されることもあります。 It is that ~の典型的なものの識別について説明しておきます。 - It is that ~の識別 < (i) ~ (ii) を識別する>一 (i) it = that~ (that は接続詞) (ii) (iii) 分裂文 節の役割をつかもう 103 that~がーを修飾(that は関係代名詞) It is 形容詞 that ~の場合 . ➡ (i) ◎ It is 副詞(句・節) that~の場合 (iii) 副詞だと it is で SVC が成立しないので、 (i) にはならず,もちろん先行詞にはならない(先行 詞は名詞)ので, (ii) にもならない It is 名詞 that ~の場合 この場合の識別はすこしやっかいですが,まず, that ~の~部分が完全な文の形 (i) (もちろん, It is 副詞 that ~の場合, ~部分は完全な文 となりますが, その場合はもう判別済で、ここでは It is 名詞 that~についての判別を行っているのです) that ~の部分が不完全な文の形 (名詞が入る所がある) 場合 (ii)(iii) どちらの可能性もあり、例えば、け is the apple that he gave me. だと 「それは,彼が僕に くれたリンゴです (ii)」, 「彼が僕にくれたのはそのリン ゴです (iii)」 の両方の解釈が可能で, it を 「それは」 と 訳すか、訳さないかで判定するわけです。 it = 「それは」 (ii) it の前に指示内容なし→(iii)

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歴史 中学生

写真のように探求レポートを書かなければいけなくて、テーマを考えてるんですけど、かきやすいテーマないですかね…?

「自分の考えを表現しよう 支倉常長の肖像画は なぜ傷んでしまったのか? ~仙台藩が派遣した慶長遣欧使節~ 歴史の謎 ・絵の中央タテに大きく折れたような線が 入っている ・この絵は、国宝のうえ、ユネスコの 「世界の記憶」に登録されている 重要な文化財 なぜ!? 支倉常長の肖像画 この部分 発表 1年1組 Aチーム 仮説 ・小学校の時に、江戸時代はキリスト教が禁止されていたと学習 キリスト教に関係するものが描かれているから折られてしまった? ② 調査方法 ① 仙台市博物館を訪問 (文化財・資料調査) ・・・支倉常長の肖像画の実物や、 関連の文化財を見る 書籍などの資料を調べたり、 学芸員さんに質問したりする 仙台藩の資料も充実しているので、ヒントがないか確認 ① ② 仙台市内のお寺 光明寺を訪問 (史跡調査) ・・・諸説ある支倉常長のお墓といわれているうちの一つを見る 常長のその後についてなど、 分かることがあるか調査 3 調査結果 ①支倉常長ってどんな人物? ・伊達政宗に仕えた安土桃山~江戸時代の仙台藩の武士 慶長遣欧使節としてメキシコやスペイン・イタリアなどへ渡航 ②遣欧使節の目的 ・メキシコと仙台藩の直接貿易と, 仙台藩への宣教師の派遣を 頼みに行った ③旅の行程 ④遣欧使節の成果 ・メキシコとの直接貿易と 仙台藩への宣教師派遣は 達成できなかった NATHRAW ・常長たちにローマ市の 市民権が授与された ・常長の持ち帰った品々は、 のちに「世界の記憶」 となる など、 歴史的価値の高い ものになった A haven AUTHA ⑤ このころの江戸幕府の動き 日本・ S ME PARCEL SENTRIS SAFAHRT ZA, ANA 7601 14 M Set 1614 Torn bat-18 $8.5+ tob 1641 LAY 149 6. For ⑥ 常長のその後 ・帰国の翌年に死去、帰国後の詳細は残っていない ・常長が日本で再び知られたのは, 明治に入ってから A ・常長のお墓がいくつかあるのも、 帰国後の詳細が 知られていないため $4.04-9@_@£*%+ken ans.s() Espress 4+ →仙台藩の動きとは反対に、 江戸幕府は キリスト教の禁止を進めていった ⑤ 4 支倉常長のお墓といわれている 石場(撮影: 光明寺) ⑦現在とのつながり ・仙台市の姉妹都市: メキシコアカプルコ市 ・・・慶長遣欧使節の来訪がきっかけ。 アカプルコ市へ市民団が来訪 ・慶長遣欧使節スペイン訪問 400周年記念など、スペインへの訪問を実施 ・ほかにも、バチカン市国やイタリアとも現在も交流が続く (6) 結論 ・支倉常長は、キリスト教徒となってローマ教皇に面会するなど キリスト教の文化に触れた人物だった ・しかし、常長たちがヨーロッパに向かっている間 江戸幕府は 全国でキリスト教を禁止してしまった →仙台藩は 十字架に祈る常長の肖像画を隠しておきたかった ため、人の目に触れないよう折ってしまったのではないか 分からなかったこと ・ 新たな疑問 ・帰国してからの支倉常長はどうなったのか ・キリスト教が全国で禁止されたのに、なぜ伊達政宗は 常長たちに帰還するよう伝えなかったのか 今後の課題 ・日本の歴史の動きと遣欧使節の関連については調べられない ことが残った ・一枚の絵から始まった交流の歴史を、これからの 地域と外国との交流にどう生かしていくか考えること ⑦ 参考資料 ・仙台市博物館 『ジュニア版 支倉常長』 2013年。 ・仙台市博物館『伊達政宗の夢 一慶長遣欧使節と南蛮文化』. 2013年。 ・仙台市 『仙台市史 特別編8 慶長遣欧使節』 2008年。 協力をいただいた方・施設 ・仙台市博物館 光明寺 8 目 A と し あ I ( 1

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情報 大学生・専門学校生・社会人

大学1年生の情報理工学部です。 テスト対策の問題なのですが分からずに苦戦しておりす。御手数ですが教えていただけると助かります。

情報基礎及び演習Ⅰ 練習問題 [1] 以下は,コンピュータ, データ,インターネットに関する用語 について述べたものである. 空欄 (1) ~ 空欄 (21) に適切な語句を解 答群から選び、その記号で答えよ. 空欄 (22) 空欄 (23) は適切な語 句を記述せよ. コンピュータは電子計算機であり, コンピュータに命令を与える と, その命令通りに実行する. その命令を実行する心臓部 が、 (1) 」である. (1) (2) ■ から命令や データを読み出し, 実行する. (2) に記録しきれないデー タや, 電源を切った際に消去されては困るデータは[ (3) に [ (4) ■という形で記録する. コンピュータは, (2) (1) (3) (5) と, オペレーティングシステムやアプリケーション ソフトといった (6) から構成される. キーボードといっ ディスプレイ, データ ■がある. その (4) ] という形でコンピュータの中に保存される が,それを分類・整理する入れ物として「 中にまた (7) ■ を作成することができ, (8) ■ 構造とす ることができる. Windows ではファイル名の末尾に [ (9) と よばれる「(ピリオド)」 からはじまる文字列で (4) の種類 を分類している. MS Word の場合は (10) , MS Excel の場合は「 (11) | MS PowerPoint の場合は「 (12) である(ただし、 MS Office2019 の場合). (4) を開くということは, (3) に保存されている データが (2) に読み込まれ、 (9) に関連付けられた アプリケーションソフトで処理されていることである. インターネットは、世界中のコンピュータネットワークを相互に 接続したネットワークのことである. これにより、 あらゆるネット ワーク間で情報のやりとりを行うことが可能である. インターネッ トに接続されたコンピュータには, (13) と呼ばれる番号が (14) □というプ 割り振られてコンピュータの識別が行われ, ロトコルを用いて通信を行う. サーバなど頻繁にアクセスするコン ピュータを (13) で指定するのは煩雑なため, と呼ばれる分かりやすい名前をつける. この, と (15) (15) (13) の関係をデータベースで結びつけているの が (16) ] と呼ばれる仕組みである. WWW は, インターネット上に分散して存在する (17) で 記述されたハイパーテキスト形式による情報を相互に結びつけて 巨大な情報空間を作り出すという考え方で, 一般には (18) と呼ばれている. 複数のコンピュータ同士がネットワークにより繋 がっている様子が, クモの巣のようなことからその に名 れた. (18) を閲覧するには, Microsoft Edge や Fire Fox, Safari といった [ (19) ■を利用し、 検索サイトなどで検索結果のペー ジに表示される[ (20) □をクリックしてアクセスしたり、 目的 ページ □を直接指定してアクセスしたりする. (21) (21) は www 上で情報が保存されている場所を指定す 1/3 るための表記のことである. はじめに利用するプロトコル (http://) を指定し、 続けて情報が保存されているサーバ名, 目的のファイル 名などを「/(スラッシュ)」 や 「 (コロン)」 などで区切って記述 する. 例えば、関東学院大学のホームページの [ (21) は、サーバ コンピュータの名前が 「univ.kanto-gakuin.ac.jp」 であるので, (22) と記述する. また, サー バの名前が 「netmedia.kanto-gakuin.ac.jp」 で, サーバ内の 「data」 というフォルダ内にある 「index.html」 にアクセスするには, (23) となる. [解答群] あ CPU お .pwt け 多重 す SAT ち .exl な .pptx 9 ^ むゆ .wrd DCT むツリー ファイア ウォール る Spider を NTP 主記憶装 い置 (メイン メモリ) IPアドレ かこ こ HTML せ DOS つ ス に URL ほ フォルダ (ディレ クトリ) は DNS めファイル ん よ Web れ PDF ソフトウェ う ア ウェブブ ラウザ き ルート さ .xlsx ハイパー ま リンク そ CUI 補助記憶装 て置 3 (HDD など) ぬ CMOS アカウント 名 ひ # ドメイン名 (サーバ名) もプレイヤー ハードウェ ろ LAN え Tel/tk < 拡張子 し TCP/IP た サービス 名 とプロキシ ta ROM ふ mp3 み スワップ や GUI り キャッシ ユ わ.docx No D

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現代文 高校生

問4.5.6がわかりません、 もしよろしければお力を貸していただけたら幸いです よろしくお願いします🙇‍♀️

主題研究 うちだ たつる 電子書籍と紙の本 内田樹 電子書籍と紙の本の違いとは ①1 電子書籍の第一の難点は「どこを読んで わからないことである。 いわゆる たしかに頁をめくると「ぱらり」と音がしたり、貢がたわんだり、反対側の活字が透けて見えたりと、 紙の本を読んでいる状態をギジ的には経験できる。だが、残り何であるかかかからない。いったい自分 物語の中のどの部分を、どの方向に向かって読み進んでいるのかがわからない。 ③ 自分が全体のどの部分を読んでいるかを鳥瞰的に絶えず点検することは(あまり指摘する人がいないが) 読書する場合に必須の作業である。というのは、ある文章が冒頭近くにあるか、中程にあるか、巻末が迫 ったところにあるかによって、その文章の解釈可能性に大きな差異が生じるからである。 ②⑨ 例えば、推理小説の場合、「いかにも怪しげな人物」が物語のはじめの方に登場してきた場合には、ある 程度小説を読み慣れた読者は「この人は犯人ではなく、 A 「レッドヘリング 読者を誤った推理に導 くための偽りの手がかり)」である可能性が高い」という推論を行う。 作者の方は読者をミスリードするた めに次々と「レッドヘリング」 を投じてくる。 「残り頁数」はその真贋判定の重要な手がかりである。 「残 り頁数」がある限度を切ると、そこから後は「読者をミスリードするようなトリック」はもう出てこない からである。そういう「ポイント・オブ・ノー・リターン」が存在する。グラウンドレベルで読み進んで いる自分を読み始めから読み終わりまでの全行程を上空から鳥瞰している仮想的視座」からスキャンす る力がなければ、 読書を享受するということは不可能なのである。その消息は音楽を聴く場合と 古文で手紙 そもそも 変わらない。 ⑤ 音楽というのは、 「もう聞こえない音」がまだ聞こえ、「まだ聞こえない音」がもう聞こえるという、時 間意識の拡大を要求する。私たちは 当たり前のように「センリツ」とか「リズム」とかいう言葉 を口にしているが、これは「もう聞こえない音」を記憶によって、「まだ聞こえない音」を先駆的直感によ って、現在に引き寄せることで経験しているから言えることなのである。 そして、この音楽的経験は、「も う聞こえない音」「まだ聞こえない音」の範囲が広ければ広いほど深く厚みのあるものになる。 現在の前後 で必須のマッピング能力 【転】 読書とは 数秒の音しか再生できないというショート・メモリーの聴き手と、数十分の交響楽の最初から今までのす べての楽音を今再生でき、それを踏まえてこれから後の曲想の展開を予期しうる聴き手では、同一の楽音 から引き出すことのできる快楽の質が違う。 ・「読みつつある私」と「読み終えた私」 との共同作業 ・「読み終えた私」 の愉悦を少しずつ に先取りする ⑥ 私はその能力を「マッピング(地図上に自分の位置を記すこと)」と呼ぶのであるが、これは単に読書や器 音楽鑑賞に止まらず、人間が生きてゆくうえで必須の能力なのである。 【結】 電子書籍にないもの ⑦「おのれ自身を含む風景を鳥瞰する力」。ヘーゲルだったらそれを「自己意識」と呼ぶだろうし、フッサ ルだったら「超越論的主観性」と呼ぶだろう。 別に何と呼んでも構わないそれは人間が生きる上で のフカケツの能力である。 そして、読書はその力を涵養するための好個の機会なのである。 「読み終えた私」への小刻みな接近感 かんよう ばステーション [2点×3] ●空欄に適切な語句を入れよ。 ミスリード・誤った方向に人を導 …ほんものと、にせもの。 私たちは物語を読んでいるときに、つねに「物語を読み終えた未来の私」という仮想的な消失点を想定 している。 読書とは、「読みつつある私」と、物語を最後まで読み終え、すべての人物のすべての言動の、 すべての謎めいた伏線の「ほんとうの意味」を理解した「読み終えた私」との共同作業なのである。紙の 本では頁をめくるごとに、「読みつつある私」と「読み終えた私」の距離が縮まり、それと同時に「読み終 えた私」の感じている愉悦が少しずつ先駆的に先取りされる。 そして、最後の一頁の最後の一行を読み終 えた瞬間に、ちょうど山の両側からトンネルを掘り進んだ工夫たちが暗黒の一点で出会って、そこに一気 に新鮮な空気が流れ込むように、「読みつつある私」は「読み終えた私」 と出会う。 読書というのは、その ようなX プロセスなのである。 880 必須・・・なくてはならないこと。 酒・・・水がしみこむように、少しず つ自然に育てること。 ●次の語の類義語を語群から選べ。 鳥瞰俯瞰 壮観 凝視 ⑨ 電子書籍はこの「読み終えた私」 への小刻みな接近感を読者にもたらすことができない。 紙の本という 三次元的実体を相手にしているときには、「物語の終わりの接近」は指先が押さえている残り頁の厚みがし だいに減じてゆくという身体実感によって連続的に告知されている。だが、電子書籍ではそれがない。仮 に余白に「残り頁数」がデジタル表示されていても、電子書籍読書では、「読み終えた私」という仮想的存 にはパーティーへの招待状が送られていないのである。 ●「先駆」を含む次の文から、用法 の誤っているものを選べ。 ア 先駆的なテクノロジー。 イ 医療分野の研究の先駆。 ウ先駆的に浪費する。 電子書籍と紙の本 えする、 @ 45 海 本文ダイジェスト ●空欄にあてはまる語句を抜き出せ ~ 【起】 電子書籍の難点 どこを読んでいるかわからないこと 【承】 読書と音楽鑑賞に必要な能力 全行程を鳥瞰して いる仮想的視座 もう聞こえな (本文・こ ●読書を享受すること 音楽を聴くこと い音(記憶) くこと。 現在 [2点×2] 読み進んでいる 自分 まだ聞こえな い音(直感) 間が生きていく うえ LO

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現代文 高校生

この問題の答えを教えてください🙇‍♀️

Since 1994 N TURITORY 【二】 次の文章は、小池昌代の随筆「道について」の一部である。後の問いに答えよ。 (30点) 知っている道に出たときの、あの不思議にほっとする、あたたかい感じ。わたしたちはどんなに大人になっても、身体の奥に、迷子に なることの恐怖をかかえて生きているのではないだろうか。 しかしどんな道も、いかなる町も、生きているひとと知り合うのに似て、少しずつ、だんだんと、なじんでくるものだ。 町の構造がようやく身体に入ってきたころ、「近道」とか「遠回り」というガイネンも入ってきた。 目印だけを頼りに通っていた道が、 案外回りであることがわかったり、思い切って足を踏み入れてみた小路が、思いがけぬところへ抜けていたり。 道を歩くことは、こ うして全身をかけて土地を切り開き、土地にもぐりこみ、土地になじんでいく行為にほかならなかった。 知らない道が見知らぬ場所へひとを誘うのは当たり前だが、知っている道が見知らぬ場所にひとを運んだり、知らない場所がよく知る 道に通じていることを知ることには、いつもささやかな感動がある。 1 道には知っていることと知らないことを結びつける機能が備わってもいるようだ。知っていることを伸ばしていけば、知らないところ へ出る。 知らないものを伸ばしていくと、知っている道に出る。 外国に旅に出ると、特に一人旅では、こういうことは明瞭に起こる。 言葉の不自由さに加えて、土地そのものからはじかれている感じ は、ひとを二重に異邦人にするが、それでもひとつの道が次第に親しい道になっていき、日々、見知らぬ場所へとひとを運び、再び宿へ とひとを戻すとき、その道はひとにとって、水や塩に等しい、命をつなぐ脈ともなる。 そうした道に付けられてある通りの名前を知った りすると、道は、いつでも記憶のなかに呼び出せる、親しい友のような表情さえ表す。 初めての道に足を踏み入れるときは、いつも身体に緊張が走るが、すべての道は、二度目に通るときから、「知っている道」になるこ とも面白い。当たり前のことだが、そのことはうれしい。 二度目に通るとき、ひとは、今の道と記憶のなかの道の、二つの道を同時に歩 くのだ。 以前、わたしの友人に、新しい記憶ほど剥がれ落ちてしまうという記憶障害を持っているひとがいた。そのせいなのだろうか、彼は何 度来ても、わたしの家へたどりつけない。 わからなくなったと、途中で電話が入る。 障害のことをそのとき知らなかった。そのたびに駅 まで迎えに行って、目印になるものを教えながら歩いたが、ついに、ひとりではやってくることができなかった。 わたしの祖母の呆けも、自分の家に帰れなくなったところから始まっている。 祖母も友人も、どれほどに自分がもどかしく、ふがいなく、心もとなく、不安だったことだろう。あのときは、ただ困った状況として とらえるだけで、彼らの不安そのものには目が向かなかった。 行きたい場所へ、行き着けないいま思うと、彼らの不安は、わたしの不安そのものに思える。 不安はすべて、未来を先取りした途 上に生まれ、その意味で、生きることはそのまま丸ごと、「不安」そのものだ、とわたしは思う。 子供のころ、迷子になったことがある。 夏の朝、家の前の道を、ひとりでずんずんと進んでいった結果、とんでもないところへ出てし まったのであった。 気がついて見回した町並みは自分のまったく見知らぬ場所である。見知らぬひとが歩いている。 見知らぬ自転車がとまっている。 自分 で勝手に歩いてきただけなのに、自分の帰るべき根元のようなものが、ぷっつんと音をたてて切れてしまったようだった。 遠心力のよう な透明な力によって、リフジンに道端に捨てられたような気がした。 わたしは、ひとりだった。 あたたかい共同体からはじきだされて。 こん棒で胸をつかれたような、激しい悲しみの感情がわいた。 わたしは大声をあげて、泣いたのではなかったか。 今でも遊園地やデパートや公園などで迷子のアナウンスがなされると、その子供の不安が自分のなかで、同じくらいの大きさにふくら んでしまう。きっと誰かが迎えに来てくれるに違いないと思うが、そうしたアナウンスは、見つかりましたという結果までは流さない。 とっ さに脳裏に浮かぶのは、親から見捨てられた、永遠の迷子としての子供のイメージである。 それが自分のなかの悲しみのようなものと共 鳴する。 ここはどこ? すべての迷子は、まずその疑問に射抜かれている。いつも暮らしている場所にいるとき、わたしはそんな質問をもった ことがなかった。自分が生きている場所を見失う不安、それは自分自身を見失う不安のことなのかもしれない。 ここはどこ? というひ とつの疑問は、わたしはだれ? という次の疑問を容易に呼び出しそうな気配を持っている。 しかし、わたしは、自分が迷子になったあのときの、ひりひりとした、 異様に新鮮な不安を、大人になった今、時々、味わいたいと思 & e 1

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