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国語 中学生

この古文の話、現代語訳を読んでも意味が分かりません😭💦 だれか分かりやすく教えてください🙇

564 四 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。 ぼん とんじん ち さうら しやうにん ある修行者の広はく、「法師は生まれてより後、すべて腹を立て候はぬ」と云ふを、上人の云はく、「凡夫は、貪瞋痴の三毒を具せり。 たとひ 浅深厚薄こそあれ、いかでか腹立ち給はざらむ。縁にあはぬ時こそ立たね、また立つを覚え給はぬか。聖人にておはしまさば、さもあるべし。 凡夫ながらかく宣ふ、虚事と覚ゆるなり」と云へば、『立たぬと云はば、立たぬにておはしませかし。人を虚事の者になし給ふは、いかにとて候 ふぞ」と、顔を赤めて、首をねちて叱りければ、「さては、さこそは」とてやみけり。鳴呼がましく侍り。 凡夫の習ひ、我が非は覚えぬとこ はんぺ ( 『沙石集』) ※法師…ここでは「ある修行者」のこと ※上人・・・すぐれた僧を指すことばで、聖人とも言う ※聖人にておはしまさば、さもあるべし… 聖人でいらっしゃるなら、そのようなこともあるだろう ※貪瞋痴…貪りと怒りと無知 虚事・・・・嘘 さては、さこそは・・・それでは、そういうことにしておきましょう 「たとひ」、b 「ねちて」をそれぞれ現代かなづか Ell 1 12

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地理 高校生

地理総合です。 この問題を解いて欲しいです。お願いします。 今日中がいいです。

答えはすべて解答欄に書きなさい。 [1] 世界の大地形について、 次の問いに答えなさい。 (P74~75 参照) 地球表面の, 陸の最高点は (A) 山頂であり, 海の最も深い 地点は(B) 海溝の最深部である。 地球表面の大地形の特徴 は、地球表層のプレートの特徴によって説明できる。 海洋プレートは 厚さが約7kmと薄く、大陸プレートは厚さが20~70kmとなり、 (C) プレートの方が重い。 これらの10数枚のプレートが、 流動 性のある (D)に浮いている状態が地球表面の大地形を決める 基本である。 (1) 上の文の空欄(A)(B)にあてはまる語を補いなさい。 [知・技] (2) 上の空欄 (C) (D)にあてはまる語を以下のア~エから 選び それぞれ記号で答えなさい。 [知・技] ア大陸 イ 海洋 ウ マグマ エマントル ユーラシアプレート アフリカプレート B プレートの境界 フィリピン海 プレー インド・オーストラリアプレート 1 南極プレート 太平洋プレート 北アメリカ プレート ココス プレートー [1] (1) (3) 下の地図はプレートの境界を示している。 凡例 E~Gには,「ずれる境界」、「せばまる境界」 「広がる境界」の いずれかが入る。このうち,Fにあてはまるものを答えなさい。 [思・判・表] ナスカプレ (2) (3) (4) (5) カリブプレート アメリカ A ブレード B C D プレートの動き 10cm以上 5~10cm 5cm未満 (4点x7) F G ・・・・・・ 不確かな境界 (4) プレートの境界から離れた安定陸塊に多くみられる地形を以下のオークより一つ選び, 記号で答えなさい。 [知・技] オ島弧 動力楯状地 キ堆積平野 ク 巨大な山脈 (5) 安定陸塊に多くみられる資源を以下のケ~シより一つ選び, 記号で答えなさい。 [思・判・表] ケ 銀 コ サ鉄 シ 亜鉛

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現代文 高校生

5️⃣の言ってることが理解出来ません💦 どうしてオノズカラシカリとは作為が無いことになるのでしょうか?むしろあると思うのですが、、

2ndステップ 論理 たかし t うちやま 日本人にとっての自然とは 5 理然 日本人はなぜキツネに 内山 館 テ 筆者が改めて考察している事柄をつかも だまされなくなったのか 攻略のプロセス1・2を通して、《日本人の自然》を《再考察の対象となる事柄をおさえ》たうえで読み取ろう。 日本の人々にとって自然とは、客観的な、あるいは人間の外にある自然体系のことではなかった。それ は自分自身が選っていく場所でもあり、自然に帰りたいという祈りをとおしてつかみとられていくもので もあった。とすると、その自然とはどのようなものであったのか。 すでによく知られているように、かつての日本では自然はジネンと発音されていた。 シゼンという発音 が一般的になったのは、明治時代の後半に入ってからである。英語のネイチャー、 フランス語のナチュー 5 ルを日本語にするためにシゼンが使われるようになった。その意味でシゼンは外来語の訳語である。 ジネンはオノズカラ、あるいはオノズカラシカリという意味の言葉である。今日でも私たちは「自然にそ うなった」とか「自然のなりゆき」という表現を使うが、これがジネンと読んでいた時代の意味の名残だと思 えばよい。 このように見ていくと、自然に帰りたいという人々の伝統的な思いは、シゼンに帰るということより、10 ジネンに帰る、つまりオノズカラの世界に帰りたいという思いだったことがわかってくる。 オノズカラの ままに生きたい、ということである。 自然(ジネン)訓で読んだときのオノズカラシカリ(ナリ)とは作為がない、ということであろう。有意 ではない、と言ってもよい。 自我のはたらきから生ずる意図がない、あるいは「我(われ)」がない、と表現 することもできる。 (注1) そしてこの気持ちにも仏教が言葉を与えた。人間は自我があるから「我(われ)」にこだわる。 我執のある (注2) ④_ のが人間である。だから「我(われ)」の欲望をもち、「我」を主張して争い、悲しむべき凡夫に堕ちていく。 煩悩は、「我」をもつことそのもののなかにある。だから煩悩を捨てるとは「我」を捨てることだ。そして「我」 を捨てたあり方とは、すべてがオノズカラのままに生きることだ。 オノズカラのままに生きることによっ (注4) (注3) ゆる て、人々を救う。すべての人を。ここで発想は大乗仏教と結ばれる。 もっとも、このように見ていくと、 ジネンという言葉をシゼンと読んだうえで、ネイチャーやナチュー ルの訳語にしたのはかなりダトウだったということがわかる。なぜなら最もジネンなものは自然(シゼン) だからである。自然(シゼン)はすべてがオノズカラのなかに存在している。 シゼンとジネンは同じではな 8. テーマ wwwww... 5

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