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現代文の問題が分かりません!!! 教えてください!!!

グラフ1 高校生の平日1日あたりのインターネット 利用時間の平均値の推移 220 213.8 210 207.3 192.4 190-185.1 平成26 平成27 平成25 平成29 平成29年度青少年のインターネット利用環境実態調査 |調査結果一内閣府」 グラフ2 平成29年度の高校生の平日1日あたりの インターネット利用時間の分布 5時間以上 26. 24時間以上5時間未満 10.3 3時間以上4時間未満 | 17.4 | 2時間以上3時間未満 20.4 2時間未満 使っていない 10.2 わからない 2.0 23.7 0.0 5.0 10.0 15.0 20.0 25.0 30.0 「平成29年度青少年のインターネット利用環境調査 調査結果 内閣府 |グラフ3 私たちのクラスの生徒の平日1日あたりの 5時間以上 インターネット利用時間の分布 4時間以上5時間未満 25.0 3時間以上4時間未満 20.0 2時間以上3時間未満 115.0 2時間未満 12.5 使っていない 0.0 わからない 0.0 0.0 5.0 10.0 15.0 20.0 25.0 30.0 学習委員によるアンケート調査をもとに作成」 たなか 次の【文章】は、生活委員の田中さんが書い (1) □Aに入る言葉を簡潔に書け。 (1点)ワン 報告文の一部で、グラフ1~3は、そのた めに用いた資料です。 これらを踏まえて問い に答えなさい。 資 タ 2 【文章】 ■ X・Yに入る言葉の組み合わせとして最も 適当なものを次の中から選び、記号で答えよ。 す = (20点) 2 Y=もし ア X=しかし イ X=ところで ウ X=もし Y=しかし Y=たとえば エX=たとえば Y=ところで 2 グラフは、平成26年度から20年度にかけての「高校 生の平日1日あたりのインターネット利用時間の平均値 の推移」を表しています。 利用時間が、年々 A ことが分かります。 現代は情報社会が進展していく過 程にあるので、これは当然だと言えるでしょう。 1日あたりの平均利用時間が30分を超える のは長すぎるのではないでしょうか。 グラフ2は、「平成29年度の高校生の平日1日あた りのインターネット利用時間の分布を示しています。 「5時間以上」が26・1%、「4時間以上5時間未満」 が10.3%となっています。 両者を合わせると38・4% になります。つまり、 Bが、1日に4時間以 上インターネットを利用しているのです。 04 グラフ3は、「私たちのクラスの生徒の平日1日あ たりのインターネット利用時間の分布」を示したもの です。これを見ると、 Cの人が、1日に4時間 以上インターネットを利用していることが分かります。 すいみん 私は、平日に4時間以上もインターネットを利用す るというのは長すぎると考えます。 以下に、その理由 を述べます。私たちの平日の生活を振り返ってみま しょう。人によって多少の違いはあるでしょうが、通 学に要する時間も含めると、登校から帰宅まで10時間 程度はかかります。 睡眠時間を7時間、食事や入浴、 その他の細々したことに使う時間を2時間とすると、 残りは5時間しかありません。4時間以上イン ターネットに使ってしまったら、学習のための時間を 十分にとることは、かなり難しくなるでしょう。 内閣府の調査によると、高校生のインターネットの 利用内容は、コミュニケーション、動画視聴、音楽視 聴が主だということです。 現在、1日の利用時間が4 時間を超えている人は、これらのうち、自分にどうし ても必要なものを残して、他はある程度制限したほう がいいのではないでしょうか。自分なりのルールを作 り、節度のある利用を心がけたいものです。 ■BCに入る言葉の組み合わせとして最も 適当なものを次の中から選び、記号で答えよ。 (20点) C=過半数 ア B=2人に1人以上 イ B=2人に1人近く ウ B=3人に1人近く エ B=3人に1人以上 C=4人に1人程度 C=ほとんど C=半数以上 線部「学習のための時間を十分にとることは、 かなり難しくなるでしょう。」を、次の条件に従ってよ り強い主張をこめた表現に書き改めよ。 条件1 「いったい」という言葉を使い、 「......か。」 の形で書く。 条件2 二十字以上、三十字以内で書く。 (2点) ⑤ 【文章】により説得力を持たせるためには、どん なことを示す資料を付け加えたらよいか。 最も適当 なものを次の中から選び、記号で答えよ。 (20点) ア 保護者のインターネット利用内容 イ中学生のインターネット利用時間 ウ 高校生のインターネット利用内容 高校生と中学生のテレビの視聴時間

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現代文 高校生

2枚目P22ページの例えば、から何言ってるのかわかりません。 現代文得意な方詳しく説明願います

がした 可能 いわ * いや生全体に 二〇一七年度 第 次の文章を読んで、後の設問に答えよ。 与えられた困難を人間の力で解決しようとして営まれるテクノロジーには、問題を自ら作り出し、それをまた新たな技術の開発 によって解決しようとするというかたちで自己展開していく傾向が、本質的に宿っているように私には思われる。 科学技術によっ て産み落とされた環境破壊が、 それを取り戻すために、新たな技術を要請するといった事例は、およそ枚挙にいとまないし、感染 防止のためのワクチンに対してウィルスがタイセイを備えるようになり、新たな開発を強いられるといったことは、毎冬のよう に耳にする話である。東日本大震災の直後稼働を停止した浜岡原発に対して、中部電力が海抜二二メートルの防波堤を築くことに よって、「安全審査」を受けようとしているというニュースに接したときも、同じ思いがリフレインするとともに、こうした展開に はたして終わりがあるのだろうかという気がした。 技術開発の展開が無限に続くとは、たしかにいい切れない。 次のステージにな にが起こるのか、当の専門家自身が予測不可能なのだから、先のことは誰にも見えないというべきだろう。けれども科学技術の展 開には、人間の営みでありながら、有無をいわせず人間をどこまでも牽引していく不気味なところがある。いったいそれはなんで あり、世界と人間とのどういった関係に由来するのだろうか。 けんいん 医療技術の発展は、たとえば不妊という状態を、技術的克服の課題とみなし、人工受精という技術を開発してきた。その一つ体 外授精の場合、受精卵着床の確率を上げるために、排卵誘発剤を用い複数の卵子を採取し受精させたうえで子宮内に戻す、といっ たことが行なわれてきたが、これによって多胎妊娠の可能性も高くなった。 多胎妊娠は、母胎へのフィジカルな影響や出産後の経 済的なことなど、さまざまな負担を患者に強いるため、現在は子宮内に戻す受精卵の数を制限するようになっている。だが、この 制限によっても多胎の「リスク」は、自然妊娠の二倍と、なお完全にコントロールできたわけではないし、複数の受精卵からの選択、 また選択されなかった「もの」の「処理」などの問題は、依然として残る。 いろう いずれにせよ、こうした問題に関わる是非の判断は、技術そのものによって解決できる次元には属していない。体外授精に比し より身近に起こっている延命措置の問題。 たとえば胃瘻などは、マスコミもとりあげ関心を惹くようになったが、もはや自ら食 事をとれなくなった老人に対して、胃に穴をあけるまでしなくても、鼻からチューブを通して直接栄養を胃に流し込むことは、か なり普通に行なわれている。このような措置が、ほんのその一部でしかない延命に関する技術の進展は、以前なら死んでいたはず の人間の生命をキュウサイし、多数の療養型医療施設を生み出すに到っている。 しかしながら老齢の人間の生命をできるだけ長く引き伸ばすということは、可能性としては現代の医療技術から出てくるが、現 実化すべきかどうかとなると、その判断は別なカテゴリーに属す。「できる」ということが、そのまま「すべき」にならないのは、 核爆弾の技術をもつことが、その使用を是認することにならないのと一般である。 テクネー (TEX(VM) である技術は、ドイツ語 Kunst の語源が示す通り、「できること(können)」の世界に属すものであって、「すべきこと (sollen)」とは区別されねばならない。 テクノロジーは、本質的に「一定の条件が与えられたときに、それに応じた結果が生ずる」という知識の集合体である。すなわ ち、「どうすればできるのか」についての知識、ハウ・トゥーの知識だといってよい。それは、結果として出てくるものが望ましい かどうかに関する知識、それを統御する目的に関する知識ではないし、またそれとは無縁でなければならない。その限りのところ それが単なる道具としてニュートラルなものに留まりえない理由もある。 では、テクノロジーは、ニュートラルな道具だと、いえなくもない。ところが、こうして「すべきこと」から離れているところに、 ほうてき テクノロジーは、実行の可能性を示すところまで人間を導くだけで、そこに行為者としての人間を放擲するのであり、放擲され た人間は、かつてはなしえなかったがゆえに、問われることもなかった問題に、しかも決断せざるをえない行為者として直面する。 妊婦の血液検査によって胎児の染色体異常を発見する技術には、そのまま妊娠を続けるべきか、中絶すべきかという判断の是非 を決めることはできないが、その技術と出会い行使した妊婦は、いずれかを選び取らざるをえない。いわゆる「新型出生前診断」 3限目 問題文

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現代文 高校生

高一 現代の国語 「暇と退屈の論理学」という教材をやっています 「現代」や「現代社会」はどのようなものか。筆者の考えを踏まえて、説明してみる。 説明お願いします!

こくぶんこういちろう 暇と退屈の倫理学 國分功一郎 → 関連教材 「多層性と多様性」(二 六三ページ) 国や社会が豊かになれば、そこに生きる人たちには余裕が生まれる。 その余裕には少な くとも二つの意味がある。 一つ目はもちろん金銭的な余裕だ。人は生きていくのに必要な分を超えた量の金銭を手 に入れる。稼いだ金銭を全て生存のために使いきることはなくなるだろう。 もう一つは時間的な余裕である。社会が富んでいくと、人は生きていくための労働に全 ての時間を割く必要がなくなる。そして、何もしなくてもよい時間、すなわち暇を得る。 では、続いてこんなふうに考えてみよう。富んだ国の人たちはその余裕を何に使ってき たのだろうか。そして何に使っているのだろうか。 「富むまでは願いつつもかなわなかった自分の好きなことをしている。」という答えが 返ってきそうである。確かにそうだ。 金銭的・時間的な余裕がない生活というのは、あら ゆる活動が生存のために行われる、そういった生活のことだろう。生存に役立つ以外のこ とはほとんどできない。ならば、余裕のある生活が送れるようになった人たちは、その余 裕を使って、それまでは願いつつもかなわなかった何か好きなことをしていると、そのよ うに考えるのは当然だ。 ならば今度はこんなふうに問うてみよう。 その「好きなこと」とは何か。やりたくても できなかったこととはいったい何だったのか。今それなりに余裕のある国・社会に生きて いる人たちは、その余裕を使って何をしているのだろうか。 「豊かな社会」、すなわち、余裕のある社会においては、確かにその余裕は余裕を獲得し 人々の「好きなこと」のために使われている。しかし、その「好きなこと」とは、願い つつむかなわなかったことではない。 問題はこうなる。そもそも私たちは、余裕を得たあかつきにかなえたい何かなど持って p いたのか。 少し視野を広げてみよう。 二十世紀の資本主義の特徴の一つは、文化産業とよばれる領域の巨大化にある。 二十世 紀の資本主義は新しい経済活動の領域として文化を発見した。 5 5 かすみ もちろん文化や芸術はそれまでも経済と切り離せないものだった。 芸術家だって霞を *…(の)あかつきに(は) 霞を食う 127 暇と退屈の倫理学 読解編 126

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現代文 高校生

現代の国語『無通過する社会のゆくえ』(森岡正博)についてです。 この問いに答えていただけませんか? 赤色棒線部(写真を参考してください)の 「人類は昔から、こういう問題に直面してきたのです。」とありますが、この問題の「現代」における特徴を、筆者はどのように説明していますか。

でいます。 無痛文明が最も進んでいるのは、おそらくアメ リカ合衆国と日本ではないでしょうか。 では、苦しみからどこまでも逃げ続けていく仕組みが社 会の中で発展したとして、それのどこが悪いのか、という 疑問が浮かぶと思います。 文明の進歩とはそういうもので あっただろう。それは文明の輝かしい勝利なのではないか、 何てすばらしいんだ、と。はたして、そうでしょうか。 これは非常に悩ましく難しい問題です。 現代哲学が正面 から立ち向かって、深く掘り下げるべき問題ではないかと 思います。 今体験しているさまざまな苦しみ、 将来ふりか かってくるであろうさまざまな苦しみ、そういうものから、 多くの人々が次々と逃げ続けることができるような仕掛け が張りめぐらされている社会は、いい社会だと思いますか。 皆さん、どうお考えでしょうか。 この問いかけを若い人たちにすると、彼らはイエスとは B なかなか答えずに、考え込みます。 苦しみから次々と逃げ続けることができるのは文明の勝 ることができ、快楽、刺激、安楽さ、快適さ、これらを十 分に経験することができる。するとどうなるか。「気持ち がいいけれどもよろこびがない、刺激が多いけれども満た されない」、という状態になるのではないでしょうか。 こ れが、現代文明の根本問題だと私は思うのです。 私もここまでいろいろ考えてきてわかったのですが、 実 はこれは現代に特有の問題ではないのです。 これは、非常 に古くから哲学や宗教が、それぞれの時代に即して考えて きたことなのです。 ある人が財産を手に入れ、権力を手に入れ、 好きな人を 手に入れ、時間を手に入れ、快楽を手に入れ、刺激を手に 入れ、さあどうなったかというと、その人の人生は不幸に なりました、というお話を我々はたくさん持っています。 どの文化でも持っています。 これは何を意味しているのか。 やはり人類は昔から、こういう問題に直面してきたので す。快楽はあるけれどもよろこびがない、物はあるけれど も充足しないという問題に。ところが、昔の社会では、こ 利だし、それでどこが悪いのかと問われたとき、私はどう 答えるか。そこに何か問題があるとすれば、それは我々か 「よろこび」が失われていくことだ、というのが私の結 論です。 苦しみから次々に逃れていった後に何が残るかというと、~ 快楽と快適さと安楽さが残ります。 社会の中で、人間関係 の中で、人生の中で体験する苦しみからどんどん逃れてい そうしてどうしても逃れられない苦しみがあれば、そ れに目隠しをして見ないことにする。 すると、そういうも のは全部目の前からなくなって、そのあとに何が残るかと いうと、快楽、快適さ、安楽さが残る。 欲しい刺激は手に 入れられる、 楽をしたいときには楽ができる。 こういう状 態になるのです。 もちろん今の段階の文明は、まだそこまで行ってはいま せん。そこを目指して動きはじめたところですから、 まだ 5 そこまで行っていないのですが、もしそこまで行き着いて しまったらどうなるのか。 苦しみからいくらでも逃れ続け ういう状況に陥る人は少数でした。たとえば、権力の頂点 に立って人々から搾取している貴族や王族などの、一握り の人々だけだったでしょう。 すなわち、文明が進歩した結果、昔は一握りの貴族とか 王様だけが陥っていた状況が、 大衆化したと考えられるの です。 無痛化する現代文明とは、昔は一握りの人しか抱え 込むことのなかった富の逆説を、社会全体で抱え込まなけ ればならなくなった文明のことなのです。 出典 『生命学をひらく自分と向きあう「いのち」の思想」 (二〇〇五年刊) 5 175|意見を述べる 無化する社会のゆくえ | 174

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