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古文 高校生

黄色のマーカーをした「かかる不思議」の説明をする問題で、私は そもそもなにもしていないし、ご恩もないのに、なぜこのような高価なものを出したのかということ。 とかいて、△でした。どこがいけなかったのか誰か解説してくださるとありがたいです!

T 後の問に答えよ。 いと (注1) くほう (注2) さいは (注) やち この妻申しけるは、「その事ならば、などか嘆き給はむ。人は果報も幸ひも心にこそあれ。 ついでに世を厭はむと思はむに付 きても、すでに御相手になりぬ。尋常なる御引出物をも参らせてこそ、御内をも罷り出で給はめ。先世の契りあればこそ夫妻と もなりて、今日まで、心ざし変はらずして過ごしつらめ。惑はば共にこそ惑はめ。 この屋地なんどあれば、質換へて営み給へ」 (注7) (注6) かうぶ おもひで つたな といふに、夫申しける時、「果報拙くして、今まで御恩も蒙らねば、思出もなくて、年頃日頃過ごしつるだにも、心苦しくかた はらいたきに、我ゆゑわ御前さへ惑ひ給はむこそ口惜しければ」と言ば、「などかくは思ひ給はむ。事のついでに、共に尼法 (10) 師にもなりて、後世菩提の勤めせば、知識とこそ思ひ奉らめ。これほどのある甲斐なき世間は、惑ふとても嘆くにも足らず」 と言ひければ、心ざしの色、誠に浅からず見えける上肢、「さらば、ともかくも、女房のはからひにこそしたがはめ」とて、屋 敷を売りて、用途五六十貫がほどありけるにて、銀の折敷に金の橋を作らせて、ことごとしからぬやうに、紙に包み、懐中し くわいちゆう (注) て、すでにその日になりぬ。 (1) (注1) なにがし うばい 御所へ参りぬ。さて面々に、相手に色々の引出物をしけり。 「いかに、 つかまつ 某は上の御相手に参りて、その用意ありや」と傍輩ど も問ひければ、「いかでか用意 仕らざらむ」と言ふ。「いかばかりの事かし出だすべき」とて、目引き口引き、顔をそばめて ぞ、をかしげに思ひ合ひける。 ところ ごぜん すでに懐より、紙に包みたるものを取り出だして、御前に置きけるを、「させる事あらじ」と思ひて、かつがつ笑ふ者もあり けり。さて御前に置きたるを、引き広げて見給ひければ、銀の折敷に、金の橘を置きたり。心も及ばず作りたりけり。これを見 にが て、皆目を驚かし、人々苦りてぞ見えける。「そもそも何をして御恩もなきに、かかる不思議はし出だしたるぞ」と、御内の人 に尋ね給ひければ、「かかる子細とこそ承はれ」と、くはしく聞きたる者申しければ、大きに感じ仰せけり。 ししゅう せんごく さるほどに、返し引出物に、紙一枚をぞ給はりける。都近き庄の、千石ばかりなるを給ひて、富み栄えて、いよいよ奉公仕り て、重ねて御領も預かりけり。 ありがたかりける果報かな。 妻の心ざしこそ、まめやかに、あはれに覚えけれ。されば、人は貧しくとも、心をぞ立て、恥を も知り忠をも致すべきものなり。 H 果報・・・・・・前世での行いの結果として現世で受ける報い。 4 御御所の中。 5屋地家と土地。 幸ひ…..…幸運。 3 常る……ここでは、立派なの意。 わ御前…… 親しみを込め 8 a 4 2. (注3) Bumm. まど t. 6 御恩・ ・恩賞。 of t

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古文 高校生

黄色のマーカーをした「かく」の意味がどうしても分かりません。誰か解説してくださるとありがたいです!

11 ひきでもの 次の文章は、「沙石集」の一節である。ある時、相手を闘で決め、お互いに引出物をすると災難を逃れられるということが流 行したが、ある貴族の邸で、恩賞を受けたこともなく、蓄えもないために貧しい侍(夫)が、主人(上)の相手になってしまっ た。以下は、侍が自分の不運を嘆き、いっそのこと出家してしまおうと妻に語ったところからはじまっている。これを読んで、 後の問に答えよ。 (注2) (注1) くわほう さいは (#) せんせ ま みうち (注3) やち この妻申しけるは、「その事ならば、などか嘆き給はむ。人は果報も幸ひも心にこそあれ。ついでに世を厭はむと思はむに付 きても、すでに御相手になりぬ。尋常なる御引出物をも参らせてこそ、御内をも罷り出で給はめ。 先世の契りあればこそ夫妻と もなりて、今日まで、心ざし変はらずして過ごしつらめ。惑はば共にこそ感はめ。 この屋地なんどあれば、質換へて営み給へ」 といふに、夫申しけるは、「果報拙くして、今まで御恩も蒙らねば、思出もなくて、年頃日頃過ごしつるだにも、心苦しくかた (注7) ひ つたな (注6) かぶ はらいたきに、我ゆゑわ御前さへ惑ひ給はむこそ口惜しければ」と言へば、「などかくは思ひ給はむ。事のついでに、共に法 (注9) ぜんちしき ごせぼだい 師にもなりて、後世菩提の勤めせば、善知識とこそ思ひ奉らめ。これほどのある甲斐なき世間は、惑ふとても嘆くにも足らず」 と言ひければ、心ざしの色、誠に浅からず見えける上は、「さらば、ともかくも、女房のはからひにこそしたがはめ」とて、屋 (注1) くわん しろかね しき こがね たちばな くわいちゆう 敷を売りて、用途五六十貫がほどありけるにて、銀の折敷に金の橘を作らせて、ことごとしからぬやうに、紙に包み、懐中し て、すでにその日になりぬ。 'Dam' (13) なにがし (注1) はうばい 御所へ参りぬ。さて面々に、相手に色々の引出物をしけり。 「いかに、某は上の御相手に参りて、その用意ありや」と傍輩ど も問ひければ、「いかでか用意 仕らざらむ」と言ふ。「いかばかりの事かし出だすべき」とて、目引き口引き、顔をそばめて ぞをかしげに思ひ合ひける。 ごぜん すでに懐より、紙に包みたるものを取り出だして、御前に置きけるを、「させる事あらじ」と思ひて、かつがつ笑ふ者もあり けり。さて御前に置きたるを、引き広げて見給ひければ、銀の折敷に、 F つと (注10) c~ (SAF) くじ まど か いと

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日本史 高校生

問1、問2、問3について教えて頂きたいです。

料書 P44~65〕 中世社会の成立 4ページ 摂関政治と文化の和様化 [教科書 P44~54〕 I) 空欄にあてはまる語句を入れなさい。 また、下線部の問いに答えなさい。 1. 貴族社会と摂関政治〔教科書 P44~47] ED 平安時代になると藤原房前の子孫である藤原氏北家が天皇の母方の親族a 外戚となり勢力を伸ばす。 藤原冬嗣・・・ 房前の曾孫。嵯峨天皇の信任を得て、蔵人頭となる。 - 藤原良房 ・・・冬嗣の子。 842年の承和の変で伴 (大伴) 健岑・橘逸勢らを退ける。 866年に応天門の変のとき、臣下として 初の(摂政)となる。また、応天門の変を利用し、有力氏族の伴氏・紀氏を没落させる。 藤原基経・・・良房の養子。 884年に最初の(関白)として天皇を補佐した。 藤原忠平・・・基経の子、時平の弟。 朱雀天皇の摂政、朱雀・村上天皇のb関白を務める。この ろ、醍醐・村上天皇による延喜天暦の治とよばれる天皇親政が行われる。 藤原実頼・・・忠平の子。 969年の安和の変で左大臣源高明が左遷されると以後、ほぼ常に摂政・ 白が置かれるようになる。 藤原道長)・・・忠平の曾孫。後一条・後朱雀・後冷泉の3天皇の外祖父となり、摂関政 最盛期を実現。 浄土教に帰依し、 法成寺を建立。 藤原頼通)...c道長の子。 後一条・後朱雀 後冷泉の3天皇の摂政・関白となるが、 の娘と天皇との間には、 皇子が生まれなかった。 宇治に平等院を建立。 世紀末~10世紀 (平安時代前期~中期) 天皇が延喜の荘園整理令を出す→班田制の立て直しをめざす。 制度の変更→国司の最上席者の権限が増大し、受領とよばれるようになる。のちに赴任せず 入を受け取る (遙任)がさかんになる。 農民 (田堵) や田地の耕作を請け負い、租庸調や公出挙の利息にあたる官物や臨時雑を国 納めた。 課税の対象となる土地は名という単位にわけられ、 税の請負人は負名とよばれた。 がんから土地に変化。 してもらう

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日本史 高校生

高2日本史の問題です。 問題が1~8までありますが全て教えてもらえるとありがたいです。 書かなければ行けない行数が8行で、参考書などを見ても知識が浅く、全て埋められないため詳しく教えてくださるとありがたいです。 お願いします。

【1】13点分 1. 藤原光明子は聖武天皇の皇后に立てられたが、律令の規定では光明子が皇后になることは難しかったと考え られる。 その理由について、2行程度で説明しなさい。 ( 3点) 2. 桓武天皇はなぜ平城京から都を移したのか。 その理由を2行程度で説明しなさい。 (2点) 3. 摂政と関白について、その違いがわかるように、3行程度で説明しなさい。 (3点) 4.10世紀ごろから流行した浄土教の教えについて、 流行した背景についても触れながら3行程度で説明しなさ い。 (3点) 5. 白河天皇は、子の堀川天皇に位を譲ると院政を開始した。 院政が開始された直接的な理由を1行程度で説明し なさい。(2点) 【2】 6.9世紀初頭に論じられた 「徳政論争」(徳政相論)の論点と結論を、議論を闘わせた人物の名前も挙げながら、 6 行程度で説明しなさい。 (10点) 7. 藤原氏北家が台頭する過程でとった手段について、次のA~Dの事実に沿って10行程度で説明しなさい。 (12点) A:平城太上天皇の変に際し、 藤原冬嗣が任命された蔵人頭について、南北朝時代の公卿である北畠親房は、 「力量のない者には希望しても無理な仕事である」と述べている。 B: 藤原冬嗣は、 一族子弟の教育のために勧学院を設立した。 藤原氏の氏長者 (一族のトップ)が管理にあたり、 学生に様々な経済的支援を与えた。 C : 藤原冬嗣は娘の順子 (じゅんし) を仁明天皇に嫁がせ、誕生した子は文徳天皇となった。 冬嗣の子の藤原良房 は娘の明子(あきらけいこ)を文徳天皇に嫁がせ、誕生した子は清和天皇となった。 良房は清和天皇の母方の祖 父として、摂政に就任した。 D: 藤原良房は、承和の変で伴健岑・橘逸勢を退け、さらに応天門の変では伴善男らを没落させた。 8. 国風文化が花開いた時期に、 優れた女流文学が誕生 した理由を考えて、 7行程度で説明しなさい。 その際、 摂関家の権限についても触れなさい。 ( 10点) <ヒント> 藤原氏の娘に仕えた紫式部の父藤原為時、 清少納言の 父清原元介はともに国司階級の下級貴族である。 ◆摂関家などの上級貴族は官吏の人事権をにぎっていた。 ★採点基準 2点~3点 ・必要なキーワードが入っている 10点~12点 ・字数が十分である (解答欄の8割以上) +1点 ・必要なキーワードが入っている、 ヒントについて触れている +1~9点 ・内容が正しい+2点

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