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数学 高校生

なんで青線の①の式から辺BCが2:3に内分すると分かったのか謎だし、線分ADを5:6に内分すると言うのもどう考えたら出るのか全くわからないので手がつきません😭😭😭😭🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️教えてください🙏

基本例題 22 分点に関するベクトルの等式と三角形の面積比 ①①①①① △ABCの内部に点Pがあり, 6PÂ +3P+2PC = 0 を満たしている。 (1) 点Pはどのような位置にあるか。 (2) APAB, APBC, APCA の面積の比を求めよ。 解答 (1) 等式を変形すると 指針▷ (1) αPA+6PB+cPC = の問題点Aに関する位置ベクトルAP, AB, AC の式に 直し、AP=k nAB+mAC m+n の形を導く。 A (2) 三角形の面積比 等高な底辺の比②2 等底なら高さの比を利用して,各 三角形と△ABCとの面積比を求める。その際, (1) の結果も利用。 よって -6AP+3(AB-AP) +2(AC-AP)=0 11AP=3AB+2AC ① ゆえに ゆえに AP= 5,3AB+2AC 5 辺BCを2:3に内分する点をDと すると AP-AD したがって, 辺BCを2:3に内分 する点をDとすると, 点Pは線分 AD を 56 に内分する位 置にある。 (2) △ABCの面積をSとすると △PAB= 51.4 △ABD= 6 △PBC= …AABC= 11 APCA-A -.AACD= B 6 53 11 5 D n △ABC=11S •AABC=ns APAB: APBC: APCA = S: S: S p.413 基本事項 [②2] [類 名古屋市大] 基本58 C =2:6:3 差の形に分割。 AB, AC の数に注目す ると,線分 BC の内分点の 3AB+2AC 2+3 位置ベクトル の形に変形することを思い つく。 【等高S,S, S,S,- [参考] 一般に, △ABCと点Pに対し, IPA+mPB+nPC=0 を満たす正の数m,nが存在す るとき,次のことが成り立つ。 (1) 点Pは△ABCの内部にある。 (2) APBC: APCA: APAB=1:m:n

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現代文 高校生

この現代文の問題を教えてください 一つだけでも教えてくださると嬉しいです!

DELUC 四 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。(B) 見えない人が「見て」いる空間と、見える人が目でとらえている空間。それがどのように違うのかは、一緒に時間を過ごす中で、ふとした 瞬間に明らかになるものです。 たとえば、 *注木下路徳さんと一緒に歩いているとき。その日、私と木下さんは私の勤務先である東京工業大学大岡山キャンパスの私の研 究室でインタビューを行うことになっていました。 私と木下さんはまず大岡山駅の改札で待ち合わせて、交差点をわたってすぐの大学正門を抜け、私の研究室がある西9号館に向かって歩き はじめました。その途中、一五メートルほどの緩やかな坂道を下っていたときです。木下さんが言いました。 「大岡山はやっぱり山で、いま その斜面をおりているんですね」。 私はそれを聞いて、かなりびっくりしてしまいました。 ①なぜなら木下さんが、そこを「山の斜面」だと言ったからです。毎日のようにそ こを行き来していましたが、私にとってはそれはただの「坂道」でしかありませんでした。 つまり私にとってそれは、大岡山駅という「出発点」と、西9号館という「目的地」をつなぐ道順の一部でしかなく、曲がってしまえばも り忘れてしまうような、空間的にも意味的にも他の空間や道から分節化された「部分」でしかなかった。それに対して木下さんが口にしたの は、もっと俯瞰(ふかん)的で空間全体をとらえるイメージでした。 確かに言われてみれば、木下さんの言う通り、大岡山の南半分は駅の改札を「頂上」とするお椀(わん)をふせたような地形をしており、西 9号館はその「ふもと」に位置しています。その頂上からふもとに向かう斜面を、私たちは下っていました。 けれども、見える人にとって、そのような俯瞰的で三次元的なイメージを持つことはきわめて難しいことです。坂道の両側には、サークル 勧誘の立て看板が立ち並んでいます。 学校だから、知った顔とすれ違うかもしれません。前方には混雑した学食の入り口が見えます。目に飛 び込んでくるさまざまな情報が、見える人の意識を奪っていくのです。あるいはそれらをすべてシャットアウトしてスマホの画面に視線を落 とすか。そこを通る通行人には、自分がどんな地形のどのあたりを歩いているかなんて、想像する余裕はありません。 そう、私たちはまさに「通行人」なのだとそのとき思いました。 「通るべき場所」として定められ、方向性を持つ「道」に、いわば②ベル り開放的なものに思えます。 トコンベアのように運ばれている存在。それに比べて、まるでスキーヤーのように広い平面の上に自分で線を引く木下さんのイメージは、よ 物理的には同じ場所に立っていたのだとしても、その場所に与える意味次第では全く異なる経験をしていることになる。それが、木下さん の一言が私に与えた驚きでした。人は、物理的な空間を歩きながら、実は脳内に作り上げたイメージの中を歩いている。私と木下さんは、同 じ坂を並んで下りながら、実は全く違う世界を歩いていたわけです。 ③彼らは「道」から自由だと言えるのかもしれません。 道は、人が進むべき方向を示します。もちろん視覚障害者だって、個人差はあると しても、音の反響や白杖(はくじょう) の感触を利用して道の幅や向きを把握しています。 しかし、目が道のずっと先まで一瞬にして見通すこ とができるのに対し、音や感触で把握できる範囲は限定されている。道から自由であるとは、予測が立ちにくいという意味では特殊な慎重さ

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