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歴史 中学生

【至急】歴史のレポート課題なのですが、調べても全然分かりません😭どのような説明文を書けば良いですか?

世界に認められた国!? 日本の何が評価された? 時代は1911 (明治44) 年2月21日。 あなたはアメリカ合衆国の外交担当官の一人です。 先ほど日米 の間で日米通商航海条約が改訂され, 日本は関税自主権を回復しました。 つまり日本は幕末以来の悲 願である不平等条約の改正に成功したのです。 しかしアメリカ国内には条約改正に反対する勢力がおり、 反対派の記者団は調印後出てきたアメリ カの外交団に対して質問を浴びせかけてきました。 アメリカの外務大臣にあたる国務長官のフィラン ダー=ノックス長官は先に行ってしまったので,あなたが記者団からの質問を答えることになりまし た。 記者A「なぜ日本との条約を改正したのですか!? 今のままの状態で十分だったではないですか!」 記者B「アメリカがそんなに弱腰の外交でいいんですか!? もっと強気に出れば日本を黙らせること ができたのではないですか!?」 記者 c 「日本は我々アメリカと対等な条約を結ぶような国なのですか? アメリカ国民が納得いく説 明をお願いします!!」 あなたはなぜ日本との不平等条約を改めることにしたのか,その理由を説明することになりました。 日本はどのような国になったのか, 日本人がどのように国をつくってきたかを説明することにしま した。 見事に記者団を納得させましょう。 パフォーマンスの尺度(評価の指標) A アメリカが日本との条約改正に応じた理由を, 日本が明治時代を通じてどのような国家になっ てきたかを国内の変化や諸外国との関係から具体的な事例を複数使い多面的にまとめ, さらに そこに至る日本国民の感情にも触れて説明している。 B C . ・アメリカが日本との条約改正に応じた理由を、日本が明治時代を通じてどのような国家になっ てきたかを国内の変化や諸外国との関係から具体的な事例を用いて説明している。 アメリカが日本と条約改正した理由を説明していない。 ・条約改正の理由を日本の国内の変化や対外関係の変化に求めていない。 .

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世界史 高校生

オーストリアとオスマン帝国の関係性ってなんですか?

バルカン半島での 対立 20世紀初頭、列強の二極分化が進み、 協商 →p.90 国と同盟国の対立が深まった。 対立の焦点 しょうてん となったのは、新たに独立した国々が領土をめぐってにらみあい、列強 も外人の野心をもつバルカン半島で、その状況から「ヨーロッパの火薬 にちろ 庫」と呼ばれた。とりわけロシアは、日露戦争の敗北によって再びバ ルカン半島に目を向け、オーストリアもまたバルカン半島での影響力を 広げようとしていた。 1908年、青年トルコ革命によるオスマン帝国の混 →p.96 乱に乗じて、 オーストリアはベルリン会議で行政権を得ていたボスニア・ →p.50 へいごう ヘルツェゴヴィナを併合した。 セルビアはこれに強く反発し、同じ正 教国として関係の深いロシアに支援を求めた。 1912年、ロシアはセルビアやブルガリアなどのバルカン諸国に働きか け、反オーストリアのバルカン同盟をつくり、 オスマン帝国と戦って勝 利した(第1次バルカン戦争)。 しかし翌年、獲得した領土の分配をめぐ って同盟諸国間での戦争 (第2次バルカン戦争) が生じると、 敗北して多 かくとく BALKAN TROUBLES Revan tick おおがま 1 「ヨーロッパの火薬庫」 い まにも吹きこぼれそうな大釜 には「バルカン問題」と書かれて おり、おさえ込もうとする列強 も戦々恐々としている。 Q バルカン半島は、なぜ 「ヨーロッパの火薬庫」 と呼ばれたのだろうか。

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現代文 高校生

私は国語がとても苦手で、1番最後の写真の問題が分かりませんでした🥲🥲🥲 どなたか答えを教えていただけると嬉しいです🥲🥲 文学国語 高2です。

s c 無双窓 一定の間隔で 小池昌代 光の窓 家の雨戸には、横並びに五つか六つ、細長い小窓が付いていた。 全体を覆う戸板が あって、それをずらすことで開閉できる。 雨戸を閉めても、外の様子をのぞくことができ るし、換気の役目も果たしていただろう。 こういう窓を「無双窓」とよぶというのは、後 になって知ったことだ。 無双窓は子供部屋にもあった。 私と妹は、その六畳ほどの狭い和室で寝起きし、宿題も やるというふうだった。 以前は嫁ぐ前の叔母姉妹の部屋だった。 戸板の微妙なずれ方によって、朝、そこから、 まぶしい光の侵入がある。 暗闇の中に差 し込む光の模様は、一日として同じことはなかった。 「光のトンネルの中に浮かび上がる、きらきらと舞う無数のほこり。 それがおもしろくて いつまでも見ている。 そんな子供はどんな時代にもいるはずだ。 私は、あのとき何を見ていたのか。舞うほこりに見とれていたのか。 いや、光によって 照らし出されたものよりも、通過する光そのもの、光の「働き」のほうに魅せられたので はなかったか。 見るとは実に不思議なことだ。 視覚を通して何かを「見る」とき、私たちはいったい何 を見ているのだろう。 木だ、空だ、花だと、一つ一つ認識しながら見る場合はいい。そう ではなく、目を開けて何かを見ていても、頭は別のことを考えているということがある。 例えば壁の染みに、染みから思起された全く別の、過去のある出来事を見ているというこ 視覚の力は圧倒的だが、ほかの感覚に引きずられるとき、目を開けていながら、視界が 空っぽになり、見えている前の風景を見ていないということにもなるのはおもしろい それでも、目が見える場合には、どうしたって見えてしまうし、見てしまうのだから、 その経験は長くは続かない。それが大人の肉体である。 今、私は見ている。 見ている私が いる、というふうに自意識も動き出してしまう。 子供の頃はそうではなかった。視覚も覚も味覚も触覚も、五感がもっと と溶け合っ ていて、もっと放心してものを見ていた。我を忘れて、一個の感覚の器として、世界の中 に一人あった。 「からだ」は泥のようになまめかしい。 取り付けた格子の内側 可動式の格 子板を取り付け、開 閉できるようにした

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