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理科 中学生

出来る問題だけでいいので教えてください🙇‍⤵︎ お願いします!!!明日までなので、

1 次の実験と資料について(1)~(5)の問いに答えなさい。 実験 ⅡI I デンプン溶液を5mLずつ入れた試験管を4本用意し, 試験管A~Dとし た。試験管A.Bには水でうすめただ液を2mLずつ加え, 試験管C,Dに は水を2mLずつ加えた。 図1のように,試験管A~Dを約40℃の湯に入れて, 15分間あたためた。 III 試験管ACに液体Pを加えたところ, 試験管Aの液では反応が見られな かったが,試験管Cの液は青紫色に変化した。 このことから,試験管Aの液 にはデンプンがふくまれていないが、試験管Cの液にはデンプンがふくまれ ていることがわかった。 図 1 *140°C の湯 NV 試験管B,Dの液にそれぞれ液体Qを加えたのち, 沸騰石を加えて, ガスバーナーで加熱 した。その結果,試験管Bの液中には赤褐色の沈殿が生じたが, 試験管Dの液では反応が見 られなかった。このことから、試験管Bの液には,ブドウ糖がいくつかつながった物質がふ くまれているが,試験管Dの液には,この物質がふくまれていないことがわかった。 VIII, IVの結果を表にまとめた。 表 試験管 A B C D Ⅲの結果反応なし IVの結果 液が青紫色に変化 液中に赤褐色の沈殿 資料 反応なし 図2 柔毛 だ液 毛細血管 実際に, ヒトの体内でデンプンが消化されるときは, a 中の消化酵素以外に, b の消化酵素のはたらきで分解され, 最終的にブドウ糖となる。 小腸の内側のかべにはたくさんのひだがあり, そのひだの表 面には,柔毛とよばれる突起状のつくりが無数にある。 図2は, この柔毛の断面を模式的に表したものである。 デンプンが消化 され,最終的にブドウ糖になった後, 柔毛で吸収されて毛細 血管に入る。 C リンパ管 (1) 実験で用いた液体P, Qとして, 最も適当なものを,次のア~エの中からそれぞれ1つずつ選び なさい。 ア 酢酸カーミン イフェノールフタレイン溶液 ウベネジクト液 エヨウ素液 (2) デンプンを別の物質に変化させるはたらきが, だ液にあることは,実験のどの試験管とどの試験 管の結果を比べるとわかるか。 最も適当なものを, 次のア~カの中から1つ選びなさい。 ア 試験管Aと試験管B エ 試験管Bと試験管C イ 試験管Aと試験管C ウ 試験管Aと試験管D オ 試験管Bと試験管D カ試験管Cと試験管D (3) 下線部aの消化酵素を何というか。 カタカナで書きなさい。 (4) bにあてはまることばとして最も適当なものを,次のア~エの中から1つ選びなさい。 ア 胃液中や胆汁中 ウ胃液中や小腸のかべ イすい液中や胆汁中 エ すい液中や小腸のかべ (5) 下線部cの説明があてはまる養分として,最も適当なものを,次のア~エの中から1つ選びなさい。 イ脂肪酸 ウグリコーゲン ア アミノ酸 エモノグリセリド

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数学 中学生

大大至急お願いしたいです!! 3つの問題共どうしても、わかりません… 中3生の問題です。 (1)はイだと思っているのですが、それも確かか分かりません… 道のり系の計算が得意な方、お願いします🙇‍♀️ できれば、早めに誰かお返事もらえると嬉しいです!

2 太 と弟の次郎さんは,同じ学校に通っ ており,家から学校まで一直線の道を歩いて通 学 公園 校 (m) 900 人 m92人の間の距離 (150円 学しています。 ある日, 太郎さんは7時に家を 出発して一定の速さで歩き、 途中にある公園で 休憩してから,休憩前と同じ速さで学校まで歩 きました。 次郎さんは, 太郎さんより遅れて家 を出発し、 途中で休憩することなく一定の速さ で学校まで歩きました。 2人は学校には7時 40 分に同時に着きました。 右の図は、このときの 時刻と2人の間の距離の関係をグラフに表したものです。 (1) 7時分における家からの道のりをymとします。 次のア~エのうち, 太郎さんと次郎さんそれぞれについて, 家を出発してから学校に着くまで の,xとyの関係を表しているグラフはどれですか。 15分152025 40(分) (7時) 時刻 1168 〈香川〉 ア イ ウ エ y y 太郎 太郎 太郎 太郎 次郎 次郎 /次郎 次郎 O 152025 40 0 152025 40 0 152025 40 0 152025 40 (2) 太郎さんが公園を出てから学校に着くまでのある時刻における, 太郎さ んと次郎さんの家からの道のりはそれぞれ何m ですか。 ある時刻を7時 x分として,x を使った式で表しなさい。 (3) 公園と学校の途中にある建物Aの前を, 太郎さんは7時α分に通過し, その4分後の7時6分に次郎さんが通過しました。 このとき, a, b の値 を求めなさい。

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数学 中学生

大大至急お願いしたいです!! 3つの問題共どうしても、わかりません… 中3生の問題です。 (1)はイだと思っているのですが、それも確かか分かりません… 道のり系の計算が得意な方、お願いします🙇‍♀️ できれば、早めに誰かお返事もらえると嬉しいです!

太郎さんと弟の次郎さんは,同じ学校に通っ ており、家から学校まで一直線の道を歩いて通 学 |公園 校 (m)| 900 2 学しています。 ある日, 太郎さんは7時に家を 出発して一定の速さで歩き、途中にある公園で 休憩してから、休憩前と同じ速さで学校まで歩 人 きました。次郎さんは,太郎さんより遅れて家 を出発し、途中で休憩することなく一定の速さ で学校まで歩きました。 2人は学校には7時40 分に同時に着きました。 右の図は,このときの (7時) 時刻と2人の間の距離の関係をグラフに表したものです。 (15分152025 40 (分) 時刻 1188 〈香川〉 (1)7時分における家からの道のりを ym とします。 次のア~エのうち, 太郎さんと次郎さんそれぞれについて, 家を出発してから学校に着くまで の,xとyの関係を表しているグラフはどれですか。 アの食 y イ 太郎 太郎 次郎 次郎 152025 400 152025 ウ I y 太郎 太郎 次郎 次郎 400 152025 40 400 152025 (2) 太郎さんが公園を出てから学校に着くまでのある時刻における, 太郎さ んと次郎さんの家からの道のりはそれぞれ何mですか。 ある時刻を7時 x分として, xを使った式で表しなさい。 (3) 公園と学校の途中にある建物Aの前を,太郎さんは7時α分に通過し, その4分後の7時6分に次郎さんが通過しました。 このとき, a,bの値 を求めなさい。

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現代文 高校生

問2が答えと解説を読んでも なんでそうなるのかも解説が言ってる意味も よく分かりません 問2の答えは「中央の出先機関の立場」だそうです

3 基礎編 1 →解答解説は本冊ムページ 評論①『まちづくりの実践』田村明 課題対比の箇所に注目し、その箇所に傍線を引いて読んでみよう。 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。 にぎ 戦国時代の権力者は、軍事要塞として城を築き、その近くに商人や職人たちを集めて町をつ くった。織田信長の楽市楽座はその典型で、都市を充実した賑わいの場にすることに成功した。 権力者が町をつくり住民を住まわせる城下町が日本の都市の主流になる。明治になってからも、 都市は「お上」がつくり、また「企業」がその城下町をつくってきた。 2 西欧では中世から、商工業者を中心にした市民が、権力者である領主から自立して、自治都 市あるいは自由都市という立場を勝ち取って町をつくることが多かったが、日本にはその例は ほとんどない。だから受動的な「住民」はいても、主体的に都市をつくろうという「市民」は 不在である。つい最近まで、都市や町をつくるのは行政権力や企業権力であり、住民はそこで 暮らすだけで、 自ら「まち」をつくるという意識は希薄なままであった。 一九一九年に制定された都市計画法では、計画は「内閣に諮って主務大臣が決定する」と規 定され、都市は国家という「お上」がつくることになっている。自治体は国家の決めたこと を実施する代官にすぎない。この状態が、戦前ばかりか戦後のごく最近まで続く。自治体は住 民代表の立場ではないから、住民から要望や提案が出ても取り上げられない。だから、できる だけ住民の意見を聞かないで、せいぜい説明だけですませたいという気持ちが強かった。 4 これではおかしい。日本は第二次大戦の敗戦によって民主主義国家に生まれ変わったはずだ。55 「地方分権」を言うまでもなく、自治体の自立性は現行憲法でうたわれている。それなのに固有 の風土と歴史のある地域が、全国画一的に各省庁バラバラな施策で振り回されていては、「よ 「い」「まち」はできない。住民から直接公選された首長たちには、法令はなくても自らの判断で 地域と市民のための施策を行う動きが出てきた。 ⑤ 一九六〇年代初頭から、先進自治体では、独自の方法で乱開発による崖崩れの防止、学校用 20 地の確保、排水の整備、あるいは工場の公害にたいする予防措置などを行い始める。また、民 主主義の実践の場としての市民参加のさまざまな試みを始めた。地域の個性や文化を求める地 域ごとの工夫も始まる。都市という複雑で総合的で個性的な計画をするには、国家という画一 的な「お上」では無理である。ようやく、自治体は国の出先機関ではなく、市民の側に立っ て、独自の立場で個性的な地域づくりを自覚するようになった。 9 一般的な自治体は、事態の変動に鈍感で、相変わらず中央の出先機関の立場に甘んじている ものが多かった。直接に生活を脅かされる住民の方が敏感に反応し、さまざまな反対運動がお きる。そのうちいくつかは、自発的な「まちづくり」運動へと発展していった。 7 一九六〇年代になると市民参加をはっきり打ち出す自治体も現れた。 議会や中央官庁から . 25 5 「企業」がその城下町を くって大企業とその 請けの中小企業が、 自 の主要な産業の中心と てかたまって存在する 比喩的に表現した 画一的個性や特徴 ないこと。 類語に「一様 「均一」がある。 一九六〇年代―一九五 年から一九七三年にかけて 「高度経済成長期」に会 まれる。

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