19世紀末にドイツが強国として台頭すると, フランスとロシア
は同盟を結んで対抗しました。イギリスはロシアの東アジアへの
進出を警戒して日英同盟を結びましたが, ロシアが日露戦争に敗」
れると,ロシアと協商を結んで関係を改善しました。イギリスは
民地を広げ,アジアに続いて, アフリカや大」
世界大戦
んになり,「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていました。こうした
ょうか。
おうべい
19世紀末の欧米諸国は, 地球上の至る所で。
う
列強の動向
よう
平洋地域の大半も植民地化されました。こつして欧米諸国が低。
を支配した一方で, ヨーロッパの中では対立がありました
5
→p.174
AからCが
当えましょう。
したことで、
変化したか
→p.149
たいこう
にちろ
Sp20
けいかい
にちえい
進出を警戒して日英同盟を結びましたが、ロシアが日露戦争に
→p.178
Sp276)
p276
さんごくきょうしょう
さらにフランスとも協商を結び, 三国協商が成立しました。その
一方で,ドイツはオーストリアと同盟関係にあり, さらにイタリ。
ドイツ
三国制盟
(1882)
さんごくどうめい
アも加わって三国同盟が結ばれました。こうして20世紀初めの
ヨーロッパの国際関係は, 三国同盟と三国協商との間で, 「武装
した平和」と呼ばれる緊張が続いていました。
イタリア
きんちょう
2
関係
と三国
の対立
第一次世界大戦
こうした列強の間の対立に, 民族の対立が加
レビア
p.281
わりました。バルカン半島では, オスマン帝
国(トルコ)が衰退するのにともない, スラブ民族の独立運動が登
んになり,「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていました。
2
こく
すいたい
人や
かやくこ
世紀