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世界史 高校生

問Ⅲが分かりません!! お願いします🙇‍♀️🙇‍♀️

資料C:日本の鎖国令(1635) 日本へ日本の船を出すことは堅く禁止する。 日本人は異国へ行ってはならない。もし密航する者があれば、本人は死罪、船及び船主は停めおいて申し出ること。 異国に住んでいる日本人が帰国すれば死罪にする 資料D:日本の鎖国令 (1639) 日本で禁止になっているキリスト教を、それとは知りながら広めようとする者がいまでも渡航してくる。 キリシタン宗門の者たちが徒党を組み、悪事を企てることがあれば、直ちに厳重に処罰する。 キリシタンが隠れ住む所へ、南蛮人が援助していること。 右の理由によって、今後ポルトガル船が日本に渡ってくることを禁止する。今後渡ってきた時はその船を壊し、乗員は即 座に死罪にせよと命令があった。よってこのように通達する。 資料:フランスの啓蒙家ヴォルテールの論じたイエズス会の追放 『寛容論』 *イエズス会士自身が、その『異聞書簡集』のなかで、この賢明な清国の皇帝である薙正大帝が彼らに言われた言葉を伝 えている。「股は汝らの宗派が不寛容であるのを存じている。フィリピン諸島ならびに日本での渋らの所業も存じている。わが 父の目を欺きおおせたからといって、脱をも欺けるとは思うまいぞ。」皇帝がイエズス会士に賜った御言葉の全文を一読すれ ば、この君主が人類で最も英滅にして最も寛仁であらせられのがわかるであろう。 問I:日本や清国においてキリスト教を禁止していく背景にはどのような理由を挙げることができるだろうか。資料を参考に 考えてみましょう。

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現代文 高校生

⑶.⑷.⑺.⑻を教えてください

昨日、久しぶりに“梅雨の晴れ間に、大文字山を登った。先月の激しい雷雨で土砂が“クズれ、 足もとが悪いところもあって、散歩にしては 。ゲワしい道程である。そのぶん、登り切ったときの爽 快感も格別だ。山頂からの眺めを楽しみに登る人も多い。僕は大体、考えごとをしながら登るので、 山頂に着くとそのまま景色を °一督して引き返してしまうのだが、昨日は珍しく、しばらくぼうっと していた。 すると、遠く彼方に連なる山の緑の中に、キラッと光るものが見える。正体はいまひとつ。判然 としないが、山の中の何かが太陽の光を反射しているのだろうと思う。それが、キラッキラッと、繰 り返し光る。僕は遠くのその光が、遠くに見えるということが何とも不思議に思えて、ただ。ギョウ ふした。 太陽の光が何かに当たって跳ね返り、その光の粒子が空中を伝わって。フクザツな物理化学的過 程を引き起こし、結果として、脳内にある活動のパターンが生成していく。この脳の活動によって、 僕の「見える」という経験が生み出される。~大雑把に言えば、これが 科学的な説明になるだろうか。 しかし、だとしたら、なぜ山の風景は「目の前」にではなくて、遠くに、ずっと向こうに、「あ そこに」はっきり見えるのか。僕が見ているのが山の中の光そのものではなくて、そこから空中を伝 わり、目の中にまでやってきた光の粒子なのだとしたら、なぜ僕にいま「見える」のは、その到来し てきた日の前の粒子ではなくて、身体のずっと向こうの、遠くの、山の中の、まさに「あそこの」光 なのだろうか。考えれば考えるほど不思議になって、僕はただじっと、その光を見つめ続けた。 いま僕の手前の床の間に、花瓶に生けられたスターチスがある。花は、その花が生けられたまさ に「そこ」にあるように見える。僕は花から到来した光の粒子を見ているというより、その花を、 直に見ているように感じる。手の届かない、日で直接触れているわけではないその花が、その場所 森田真生「白紙」ワークシート*読んで考えたことを、話してみよう* ト (1)-7見える」ということの にありありと、はっきりと見える。 光の粒子と網膜の物理的接触というよりも、もっとはるかに親密な関係を、僕は花と結んでいる ように思える。花が「見える」ということは、どこか深いところで花と直に触れ合っていることだと いうふうに思える。花だけでなく、花瓶と、あるいは山と空と、つまりは環境のすべてと、いつの間 にか僕は心を通わせ合っていて、その「通い合う心」が「見える」「聞こえる」「わかる」ということ を、背景で支えているような気がしてくる。 「見える」ということは実際、今の人類にはとてもまだ言葉にできないような、不思議で奇跡的 な事態なのではないか。あまりに不思議で、あまりに大きな謎なので、(かんら)「当たり前」と いうことにされてしまう。 不思議なことを当たり前のこととして、(すなわて) は前に進めないところがある。 (下とんに)「見える」「聞ごえる」機械は作れないとしても、「見える」ことを前提として、そ の能力を拡張する眼鏡や望遠鏡や顕微鏡を作ることならできる。自力で「わかる」機械はなかなか作 れそうにないが、人の「わかる」力を前提として、それを延長することならコンピュータにできる。 そうして人は、最大の謎を、最奥の深秘をひとまず括弧にくくることにして、不思議の先に、広 大な知と実用の世界を構築してきた。いまや 前提の、すべてを支える原初の不思議の、不思議であることすら自覚されない。 「前提」とすることによってしか、人 い その構築された世界はあまりに壮麗で、足もとの

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現代文 高校生

答えが無くて、合っているか分かりません。 どなたか答えを知っている方いたら、教えて頂けませんか?宜しくお願いします。

本七分 n m w ステップ3| )度6画図を把握する しい プ ) と理徳を考える 伝田帳属 『回W0かむために! こるゆえに のからは出るとこうがあるものの、 生に対して積極的であり、 受け身ではない。それ ゴが トのでありながら、なしろ努力によって理得するものであり、 文明のぬるま湯に浸って自己満足 しているかぎり、 自覚されることはない。 海い受 件 や () に> 隣を深めよう 「監型」の哲学 約のための確 N 人間 (野性)的動物 … 出を除外しない く S にる 「るに記型にしていることが高く評当されたが、ニ十一世紀に求められるのは、 身体性を疎外しない全人 に駅JPS「かれた(野)」である"そうでなければ、 ますます先起化する情報化社会の波に国洋されて、 空な知識ばかりを頭に防め込み、みずからの身体に本来備わっている生命力を、どんどんと先掘りさせていく 『. du 筆者の注目している点 文明社会で * く り 個人間が 理ぶ2を失わ *に 的なことを言えば、高度に発達した文明社会で、人間が合理観を失わないためにも、人間 10 他の動物的側面を回復することが大切なのである。理性が突出して身体に備わる動物性が排民されてしまうと 自分が生きているのだという生命感覚もなければ、他者もまた同じ生命を生きているのだという連帯感がなくなっ に ないために… 側面 の国復 生命感覚」 連帯感 十 知的性格は感覚の外にあって之を統一するのではなく、感覚の内になければならぬ、感覚の奥に閃くもの一 でなければならぬ、然らざれば考えられた人格にすぎない。それは感ずる理性でなければならぬ の廃 (世)。 (西田焼多郎 「思薬と体験」) 学的悪修にボットウするあまり、やや肉体をおろそかにしすぎた感のある西田ですら、叡知と感覚が切って も切れない関係にあることを早くから気づいていたのである。「感ずる理性」を持ちあわせない人格者が、いくら 立脈な道徳論を振り回してみたところで、いったん生命の連帯感が逸切れてしまえば、人権の無視やら他の生命一 に対する暴力が発生してくるのは必然的である。他者の痛みを自己の痛みとして感じる能力を喪失してしまうわ 如 みだから、強い者は自分より弱い者に対しては何だってできる、ということになりかねない。したがって、道徳。 N r 2 まとめてみよう 要約に向けて一 ,主張を四十字以内で書こう。【6点】 の遺廃すら人間の内面世界における理性と〈野性)のバランスが崩れてしまったことに起因していると言っても、一 決して過言ではない。 文明を進化させることは人類に与えられた使命のひとつだと思うが、人間の〈野性)的感覚を去勢化するという (解) -こ rreN 「型型」間 した「近代」に対し、 ポストモダン(近代以後)において こrnへさ ー - FriNはさ 一 w 筆者が、他者の説の引用を通じて言おうとしたことをまとめている一文に線を引こう→問五を攻略一 は、「理性」が切り捨てたものにこ そ(「狂気」ほか、本文では「野性」)、 人間の本質があるとされる。 H回!-O >」 9」最屋年 e4 一雪映避田図 の説明として、最も適切なものを、次から選べ 現代社会において、叡知や理性を重視すべきことを述べるため。 これまでの哲学における、感覚軽視の傾向を批判するため。 理性というものが、人間の感覚の内にあることを指摘するため。 私たちの肉体に備わっている、感覚の重要性を訴えるため ニ十一世紀を見据えて、あるべき人格者の姿を提示するため。 間六事読解)傍線部@とあるが、「理性と〈野性》」のバランスが崩れたことで「道徳の退廃」 が引き起こされるのは、なぜか。解答欄に合うように、四十字以内で書け。 S N 間二(語句)波線部A「先鋭」と似た意味をもつ語句を、次か 3 営調 3 学 3 四三( 節B「逆設」の意性として、最も運切なもの を、 次から選べ。 営治 理性ばかりが重視されて動物性が排斥されることで を否定して、独自の説を展開した表現 盾しているようで、実は真理を言いあてた表現 空 自説をあえて批判し、異なる視点を提示する表現 四真理に逆らい、真っ向から対立するような表現 E結舗を先に示したうえで展問していく表現 生 2 【o) く S 問四(内容)傍線部のとあるが、筆者は、「知識偏重」がこの まま続けば、どのようなことが起こると考えているか さ 2 新間七 (内容)本書18番(PR)の文章と、本文とでは、人間のあり方について共通した考え を読み取ることができる。その考えとして最も適切なものを、次から選べ み七 2月4 も 野性的段階から進化を遂げてきたように、人類には文明を進歩させる義務がある。 高度に情報化される現代のなかで、人間も一生命であることを忘れてはいけない 人間の生命力が減退している現状を改善するには、身体感覚を鍛えるほかない 今後さらなる情報化が予測され、知性を磨く重要性も増していくだろう & 人間本来のあり方に戻るため、人間はただちに知性を捨て去るべきである。。 生 書 る。 問五0課題)傍線部のについて、筆者がここで西田幾多郎の説を引用している、その意図 漢字)傍線部の~Gについて、カタカナは漢字で、漢 字はその読みをひらがなで書け。 テップ3 評論

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教えてください

温かいスープ 読む力を ーオムレ その後、何か月かたった二月の寒い季節、また 貧しい夜がやって来た。花のパリというけれど 北緯五十度に位置するから、わりに寒い都で、九 月半ばから暖房の入る所である。冬は底冷えがす る。その夜は電が降った。私は例によって無理に 明るい顔をしてオムレツだけを注文して、待つ間、 本を読み始めた。店には二組の客があったが、そ れぞれ大きな温かそうな肉料理を食べていた。そ のときである。背のやや曲がったお母さんのほう が、 湯気の立つスープを持って私のテーブルに近 寄り、震える手でそれを差し出しながら、小声で、 「お客様の注文を取り違えて、余ってしまいまし た。よろしかったら召しあがってくださいません か」と言い、優しい瞳でこちらを見ている。小 さな店だから、今、お客の注文を間違えたのでは ないことぐらい、私にはよくわかる。 こうして、目の前に、どっしりしたオニオング ラタンのスープが置かれた。寒くてひもじかった 私に、それはどんなにありがたかったことか。涙 がスープの中に落ちるのを気取られぬよう、一 さじ一さじかむようにして味わった。フランスで もつらいめに遭ったことはあるが、この人たちの さりげない親切のゆえに、私がフランスを嫌いに なることはないだろう。いや、そればかりではな い、人類に絶望することはないと思う。 国際性、国際性とやかましく言われているが、 その基本は、流れるような外国語の能力やきらび やかな学芸の才気や事業のスケールの大きさなの ではない。それは、相手の立場を思いやる優しさ、 お互いが人類の仲間であるという自覚なのである。 5国際 その典型になるのが、名もない行きずりの外国人 の私に、口ごもり恥じらいながら示してくれたあ の人たちの無償の愛である。求めるところのない 隣人愛としての人類愛、これこそが国際性の基調 である。そうであるとすれば、一人一人の平凡な 日常の中で、それは試されているのだ いるか 次の文章を読んで、下の問いに答えなさい。 20「涙 ときの ア 「れ は一川 考え、 トこ 「私」 闘 紀 という きなさ 3 14 16

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教えてください

発展 読む力 ーオム その後、何か月かたった二月の寒い季節、また 貧しい夜がやって来た。花のパリというけれど 北緯五十度に位置するから、わりに寒い都で、九 月半ばから暖房の入る所である。冬は底冷えがす る。その夜は猶が降った。私は例によって無理に 明るい顔をしてオムレツだけを注文して、待つ間、 本を読み始めた。店には二組の客があったが、そ れぞれ大きな温かそうな肉料理を食べていた。そ のときである。背のやや曲がったお母さんのほう が、 湯気の立つスープを持って私のテーブルに近 寄り、震える手でそれを差し出しながら、小声で、 「お客様の注文を取り違えて、余ってしまいまし た。 よろしかったら召しあがってくださいません か」と言い、優しい瞳でこちらを見ている。小 さな店だから、今、お客の注文を間違えたのでは ないことぐらい、私にはよくわかる。 こうして、目の前に、どっしりしたオニオング ラタンのスープが置かれた。寒くてひもじかった 私に、それはどんなにありがたかったことか。涙 がスープの中に落ちるのを気取られぬよう、一 さじ一さじかむようにして味わった。フランスで もつらいめに遭ったことはあるが、この人たちの さりげない親切のゆえに、私がフランスを嫌いに なることはないだろう。いや、そればかりではな い、人類に絶望することはないと思う。 国際性、国際性とやかましく言われているが その基本は、流れるような外国語の能力やきらび やかな学芸の才気や事業のスケールの大きさなの ではない。それは、相手の立場を思いやる優しさ お互いが人類の仲間であるという自覚なのである。 5風際此 その典型になるのが、名もない行きずりの外国人 の私に、口ごもり恥じらいながら示してくれたあ の人たちの無償の愛である。求めるところのない 隣人愛としての人類愛、これこそが国際性の基調 である。そうであるとすれば、一人一人の平凡な いるか 次の文章を読んで、下の問いに答えなさい。 20河 ときの 2|イ そ は一 じた 考え覧 *「私 トリ こ。 「私」 という言 きなさい 国際性の 日常の中で、それは試されているのだ (今道友信「温かいスープ」 感感

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この問題の解き方を教えて頂きたいです🙇🏻‍♀️

3/3 > 3 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 く東京線) 米 れき 110世紀後半に科学が非常に速いスピードで進んだために、さまざまな軌幌が生 |じてきた。生活スタイルも、社会の構造も、科学の発達のために、大きく変わって きている。変化のスピードは人類がこれまでに経験してきたものと比較にはならな い。長い地球上の生命の歴史の本の、最後のページの最終行に登場してきた人類で あるのに、過去五0年あまり、 六五日の歴史の中の0.四秒あまりの短い間に、 われわれは地球環境を変え、他の生物との関係も人間同士の関係も変えつつある。 それには、当然ながら、光の部分も陰の部分もある。ある方向に科学が進歩してし まったら、昔はそうではなかったといったところでどうにもならない。現状を認識 し、そこからどうしていくのかを考えなければならない。。 二〇世紀後半は科学にとって「知の爆発」の時代であった。生命科学の分野にお いては、二一世紀もそれは続くであろう。しかし、私たちはいま、科学のもたらす 新しい知識や発見、成果をどのように生かし、コントロールしていくかを問われる 時代を迎えている。 知の活用の仕方をコントロールするには、知恵が必要である。科学の発達がわれ われにもたらす光の部分と陰の部分を考え、地域の文化·伝統·環境·経済を大切 にすると同時に、グローバルな視点ももたなくてはいけない。「時間軸と空間軸の 座標」の原点にとどまり、自分や家族、今日明日しか考えないのではなく、一〇O 年前の日本、一 ○○年前の世界、人類の誕生、恐竜が闇歩していたころ、生命の 謎生、地球 の誕生へと過去を 遡ったり、逆に何世紀か先の未来へ思いをはせてみ 8 たりしたい。また、超ミクロな素粒子や原子分子の世界を考えてみるのもよい。 遺伝、代謝などの生物学的現象、石油からゴムや繊維やプラスチックを作る化学的 現象、光や熱が伝わる物理的現象はみな光子、電子、原子、分子の相互作用で起き ているのだから。 さらに、地球、太陽系、銀河系そして宇宙の果てへと思索の旅を するのもよいだろう。こうした座標の中に置かれて初めて、人類の位置付けや科学 のもつ意味を、さらには、科学の進むべき方向を探る知恵が得られるのではないだ ろうか。 (無田始子「科学を育む」 より) (注)*軌=不具合。 *グローバルな=地球規模の。

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(7)を教えてください。

一般的に、知能は獲物を追ったり、配偶者を求めて動きまわる 動物だけに発達した特性であり、自ら移動できない植物には知能 が発達しなかったといわれている。このようにいわれれば、知能 を持たない植物や微生物より、知能を持った動物の方が偉そでうに SS Aに 思えるのも仕方がないだろう。 しかし、本当に、植物には知能が「発達しなかった」のだろう 植物は、光合成,つまり環境から炭酸ガスと水を取り込み、 太陽エネルギーを使って、自分が生きていくために必要な栄養 ((食物。)、具体的にはブドウ糖と酸素を生産できる。つまり、植一 物は、“独立栄養生物,であり、「他者」の「世話」にならずに生 きていけるのである。 ところが、動物は、自分が生きていくために必要な食物を自分一 自身で生産することができず、食物を植物や他の動物に依存しな一 ければならない従属栄養生物,である。このような動物は、必 然然的に、食物を見つけるために動きまわらなければならず、絶え ず、外界、他の動物との衝突や摩擦が避けられない。つまり、従 属栄養生物。である動物には、常に意識的行動が必要下あり、生一 存のためには、感覚、知覚、反応のための神経系と認識パンダン 選択のための人ウを発達させなければならなかったのである。独 立栄養生物,である植物は「移動できない」のではなく、生きて MO がって、動物のように衝突や摩擦を避けるための知能のようなも のを発達させる必要などなかったのである。 もちろん、植物が持っている極めて高度な能力や知恵のことを一 考えれば、植物が「知能」を持っていないとは考えられない。植」 物は、動物の知能のような「処世術」的知能を持っていないので あって(持つ必要がないから)、植物は自ら潔く、孤高の生活を送 るための知能を持っているのである。 自然生態系の中で、生物類のっはたらき。という側面から見れば、 植物類は “A」、動物類は 存在ながら忘れてはならないのが微生物類で、彼らは、すべての一 生物の生産物、排出物、遺体などの有機物を分解して、すべての一 生命にとって不可欠な無機物に還元する d- れにせよ、動物が生きていくためには、 A]である植物と である。また、地味な である。いず である微生物に頼らなければならないのである。 もし、人類が最も知能が発達した生物なのであれば、それは、 人類が最も知能を発達させなければならなかった結果である。つ まり、この地球上で、人類が最も従属性が高く、最も「処世術」 的知能を持たなければならない生きものであるということであろ J このように考えれば、私は、人類はD、動物が植物より「偉 い」なんて、甚だしい誤解、甚だしい認識不足だった、と恥じ入 らねばならない。 (志村史夫「木を食べる」より) トGで いくために、動物のように動きまわる必要がないのである。した」

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