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歴史 大学生・専門学校生・社会人

こんにちは! 赤本ノートの使い方がいまいち分かりません。世界史の復習の時にどんな風に書いていったら良いか分かりません。一応調べたら出てくるような基本的なやり方は分かります(どんな事を復習すれば良いのかとか)。先人達がやっていたノートの書き方があれば教えてほしいです。 写真の... 続きを読む

(2) 春秋時代の諸侯の有力な家臣は郷大夫と呼ばれた 七雄一戦国時代 五覇春秋時代 戦国時代は氏族制の枠にとらわれない人材登用が行われた、 藩部一清の時代。 (3) 始皇帝は郡県制を敷いて、全国統一支配しようとした。 文字の獄の禁書は清の時代、始皇帝は焚書坑儒 衛満を朝鮮に亡命して朝鮮に衛氏朝鮮を建てた 笹の家臣で戦国時代 始皇帝は、文字、度量衡を全国的に統一した。 徴の反乱は後護の光武帝時代、後漢の馬援によって平安 姉の夫が殺されたことが原因。中国の群県支配に対する反発。 全国統一貨幣の五鉄銭を発行前漢の武帝 始集一半 24 (5) 漢の歴代皇帝は封建制の縮小を図ったため、反発した諸王により呉楚七国の乱が起きた (4) 後漢は黄巾の乱 前漢は赤眉の乱 インド史 (2) 1885年にインド国民会議が開かれると、これを契機として民族運動組織としての 国民会議派が形成されの指導のもと、反民族運動を高揚させていった ティラク」 2117/1 (3) 1905年 イギリスベンガル分割命を出すと反発した国民会議派は、ティラクの指導で カルカータス会を開き、英貨排斥、スワデージ、スフラージ・民族教育の4細飯を採択した イギリスは1906年にイスラーム教徒を支援して全インドームスリム建盟を結成させ、1911年にベンガル分割撤日

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歴史 中学生

歴史の問題でわからないので、わかる方教えてもらえると嬉しいです!

下の (1) ~ (20) の各問いに答えなさい。 (1) 1086年に白河天皇が始めた、天皇の位をゆずって上皇となった後に行う政治。 (2) 平治の乱に勝利し、武士として初めて太政大臣の位についた人物。 (3) 将軍が、 御家人の領地を保護したり、新しい領地を与えたりすること。 (4) 1221年、朝廷の勢力を回復しようとして後鳥羽上皇が挙兵した戦い。 (5) 国ごとに置かれ、 国内の軍事や警察などを担当した役職。 (6) 御家人が天皇の住まいや鎌倉幕府を警備し、戦いが起こったときに命をかけて戦うこと。 (7) 1221 年、後鳥羽上皇が戦いに敗れた後、 鎌倉幕府が朝廷を監視するために京都に置いた役職。 (8) 荘園や公領ごとに置かれ、 管理や年貢の取り立てなどを行った役職。 (9) 代々、北条氏が独占して政治の実権をにぎった、 将軍を補佐する役職。 (10) 1232年 北条泰時が政治の判断の基準を示すために定めた法律。 (11) 源平の争乱をえがき、琵琶法師によって広められた軍事物の代表作。 (12) 東北地方で平泉を拠点に力を持ち、 中尊寺金色堂を建てた一族。 (13) 東大寺南大門に置かれている、 運慶らが制作した力強い彫刻。 (14) 鎌倉時代に始まった、同じ田畑で米と麦を交互に作る農法。 (15) 武士たちが一族や家来を従えて作った、 棟梁を中心とする組織。 (16) 源頼朝が開いた、 本格的な武士の政権。 (17) 1159年に起きた、平清盛が源頼朝に勝って勢力を広げた戦い。 (18) 寺社の門前や交通の便利な所で、月に数回開かれるようになっ (19) 浄土真宗を開き阿弥陀如来の救いを信じる心を強調した。 (20) 平安時代後期に、東日本に勢力を広げた武士の一族。

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歴史 中学生

アジアの植民地化で、ヨーロッパの国々はどこまで進出していたのでしょうか。【イギリス、フランス、オランダ、ポルトガル、その他】の国でお願いします!!🥺

このころの世界では、 どんな動きが あったのかな。 やってみよう 1 地図の中から、下に挙げた Q⑩を探してみよう。 •. アメリカ大統領のリンカン の演説 ヒント→p.154 ドイツの統一 ヒント→p.155 にらみあうイギリス兵とフ ランス兵 ヒント→p.159 下を狙うロシア兵 ヒント→p.190 の兵士たちはそれぞ どの土地を狙っている 考えてみよう。 ●中から、 ペリーを探 どのように日本に 来たか。その経路を みよう。 ペリーと黒船 3 1 ベーリング テリューシャン列島 太 平 洋ち 地図をよく見るための キーワード ・アメリカ南北戦争→p.154 ・ドイツの統一→p.155 ・ロシアの南下→p.155 ・インド大反乱→p.158 ・アヘン戦争 →p.160 ・高杉晋作→p.161 ・ペリーの来航→p.164 ・アフリカの分割 p.189 0000 | スペイン領 ■ポルトガル領 オランダ領 ロシア領 イギリス領 イギリス領拠点都市・島 フランス領 -OSA イギリスの拡大 イキリス領カナダ ロシアの拡大 ペリーの航路 アメリカ合衆国 洋す。 「西インド諸島 大 ブリブ海 イギリス ・デンマ ロントパリ... フランス スペイン ポルトガル ドイツー 西アフリカ サンクトペテルブルク モスクワ カージャールーノ インド洋 19世紀半ば までに清が 得た領土 自立自 シベリア ロシア帝国 TIRES 10402 ジャワ島 朝鮮 LEX 日本 オランダ領東インド イギリス領 オーストラリア ラジャジー 2000km (赤道上の長さ)

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日本史 高校生

大至急です! 日本史でわからない箇所があるので教えていただきたいです 【問】当時貿易を認めていたオランダと中国船以外の外国船が日本近海に現れ、薪や要求したり通商を要求するようになって、幕府がたどり着いたのがこの打払い、つまり攻撃するという方針であった。1837年、アメリカ... 続きを読む

水野忠邦は, なぜ天保の改革を おしすすめたのだろうか。 海辺の村 ②お咎め 一体いきりすニ限 らず、 候処、専要の事に候条、油断無申し付けらるべく候。 察度。ハ之有間敷候間、 二念無、 打払を心掛、図を失わざる様取計 等差出すに及ばず、其分二差置、若押て上陸致し候ハゞ、搦取、又 二有合候人夫を以、有無に及ばず、一図二打払、逃延候ハゞ、追船 打留候ても苦しからず候。...…. 右等の船万一見損、打誤候共、御 間、以来何れの浦方二おても、異国船乗寄候を見受候ハゞ、 其所 南蛮、西洋の儀は、御制禁邪教 (『御触書天保集成』) の国二候 候察は等間 処度と打差 有吉 以体 に候す候来い までに人に何いき 180 るも及夫ぷれり をす ず以浦 ① 異国船打払令D] 追其 計御又船所 候 4. 幕藩体制の動揺 ぐんかん ぶんか 10 |海防体制の強化 1808 (文化5)年には,イギリス軍艦フェートン号が、 交戦国であったオランダ商船を追って, 長崎に入港 と蛮社の獄 30 する事件がおこった。その後も,イギリス船やアメリカ船が日本近海を 航行していたので,幕府は,1825 (文政8)年に異国船打払令を出して、 海防体制を強化した。そのため,1837(天保8)年,日本人漂流民を護送 するとともに,通商を求めて浦賀に来航したアメリカ合衆国の商船モリ うらが ソン号は,打払令によって砲撃を受けた。こうしたできごとに対し、簡 がく ぼじゅつゆめものがたり わたなべかざん たかのちょうえい _しんきろん 学者の渡辺崋山は「慎機論」 を,高野長英は『戊戌夢物語』をあらわし、打 ばんしゃ ごく ち払いの不当を論じたため、 幕府によって処罰された ( 蛮社の獄)。 てんもん はん 19世紀になると,幕府も洋書の翻訳を開始して, 美・地理・軍事な どに関する新知識の吸収につとめ, 多くの諸藩もならった。江戸と長崎 で始まった蘭学は,京都, 大坂, さらに全国各地に広まった。 オランダ 商館の医師として長崎に来たシーボルトは, 鳴滝塾を開いて, 医療とと らんがく しょうかん なるたきじゅく 1796~1866 たかのちょうえい もに西洋の学問を教え, 高野長英らを育てた。 1828年, シーボルトは、 帰 国の際、持ち出し禁止であった日本地図の所持が発覚して国外追放の処 たかはしかげやす 分を受け, 地図を渡した幕府天文方の高橋景保らも処罰された。 1785-1829 p.184 おおしおへいはちろう ちょっかつ 大塩平八郎が幕府の直轄都市 内憂外患 ほうき てんぽう き きん 大坂で武力蜂起したのは、天保の飢饉で市中の米 が不足しているさなかの1837年3月 (天保8年2 ちんあつ 月) であった。 蜂起はすぐに鎮圧されたが, 大塩は まちぶぎょうしょ よりき もともと, 大坂町奉行所の与力という重要な役職 にあり、著名な学者でもあったため, 人々は彼の 行動を知って衝撃を受けた。 蜂起の情報は,噂も うわさ まじ もんてい 交えながら全国に広がり, 各地で「大塩門弟」 「大塩 「残党」を名のる武力蜂起や一揆を誘発し, 幕府に動 いっき ゆうはつ 揺をあたえた。 そもそも前年からこの年にかけて 全国で150件以上の百姓一揆が発生していた。 飢 ひゃくしょう ないゆう 饉に起因するこれらの出来事は、 国内における深 刻な事態, すなわち 「内憂」 として受けとめられた。 ちょうどこのころ, 外国船がひんぱんに日本近 辺に接近していた。 18世紀末から19世紀初頭まで は、ロシア船の蝦夷地への接近がおもな問題だっ たが,1810年代以降は,太平洋側で,イギリスを 先頭に欧米諸国の船の動きがみられるようになっ た。当時,これらの国々は,産業革命を成しとげ えぞち 第3編 近世の日本と世界 sto + wo きょてん て資本主義市場を拡大し、 世界各地に貿易の拠点 ほげい を求めつつあった。 捕鯨船の活動もさかんとなり 日本近海でめだち始めていた。 こうした動きは, 外国勢力が日本にあたえる脅威,すなわち「外患」 として受けとめられた。 きょうい がいかん 江戸幕府は,将軍が武力で日本列島の内部や周 辺海域の平和を維持し、 邪教としてのキリスト教 から人々を守ることで、社会秩序を安定させてい るという建前をとっていた。 このまま外患を放置 すると、将軍の権威は低下し、そのことが内憂を いっそう誘発することにもなりかねない。このよ うに外患が内憂と結びつくことを、幕府は非常に おそれていた。 こうした事態を打開するためには、将軍のもと で軍事力を強化して集中させ、海防体制をととの えつつ,将軍の権威を維持することが必要だと幕 この考えが、天保の改革の基本的な 府は考えた。 姿勢となっていったのである。

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