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理科 中学生

(4)についての質問です。 なぜ、酸素の量が変わらないのか教えてほしいです(2枚目の画像の緑色のところです)🙇‍♀️

② 水の電気分解や電気分解で生じた物質の化学変化について次の実験を行った。これについて、あとの 問いに答えなさい。 なお, 実験時の室温と気圧は一定であった。 (秋田県改) [実験 1 ] 図1のように、水槽と管C,Dを水酸化 ナトリウムを水にとかした液(うすい水酸化ナ トリウム水溶液)で満たした。 電極Aを電源装 置の+極に,電極Bを一極につなぎ, 6Vの電 圧を加えて電流をしばらく流したところ、 管C のなかに酸素が3.0cm, 管Dの中に水素が 6.0 cm 集まった。 次に,管CDの中に気体が集まった状態の まま, 電極Aを一極に,電極Bを+極につなぎ 変えて, 6Vの電圧を加えたところ、管C, D に気体が発生し, b 管Cの中に水素が2.0cm集 まるまで電流を流した。 図 1 水槽 [電極 A- うすい水酸化ナ トリウム水溶液 管C (2) 下線部a を水にとかすのは何のためか、簡潔に書きなさい。 3440 (4) 図2は,実験1で電極をつなぎかえる前に, 管C,D の中に集 まった気体の種類と数をモデルで示したものである。 この図を もとに, 下線部bのとき,管Dの中にある気体の種類と数をモ デルで示しなさい。 ただしを酸素原子, ◯を水素原子とする。 〔観察2] 実験を行ったあと, 管Cの中に集まった気体に点火したところ, 爆発音がして, 完全に反応し、 気体が残った。 図2 (1) 水のように2種類以上の元素からできている純粋な物質を何というか。 その名称を書きなさい。 (1) 点火装置 管C 管D (2) (3) 図1の装置で電流を流し続けると, うすい水酸化ナトリウム水溶液は少しずつこくなっていく。 その理 由を簡潔に書きなさい。 (3) (5) 下線部は酸素と水素のどちらか, 物質名を書きなさい。 また, そ の気体の体積はおよそ何cmか。 最も適当なものを、次のア~オの中か らそれぞれ一つ選び, その記号を書きなさい。 (4) ア 1.0cm イ 2.0cm² ウ 3.0cm I 4.0cm オ5.0cm 電極B 電源装置 ∞ 管D ○○ ○○ ∞ ∞ ○○

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現代文 高校生

写真の枠足りなかったので次の投稿で残りの写真載せることにしました 開発講座の問2の問題です お願いします🙇‍♀️

古代製 やま 山にすることのほうが困難です。もし山の木をぜんぶ伐って、植樹しな、 三十年でもとの緑の山に回ふくするといわれております。 古代製鉄業者たちは、山を 裸にしては、三十年たってもとの裸の山に帰ってくるというような運命をくりかえし ました。 かんかいつ はがね 十三、四世紀のころは、おそらく日本は、アジア最大の鋼の生産国だったと思いま す。 ⑥ この四世紀前後の朝鮮における事情は、大規模な形としては、 十六世紀の英国にお いて、爆発的に急成長した製鉄業と森林破壊の関係を想像してくだされば――そして それを古代的状況 想像力をさかのぼらせて下されば理解していただけると思い ます。ご存じのように、十六世紀の英国は、偉大なる産業革命への準備体操の段階に ありました。十六世紀に、サセックス地方やケント地方に製鉄用の高(ロ) のむれがた ちならび、怪物のように森林を呑みこんでは、鉄という卵を生みつづけました。 このため英国の森が壊滅しかけたころ、 あたらしい燃料であるコークスが発明され て、英国の森林を救ったという事情を思いだしてくださると、 ご理解が Colourful に 58 なるかと思います。 rr f f i 45 50

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現代文 高校生

開発講座の問題です 問2が分かりません ⑥にイギリスの例があって製鉄が環境破壊を招いている点が似ていたのでここが同値関係となっていて、2の歴史家を選びましたが違いました ここは関係ないんですか? あと⑥の最後の方に書いてある「このため英国の森が破壊しかけた所〜ご理解がcol... 続きを読む

第3問 次の文章を読んで左の問に答えよ。 日本の運命を変えたのは、四世紀ごろから進んでいた朝鮮半島における自然破壊で した。むろん、日本人がやったのではありません。朝鮮人がやったのです。山を掘り くずして、砂鉄を(ト)り製鉄をはじめたのです。 おそろしいばかりの自然破壊でした。 鉄の製(レン)には木炭を必要とします。わず 数トンの鉄をつくるのに、一つの山が裸になるほどの木炭を必要とします。 5 製鉄集団は、おそらく女性や子供をふくめて何百人という単位だったでしょう。 そ れらが、朝鮮の山から山へ移動して、丸裸にしてゆきました。 「むろん、そのあとに植林をするということはしなかったようです。朝鮮の山は、不 幸なことに自然の復元力がよわいのです。むろん、ギリシャ文明が去ったあとのギリ シャの自然ほどではありませんが、朝鮮の山々は乾き、山の土(ジョウ)は風に吹きと 10 ばされて、岩の層が露出するといった風景になりました。むろんこれは、 イ的想 像力でいっているので、三世紀、四世紀の朝鮮には、そのことを書いた文献はありま せん。 三、四世紀の朝鮮半島の製鉄業者たちに話をもどします。 かれらは、遊牧民が草を 求めて移動するように、森を求めて移動するひとびとでした。朝鮮の山々を裸にして 15 しまったとき、はるか南の海に、樹木の多い島々があることを知ったのです。それが、 日本でした。やがていくつものグループが海をわたって、日本にきました。五世紀 第3問 12

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