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現代文 高校生

生き物として生きるです。 問1を教えて欲しいです

学習のねらい 筆者の提案する人間の生き方について、文章構成をもとに把握し、自分に照らして考えを深める。 「生きもの」として生きる 「人間は生きものであり、自然の中にある」。これから考えることの基盤はここにあり ます。これは誰もがわかっていることであり、決して新しい指摘ではありません。しか し、現代社会はこれを基盤にしてでき上がってはいません。そこに問題があると思い、 改めてこの当たり前のことを確認するところから出発したいと思います。 まず、私たちの日常生活は、生きものであることを実感するものになっているでしょ うか。朝気持ちよく目覚め、朝日を浴び、新鮮な空気を体内に取り込み、朝食をおいし くいただく………これが生きものの暮らしです。 目覚まし時計で起こされ、お日さまや空 気を感じることなどなしに腕の時計を眺めながら家を飛び出す 実際にはこんな朝を 過ごすのが、現代社会の、とくに都会での生活です。ビルや地下街など、終日人工照明 の中で暮らすのが現代人の日常です。これでは生きものであるという感覚は持てません。 生きものにとっては、眠ったり、食べたり、歩いたりといった「日常」が最も重要で なかむら けいこ 中村桂子 5

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国語 中学生

論説文・説明文の問題です。空白のところを教えて欲しいです。よろしくお願いします

0 -7 国ス 中3 1 第六銀座 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 価値観の相対化した現代社会においても、「一般的に認められるような価 がまったくないわけではないし、価値観や信条の異なる人々が共通して 「価値がある」と認めるような対象や行為はやはり存在する。それは「客観 的に正しい価値」とは言えないが、多様な立場の人々が共通して認める価値 ふへんせい であり、そこに私たちは価値の普遍性を確信することができる。そして、こ5 のような意味での「価値の普遍性」を「一般的他者の視点」から導き出すこ とは、決して不可能な試みとは言えない。 では、価値観や信条、関心の異なる人々が共通して「価値がある」と認め るような対象や行為とは、一体どのようなものであろうか? A 関心や価値観が異なる人間であっても、一生懸命にがんばって10 その道に精進していれば、その「努力」は承認してくれるだろう。陸上部 で毎日練習を積み重ねている人間に対しては、誰もが「陸上に関心はないが、 あの練習量は大したものだ」と思うだろうし、仕事や勉強に励んでいる人間 に対しては、どのような価値観や立場の人であっても、普通はその努力を認 めるはずである。それは、当人が目指していた表現や結果への評価ではない5 が、その人自身のあり方に対する承認という意味で、自己価値の確信に深く 関わっている。 実際、何らかの努力をしている多くの人が、価値観や感性の異なる人々で も、自分の努力は認めてくれるだろう、と心のどこかで思っている。私たち は多くの場面で「一般的他者の視点」を想定し、一般的承認の可能性を暗々20 裏に確信しつつ行動しているのである。「努力」の他にも、「やさしさ」や 「勇気」「忍耐力」「ユーモア」など、関心や価値観が異なっていても共通し て認められる可能性を持つ価値は存在する。そして私たちはこのような価値 に関わる行為をしているとき、普通は誰でもこの「努力」(あるいは「やさし (E) (4) (3)

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現代文 高校生

この問題の問ニの解説の意味がわからなくて納得いきません。ちなみに答えは技術の手先です。 そもそも、おのれの手先、技術の手先ってなんですか??

8 技術の正体 ※ われわれはこう教えられてきた。つまり、科学は人類の理性の産んだイダイな叡智である。もとも と科学は実用などとは無関係に、ひたすら物を冷静に見つめることから得られる無垢なBチェだった のである。 それをたまたま実生活に応用したのが技術なのであり、その意味では技術も間接的には理 性の所産である。人類の理性が産みだしたものを、人類が理性によってコントロールできないはずは ない。われわれ人類には、この程度のものを理性的にコントロールする力は十分あるはずだ、と。 だが、本当にそうであろうか。 人類の理性が科学を産み出し、その科学が技術を産み出したという、この順序に間違いはないのであ ろうか。しかし、ギリシアの詩人が不気味だと恐れていたのは、人類の理性の所産である科学技術など ではなく、ただの技術である。 科学が技術を産んだというのは間違いではないのか。むしろ、技術 が異常に肥大してゆく過程で、あるいはその準備段階で科学を必要とし、いわばおのれの手先として科 10 学を産み出したと考えるべきではないだろうか。 ※ ※ そして、その技術にしても、人類がつくり出したというよりも、むしろ技術がはじめて人間を人間た らしめたのではなかろうか。原人類から現生人類への発達過程を考えれば、そうとしか思えない。火 を起こし、石器をつくり、衣服をととのえ、食物を保存する技術が、はじめて人間を人間に形成した にちがいないのだ。 こうした技術に助けられて、その日暮らしの採集生活が可能だった熱帯・亜熱帯地方を離れ、寒冷な中 緯度地帯に進出することのできた原人が、明日を生きるために今日から準備しておかねばならない生活 のなかで、その時間意識にいわば過去や未来といった次元を開くことになり、 こうしてはじめてホモ サピエンスになりえたのだからである。 きょう 私が問題にしたいのは、技術は人間が、あるいは人間の理性がつくり出したものだから、結局は人間 20 が理性によってコントロールできるにちが ないという。アンイな、というより据傲な考え方である。 どうやら技術は理性などというものとは違った根源をもち、理性などよりももっと古いユライをもつ ものらしいのだから、悪性などの手に負えるものではないと考えるべきなのである。 LO 5 15 きだ 木田元

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理科 中学生

(7)の答えがイ(8)の答えがア、イ、ウなのですが、なぜそのような答えになるのか詳しく教えてください!!

3 技術の授業で作物の栽培について学習し、栽培して得られる果実の色の違いに興味 をもったEさんは、2023年に学校で育てたカボチャ(ペポカボチャ)について調べた ことをまとめた。また、育てたカボチャの栽培記録について、EさんはG先生と一緒に 考察した。次の問いに答えなさい。ただし、この問題における「カボチャの色」は、「カ ボチャの果実の皮の色」 を表すものとする。 【Eさんが2023年に学校で育てたカボチャについて調べたこと】 • ・カボチャは被子植物の一種である。 学校で育てた品種のものは、 図1 図Iのように一つの個体にいくつかの雄花と雌花がそれぞれ咲 き、野生ではハチなどの昆虫類が受粉を助けていることが多 い。 また、この品種は人工的に受粉させることが容易である。 受粉すると、約1か月かけて雌花の子房は成長し、 果実をつく る。その中には多数の種子ができる。 雄花 ペポカボチャの果実 雌花 学校で育てた品種のカボチャの色には、 黄色と緑色がある。 これらのカボチャの色は対立形質であり、 黄色が顕性形質(顕性の形質)、緑色が潜性形質 (潜性の形質) である。 ・学校で育てた品種のカボチャの色は、メンデルがエンドウを用いた実験から見いだした遺伝の規則 性に従って子に伝わるため、 カボチャの色を黄色にする遺伝子をA、 緑色にする遺伝子をaとして、 子における遺伝子の組み合わせや形質を推定することができる。 (1) 下線部について、次のア~エのうち、 被子植物に分類されるものを一つ選び、 記号を○で囲みなさい。 アゼニゴケ htt イサクラ ウマツ さ H スギナ 中文 (2) 下線部について、 次のア~エのうち、昆虫類に分類されるものを一つ選び、記号を○で囲みなさい。 CER アマイマイ イ ミミズ ウ クモ エバッタ (3) 下線部について、 カボチャのような被子植物は、受粉した後に精細胞と卵細胞が受精する。 ① 植物の受精について述べた次の文中の に入れるのに適している語を書きなさい。 カボチャのような被子植物の受精では、花粉でつくられた精細胞の核と ☑ 核が合体することで受精卵ができる。 その後、 ☑ は種子になる。 の中にある卵細胞の はい (2) 受精卵は胚になり、個体としての体のつくりができていく。 この過程は何と呼ばれているか。 次のア 〜エのうち、最も適しているものを一つ選び、記号を○で囲みなさい。 ア進化 イ減数分裂 ウ 発生 無性生殖 (4) 下線部について、 メンデルはいくつかの対立形質に着目することで遺伝の規則性を見いだした。 次 の文中の に入れるのに適している内容を簡潔に書きなさい エンドウの種子には、 丸形のものとしわ形のものがあり、これらの形質は一つの種子に と いう性質をもつ。このような性質がある形質の対は対立形質と呼ばれており、 メンデルは、 着目した対立 形質それぞれの純系をかけ合わせて得た子の形質から、 顕性形質と潜性形質の関係を見いだした。 (5) カボチャの色の遺伝子の組み合わせがAaであるカボチャの雄花から得られた花粉を、遺伝子の組み 合わせが Aaの雌花に受粉させると、多数の種子 (子にあたる個体)が得られた。得られた多数の種子に おけるカボチャの色の遺伝子の組み合わせについて述べた次の文中の ② に入れるのに最も適し ていると考えられる数を、あとのア~エから一つ選び、記号を○で囲みなさい。 Aaの雄花の花粉をAaの雌花に受粉させて得られた多数の種子のうち、 遺伝子の組み合わせがAa となるものは、 全体の約 %であると考えられる。 ア 100 ② イ 75ウ 150 25

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古文 高校生

菅笠日記についてです。ストーリーが理解できないです 大きな礎石が周りにある十三の塔が建てられた後に かりそめの庵(=いみじき伽藍)がありどうこうじと呼ばれてるという事ですか?

すががさにつき 『菅笠日記』 〈下巻〉 文法詳解図 内容を確認しよう! は筆者の発言 は法師の発言 太字は願望の助動詞 ↓2から 名格名格名 定格助 名格体 名体名格助 名 名 断定・体 名 格助名格助 格助 さて里の神の社なりとて、 森のある続きなる所に、 さて、 里の神社であるということで、 森の とある続きの所に、 高さ二丈ばかりなる、 高さが 二丈ぐらいの、 十三重の石の塔 連体形の終止形化。 ク・体格助夕四命(巳)存校・体 名 格上一巳接助 十三重の石塔で、 名格名 下二 の、いと古きが立てる。めぐりを見れば、いと大きなる石ずゑありて、塔などの跡と見ゆ。 ナリ体 名 たいそう古いのが 立っている。 周囲を 見ると、 たいそう大きな礎石が あって、 などの跡と 見うけられる。 1から 人に [石が ・体 名 名格名 格 名格名 ワ下二・未意志・終格助 置こうとして、 体名 四・未使役・用完了・已接助 リ 近きころ、この石をおのが庭に据ゑんとて、ある者の掘らせつれど、あまりに大きにて、 近ごろ、 この石を 自分の庭に ある者が(人に)掘らせたけれど、 (石が)あまりに大きくて、 人々は ※連体形の終止形化。←ある者が 下二 接 四完了体 ・用 サ四・用 接助ナ変用過去・体係助 断定助補う変・用詠・終格助係 り結び 終 掘りかねてやみぬる。 ほどもなく病み臥して死にけるは、このたたりにてありけりとなん言ふ 掘ることができないでそのままになってしまった。(ある者が間もなく病の床について死んだのは、このたたりであったのだなあと (人々は)言って (強意) 連体形の終止形化。 3から 伝・体 名格名 格 ナリ体 名格助変体 名 格助名格助 名名格名 ナ下二・過去・已接助 名 5 なる。 その前にかりそめなる庵のある。 あるじの法師に、この塔のことたづねしかば、宣化天皇 いるそうである。 その前に 間に合わせの庵が ある。 その庵の主人の法師に、 この塔のことを 尋ねたところ、 「宣化天皇の 伽藍が 格名 格 名格名 夕下二・未受身用接助 シク体 名 格助変用完了・体接助 カ下二完了用過去・体名 断定・終 名格助 名 の都の跡に寺 たてられて、いみじき伽藍のありつるが、 都の跡に 寺が建立されて、 立派な伽藍が 焼けたりし跡なり。このあたり あったのだが、その伽藍が焼失してしまった跡である。 このあたりに (尾) 法師が 格助名格助 名 名係助 四接ク・ラ変・終格助 その瓦ども、今も欠け残りて多くありと 八下二体格助力四・接助マ上一已接助 名格名格名格助係助 教ふるにつきて見れば、げにこの庵の前にも、 道道名 その耳の数々が、 今も欠けた状態で残ってたくさんある。」と(法師が教えるのにしたがって 見ると、 なるほどこの庵の前にも、 格名格助係助 格助カ下二・用存説・体 名四・未打消・用 名格四川 接助う変・体格助 のほとりにも、すべて古瓦の欠けたる、数も知らず、 土にまじりであるを、一つ二つ拾び取り のそばにも、 総じて 古瓦で 欠けているのが、 無数に、 土に混じって あり、それを 一つ 二つ 拾い取って 接助々上一巳接助 名 係助 名四用接助 名格名格助 ヤ下二用完了 終 名格助名係助 名名 て見れ ば、いづれも 布目などつきて、古代のものと見えたり。 この庵は、やがてかの伽藍 見ると、 どれも 布目などが ついて、 古代のものと 思われた。 このは、 ほかならぬ 例の伽藍の 文末用法(強調) 格名格助四・已接助 聞き手敬意の謙譲語。← 筆者→法師 名名格助サ四・体格助 四 nの名残といへば、そも今は何寺と申すぞと問へば、 ―法師は 4から 名 助八四体名 八下二・終 名係助 名残というので、 だうくわうじといふよし答ふ。 「いったい今は何寺と申すのですか。」と尋ねると、(法師は)「どうこうじ」という旨を 文字は 答える。 「文字は 疑問詞の連体形〉 筆者→法師) (順) カ四用補う変・体格助八四・已接助 名名名 ラ四・用 接助 名 名カ四・酒・已助 名 いかに書き侍るとまた問へば、この法師頭うち振りて、なにがしもの書かねば、その文字まで どのように書きますか。」と 再び尋ねると、 この法師は 頭を振って、 筆者 係助四用・未・終格助八四体接 八四・未 望・体 名 「私は 名 ものを書きませんので、 その文字までは マ下二・ 完了体名 サ変用接助 八四・未打酒・ は知り侍らずと言ふにぞ、なほ(問は)まほしきことも、ゆかしささめつる心地して、問はず 知りません。」と もっと尋ねたいこともあったのだが)、 言うので、 知りたい気持ちがさめてしまった感じがして、 尋ねないままに 破格表現。本来なら、係助詞「ぞ」があるので「ぬる」となるべきところ。 四用完了・終 名格動四・体名 格 名格名 調助ラ四・未打酒・体名 助 なりぬ。 なってしまった。 自分が住む寺の 名格助保助 ラ変体名 断定・用詠・終 わが住む寺の名の文字だに知らぬ法師も、世にはあるものなりけり。 名前の文字さえ 知らない法師も、 世の中にはいるものであるなあ。 1名

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現代文 高校生

高一 現代の国語 「暇と退屈の論理学」という教材をやっています 「現代」や「現代社会」はどのようなものか。筆者の考えを踏まえて、説明してみる。 説明お願いします!

こくぶんこういちろう 暇と退屈の倫理学 國分功一郎 → 関連教材 「多層性と多様性」(二 六三ページ) 国や社会が豊かになれば、そこに生きる人たちには余裕が生まれる。 その余裕には少な くとも二つの意味がある。 一つ目はもちろん金銭的な余裕だ。人は生きていくのに必要な分を超えた量の金銭を手 に入れる。稼いだ金銭を全て生存のために使いきることはなくなるだろう。 もう一つは時間的な余裕である。社会が富んでいくと、人は生きていくための労働に全 ての時間を割く必要がなくなる。そして、何もしなくてもよい時間、すなわち暇を得る。 では、続いてこんなふうに考えてみよう。富んだ国の人たちはその余裕を何に使ってき たのだろうか。そして何に使っているのだろうか。 「富むまでは願いつつもかなわなかった自分の好きなことをしている。」という答えが 返ってきそうである。確かにそうだ。 金銭的・時間的な余裕がない生活というのは、あら ゆる活動が生存のために行われる、そういった生活のことだろう。生存に役立つ以外のこ とはほとんどできない。ならば、余裕のある生活が送れるようになった人たちは、その余 裕を使って、それまでは願いつつもかなわなかった何か好きなことをしていると、そのよ うに考えるのは当然だ。 ならば今度はこんなふうに問うてみよう。 その「好きなこと」とは何か。やりたくても できなかったこととはいったい何だったのか。今それなりに余裕のある国・社会に生きて いる人たちは、その余裕を使って何をしているのだろうか。 「豊かな社会」、すなわち、余裕のある社会においては、確かにその余裕は余裕を獲得し 人々の「好きなこと」のために使われている。しかし、その「好きなこと」とは、願い つつむかなわなかったことではない。 問題はこうなる。そもそも私たちは、余裕を得たあかつきにかなえたい何かなど持って p いたのか。 少し視野を広げてみよう。 二十世紀の資本主義の特徴の一つは、文化産業とよばれる領域の巨大化にある。 二十世 紀の資本主義は新しい経済活動の領域として文化を発見した。 5 5 かすみ もちろん文化や芸術はそれまでも経済と切り離せないものだった。 芸術家だって霞を *…(の)あかつきに(は) 霞を食う 127 暇と退屈の倫理学 読解編 126

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