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国語 中学生

写真三枚目の問題が、なぜウなのか解説を読んでもわかりません。私がイだと思ったのは、 陶器士が内心喜んでいた と文中にあって、それを反省させるためかのかな、と思ったからです。

次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 ある国の有名な陶器師が、上等とされる軽くて薄い茶わんを、殿さまに献一 |上した。以下はそれに続く場面である。 今度、新しく、薄手の茶わんが上がってからというものは、三度のお食事に殴 さまは、いつも手を焼くような熱さを、顔にも出されずに我慢をなされました。 rいい陶器というものは、こんな苦しみを耐えなければ、愛玩ができないものか」 (当)こマ と、殿さまは疑われたこともあります。また、あるときは、「いやそうでない 家来どもが、毎日、俺に苦痛を忘れてはならないという、悪義の心から熱さを耐 (国) *1 えさせるのであろう」と思われたこともあります。「いや、そうでない。みんな が俺を強いものだと信じているのて、こんなことは問題としないのだろう」と思 われたこともありました。 あれと、殿さまは、毎日お食事のときに茶わんをごらんになると、なんとい でリUな 顔色が養るのでございました。 あるとき、殺さまは山国を旅行なされました。その地方には、殴さまのお宿を しは するいい宿屋もありませんでしたから、百姓家にお泊まりなされました。 百姓は、お世辞のないかわりに、まことにaでありました。股さまはどん なにそれを心からお喜びなされたかしれません。いくらさしあげたいと思っても、 山国の不硬なところでありましたから、さしあげるものもありませんでしたけれ ど、殿さまは、百姓の真心をうれしく思われ、そして、みんなの食べるものを喜 Rておくになりました。 季節は、う秋の末で寒うございましたから、熱いお汁が身体をあたためて、 たいへんうもうございましたが、茶わんは厚いから、けっして手が焼けるような ことがありませんでした 国いくら軽くたって、また際手であったとて、茶わんにたいした変わりのある はずがない。それを軽い薄手が上等なものとしてあり、それを使わなければなら

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日本史 高校生

史料演習のQ2 ・東北経営 ・平安京造営 についてどのようなものなのか教えて欲しいです あと読み方も教えて欲しいです🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️

- 6 とくせい 9徳政論争8 えんりゃく 子のえとら ちょく あ てんか (延暦二十四年十二月壬寅)勅有りて…天下の徳政を相論ぜ あいろん しむ。時に緒嗣、議して云く、「方今、天下の苦しむ所は、 ただいま VO ぞうさく ト) S4う D ひゃくせいやす 軍事。と造作。となり。此の両事を停むれば、百姓安んぜむ」 ま みち かくしつ ふかど といふ。真道、異議を確執して肯へて聴さず。帝。緒嗣の議 よ すなわ ちょうは い を善しとしたまひて、即ち停廃に従はしむ。 (「日本後紀」) | えみし へいあんきょう かんい。 屈0軍事 : 東北経営(蝦夷との戦い) @造作 :平安京造営 帝:桓武天 じゅん な 『日本後紀』:八四○年に成立し、桓武天皇から淳和天皇までの事項を記」 述している。編者は藤原緒嗣ら。 に ほんこう き ふじわらの お つぐ あり ふじわらの 【現代語訳】 延暦二十四(八〇五)年、桓武天皇は詔を出して…(藤原 緒嗣と菅野真道に)徳政について議論させた。その時に緒嗣が主張す ることには、「現在、民衆を苦しめているのは東北経営と平安京造営 すがのの ま です。この二大事業を停止すれば、人々の苦しみは無くなるでしょう」 という。真道は違う意見を主張して譲らなかった。桓武天皇は緒嗣 の意見を採用し、二大事業を中止させた。

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