学年

質問の種類

日本史 高校生

日本史が苦手でわかる方答え教えてください🙏🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️

南朝 (1) 後醍醐天皇は6 (2) 楠木正成・7 社会の変化 分割相続→8 将軍 組織 (3) 足利尊氏、征夷大将軍となる (1338) (4)4 ■ ( 1350~1352) 尊氏・執事 5 ●守護大名と国人一揆 守護の権限の拡大 大犯三ヵ条に加えて 鎌倉時代の守護と区別して3 守護国人の対立 国人が一味同心→国人一揆 □(一方的な稲の刈取り)を取り締まる権限 使節遵行(幕府の裁判の判決を強制執行する権限) 2 ] (1352年、年貢の半分を軍費に調達することを認める→近江・美濃・尾張→全国へ) 守護請 (守護が年貢徴収を請け負う) er 南北朝の動乱が長期化 国衙機能の吸収,国内武士の家臣化→一国全体におよぶ地域的支配権 [中央] 管領 4 ただよし ただみゆ VS 直義 (尊氏の弟) ・ 直冬 ( 尊氏の子) コへ逃れ, 皇位の正統を主張 ] 戦死→北畠親房らが抗戦 [] 相続へ,惣領制崩壊→血縁的結合から地縁的結合へ ●室町幕府 幕府の安定 (1)足利義満,将軍となる (1368) →将軍を義持に譲り、太政大臣となって公武両方を支配 (2) 南北朝合体・・・南朝の1 ■天皇が北朝の [2② ]天皇へ譲位する ( 1392) (3)京都の市政権・諸国の段銭徴収権を朝廷から吸収 (4) 京都の室町に邸宅 (3 細川 斯波 畠山 [地方] □とよび, その支配体制を守護領国制とよぶ 鎌倉府 6 「室町殿」) を建設→室町幕府とよばれる 政所 (財務の管理, 長官: 執事) 侍所 (京都の警備・刑事裁判, 長官 : 所司) 15 問注所(記録・訴訟文書の保管, 長官:執事 ) 評定衆引付衆 ―関東管領・ 尊氏の子基氏の子孫が世襲 上杉氏世襲 ・・・ 赤松 一色 山名 ・京極 政所 侍所 問注所 評定衆 ・ 引付衆 九州探題(九州の統轄) 今川氏→渋川氏 奥州探題(陸奥の統轄) 羽州探題(出羽の統轄) しゅっし 守護・地頭(守護は在京して出仕,領国は守護代に統治させる ) おおさき もがみ } 斯波… 上杉氏→大崎・最上氏 of

未解決 回答数: 1
歴史 中学生

中2の歴史の問題で分かるところだけでも教えてください🙇‍♀️

AR 6 産業の発達と都市の繁栄 (1) 交通 幕府による交通路の整備がすすむ。 ウル ・・・日本橋を起点とする。 とうかいどう なかせんどう にっこうどうちゅう おうしゅう ・・東海道・中山道・日光道中・奥州道中・ 甲州道中 ●陸上交通 MALL. 箱根などに関所を置く。 →江戸にいる大名の妻子が領地へ帰ら ないかなど、人や荷物の出入りをきび しくチェックした。 ●海上交通 にしまわ 西廻り航路… 日本海側を通って大阪に年 などを運ぶ航路。 18 (2) 産業の発達 農業の発達 新田開発, 道具の改良と発明, 肥料の利用。 新しい農具・・・ 千歯こき、 とうみ 深く耕せる 五街道 おもな城下町 おもな港町など 京都 工芸の町 大阪 天下の台所 ひがきかいせん たる 菱垣廻船樽廻船・・・大阪と江戸をつなぐ定期便。 西廻り航路 ma ○萩 長崎 鹿児島 佐賀 LX0984 ひがしまわ 東廻り航路・太平洋側を通って江戸に年貢などを運ぶ航路。 効率よく脱できる 日光道中(街道) 中山道 甲州道中 (街道) ir 高知 ○熊本 松前 商品作物の栽培・・・麻・ わた・あぶらな・あい・べにばな → 現金収入を得るため栽培。 →自給自足に近かった農村に貨幣経済が広まる。 じき 3 の生産・・・ しょうゆ (千葉県) 酒(兵庫県), 磁器 (石 川県・佐賀県)など。 弘前 仙台 酒田 会津 白河 新 日光 ●金沢 江戸 SAMA 将軍のおひざもと 江戸・上方航路(南海路) (菱垣廻船樽廻船) 屋 東海道 奥州道中(街道) ★江戸時代の交通 18 世紀, 耕地面積 は豊臣秀吉のころ の2倍に なぜ? 米の生産量が増え、米以 外の作物をつくるよゆう ができた。 また道具や肥 料を買うためなど 現金 が必要となっていった

未解決 回答数: 1
日本史 高校生

大至急です! 日本史でわからない箇所があるので教えていただきたいです 【問】当時貿易を認めていたオランダと中国船以外の外国船が日本近海に現れ、薪や要求したり通商を要求するようになって、幕府がたどり着いたのがこの打払い、つまり攻撃するという方針であった。1837年、アメリカ... 続きを読む

水野忠邦は, なぜ天保の改革を おしすすめたのだろうか。 海辺の村 ②お咎め 一体いきりすニ限 らず、 候処、専要の事に候条、油断無申し付けらるべく候。 察度。ハ之有間敷候間、 二念無、 打払を心掛、図を失わざる様取計 等差出すに及ばず、其分二差置、若押て上陸致し候ハゞ、搦取、又 二有合候人夫を以、有無に及ばず、一図二打払、逃延候ハゞ、追船 打留候ても苦しからず候。...…. 右等の船万一見損、打誤候共、御 間、以来何れの浦方二おても、異国船乗寄候を見受候ハゞ、 其所 南蛮、西洋の儀は、御制禁邪教 (『御触書天保集成』) の国二候 候察は等間 処度と打差 有吉 以体 に候す候来い までに人に何いき 180 るも及夫ぷれり をす ず以浦 ① 異国船打払令D] 追其 計御又船所 候 4. 幕藩体制の動揺 ぐんかん ぶんか 10 |海防体制の強化 1808 (文化5)年には,イギリス軍艦フェートン号が、 交戦国であったオランダ商船を追って, 長崎に入港 と蛮社の獄 30 する事件がおこった。その後も,イギリス船やアメリカ船が日本近海を 航行していたので,幕府は,1825 (文政8)年に異国船打払令を出して、 海防体制を強化した。そのため,1837(天保8)年,日本人漂流民を護送 するとともに,通商を求めて浦賀に来航したアメリカ合衆国の商船モリ うらが ソン号は,打払令によって砲撃を受けた。こうしたできごとに対し、簡 がく ぼじゅつゆめものがたり わたなべかざん たかのちょうえい _しんきろん 学者の渡辺崋山は「慎機論」 を,高野長英は『戊戌夢物語』をあらわし、打 ばんしゃ ごく ち払いの不当を論じたため、 幕府によって処罰された ( 蛮社の獄)。 てんもん はん 19世紀になると,幕府も洋書の翻訳を開始して, 美・地理・軍事な どに関する新知識の吸収につとめ, 多くの諸藩もならった。江戸と長崎 で始まった蘭学は,京都, 大坂, さらに全国各地に広まった。 オランダ 商館の医師として長崎に来たシーボルトは, 鳴滝塾を開いて, 医療とと らんがく しょうかん なるたきじゅく 1796~1866 たかのちょうえい もに西洋の学問を教え, 高野長英らを育てた。 1828年, シーボルトは、 帰 国の際、持ち出し禁止であった日本地図の所持が発覚して国外追放の処 たかはしかげやす 分を受け, 地図を渡した幕府天文方の高橋景保らも処罰された。 1785-1829 p.184 おおしおへいはちろう ちょっかつ 大塩平八郎が幕府の直轄都市 内憂外患 ほうき てんぽう き きん 大坂で武力蜂起したのは、天保の飢饉で市中の米 が不足しているさなかの1837年3月 (天保8年2 ちんあつ 月) であった。 蜂起はすぐに鎮圧されたが, 大塩は まちぶぎょうしょ よりき もともと, 大坂町奉行所の与力という重要な役職 にあり、著名な学者でもあったため, 人々は彼の 行動を知って衝撃を受けた。 蜂起の情報は,噂も うわさ まじ もんてい 交えながら全国に広がり, 各地で「大塩門弟」 「大塩 「残党」を名のる武力蜂起や一揆を誘発し, 幕府に動 いっき ゆうはつ 揺をあたえた。 そもそも前年からこの年にかけて 全国で150件以上の百姓一揆が発生していた。 飢 ひゃくしょう ないゆう 饉に起因するこれらの出来事は、 国内における深 刻な事態, すなわち 「内憂」 として受けとめられた。 ちょうどこのころ, 外国船がひんぱんに日本近 辺に接近していた。 18世紀末から19世紀初頭まで は、ロシア船の蝦夷地への接近がおもな問題だっ たが,1810年代以降は,太平洋側で,イギリスを 先頭に欧米諸国の船の動きがみられるようになっ た。当時,これらの国々は,産業革命を成しとげ えぞち 第3編 近世の日本と世界 sto + wo きょてん て資本主義市場を拡大し、 世界各地に貿易の拠点 ほげい を求めつつあった。 捕鯨船の活動もさかんとなり 日本近海でめだち始めていた。 こうした動きは, 外国勢力が日本にあたえる脅威,すなわち「外患」 として受けとめられた。 きょうい がいかん 江戸幕府は,将軍が武力で日本列島の内部や周 辺海域の平和を維持し、 邪教としてのキリスト教 から人々を守ることで、社会秩序を安定させてい るという建前をとっていた。 このまま外患を放置 すると、将軍の権威は低下し、そのことが内憂を いっそう誘発することにもなりかねない。このよ うに外患が内憂と結びつくことを、幕府は非常に おそれていた。 こうした事態を打開するためには、将軍のもと で軍事力を強化して集中させ、海防体制をととの えつつ,将軍の権威を維持することが必要だと幕 この考えが、天保の改革の基本的な 府は考えた。 姿勢となっていったのである。

解決済み 回答数: 1