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古文 高校生

傍線部⑤「色」のここでの意味を漢字2字で答えなさい 解答解説がないので答え分からず困ってます😭 教えてください🙇‍♀️ (写真は上が1ページ目です)

頭弁は思しやるあまたあれど、まづ左京が許に行きて気色見給ふに、ありしに変はることなく、 また人になれける注中の衣ともなく、うらなければ、心おちゐて思ふものから、日頃の文の心得 がたかりしも、絶え間も恨めしう思ひけるなめりとおぼえて、いとどらうたく、こまやかにうち語らひ 給ふ。女は、「注影踏むばかりのほども、逢坂こそかたらめ、文をさへ通はし給はぬ勿来の関の恨めし う」と、にくからぬさまに注うちかすめ、怨じ聞こゆるに、 弁、「そは我こそ恨みをも聞こえめ。さし もぼつかなからず、日ごとにものしつるを、 あさはかにも思しなして、いつもあやしげにかこちなし給ひ、 あひ思さざりつるが、かひなくのみ思ひしものを」と、まめだち給へば、女、「いとまがまがしうも」と 徒に文も通はぬ中檜垣隔つる君が心とぞ見し 移し心はげに、色ことなりけり」と言ふに、弁、「あやなくおぼめき給ひけりな。 さらば賜ひつる文あ また所狭げにあるを、今見せ奉らん」とのたまふに、女もいぶかしう、「さらに知らず。 僅かに二度三度 ばかり」など言ひて、弁の文取り出てたり。ここら書き尽くし給ふは、ゆめなくて、三つばかりのみなり。 いとあやしう、いかなることぞと胸うち騒ぎて思ひめぐらすに、論無う使ひの心をさなく、もてたがへ いづかた とのもつかさ つるなり、さても何方にかものせと、いとどやすからずおぼゆれど、すべなければ、明日その主殿司 に問ひてこそ、まことそらごとあきらめめとて、言ひさしつつ、「我はつゆ忘るることもなかりしを」と うち泣きて、 君を思ひ長くなりぬ夢にだに見ずてほぼここだも恋ひ渡れば 常忘られず」などあはれなるさまに聞こえなし給ふ。女、 幾夜かも涙の床をはらひ侘びしをれし注⑥衣かへしてぞ寝し 月立つまでに」と言ふも、心苦しければ、「今はな思しそ。 さらに途絶えあるまじう、目離れず 「らんとこそ思へ」と慰めて、男君、 注さきくありてあひそめてし若草の妻はしきやし離れず通はん その長浜に」と聞こえ給ふ。 またの日、ありつる文使ひの主殿司、密かなる所に呼びて問ひ給ふに、聞こえやらん方なくてゐた > ページ 2/6 さんだち とうのちゅうじょう り。さすがに公達のし給ふことなどは、えも言ひやらず、この君のけはひもわづらはしう、 まめやかに びあへり。弁、あらはにも言はねど、 やうやう公達のしわざなりと心得給ひ、頭中将こそかかるをこ の振る舞ひはせめ、異人は所置くやうもありなんと、推し当てに思ひ寄るに、妬きこと限りなし。やが て頭中将の方に、文書き給ふ。 ことひと 「秋風の日に日に通ふ雁が音を君が使ひと我が思はなくに いと世づかぬ御心なん珍しう」とあり。頭中将いぶかしう見給ひけるが、やがて心得給ひ、侍従・少将 などの注さかしらにせしことをほの知りて、我に思ひ寄りつるなめりと、をかしきものから、わづら はしうて、 「おぼつかな夕霧わたるみそらには通はん雁の声も絶えつる いとあやしう、さらにいかなることとも思ひ給へ寄られ「侍らずなん」と聞こえ給ふ。 注 また人 他の人 ②中の衣ここでは、打ち解けない心の意 ③影踏むばかりのほども、逢坂こそかたらめ、文をさへ通はし給はぬ勿来の関の恨めしう 訪れることは難しいだろうが、手紙すらくださらないのは恨めしくの意 4うちかすめ それとなく言い ⑤ここだもたくさん ⑥衣かへしてぞ寝し衣を裏返しにして寝ると恋人の夢が見られるという俗信を踏まえた表現 ⑦77さきくありて幸せなことに ⑧はしきやしいとおしいなあ その長浜 ここでは、これからずっとの意 さかしらにここでは、悪ふざけての意

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古文 高校生

最後が問題になってます 全く分からず手付かずなのでどなたか回答ください🙇‍♀️ ※回答がないので理解の仕様がなくお手伝いしてください!!!

次の文章は『桃の園生』の一節である。 謹慎中の弁(「頭弁」 「男君」)は恋人の左京(「女」)に手紙 を何通も送ったが、何者かのいたずらで、手紙は左京にほとんど届かず、弁に届けられた返信も多くは 偽物であった。本文は弁の謹慎が解け、このいたずらを知らない二人が対面するところから始まる。こ れを読んで、あとの問いに答えなさい。 もと なこそ 頭弁は思しやる方あまたあれど、まづ左京が許に行きて気色見給ふに、ありしに変はることなく、 注また人になれける注中の衣ともなく、うらなければ、心おちゐて思ふものから、日頃の文の心得 がたかりしも、絶え間も恨めしう思ひけるなめりとおぼえて、いとどらうたく、こまやかにうち語らひ ア 給ふ。女は、「注影踏むばかりのほども、逢坂こそかたらめ、文をさへ通はし給はぬ勿来の関の恨めし う」と、にくからぬさまに注うちかすめ、怨じ聞こゆるに、弁、「そは我こそ恨みをも聞こえめ。さし もぼつかなからず、日ごとにものしつるを、あさはかにも思しなして、いつもあやしげにかこちなし給ひ、 あひ思さざりつるが、かひなくのみ思ひしものを」と、まめだち給へば、女、「⑨ いとまがまがしうも」と いたづら なかひがき 徒 に文も通はぬ中檜垣隔つる君が心とぞ見し 移心はげに、色ことなりけり」と言ふに、弁、「あやなくおぼめき給ひけりな。 さらば賜ひつる文あ また所狭げにあるを、今見せ奉らん」とのたまふに、女もいぶかしう、「さらに知らず。 僅かに二度三度 ばかり」など言ひて、弁の文取り出でたり。ここら書き尽くし給ふは、ゆめなくて、三つばかりのみなり。 いとあやしう、いかなることぞと胸うち騒ぎて思ひめぐらすに、論無う使ひの心をさなく、もてたがヘ いづかた とのもつかさ つるなめり、さても何方にかものせしと、いとどやすからずおぼゆれど、すべなければ、明日その主殿司 に問ひてこそ、まことそらごとあきらめめとて、言ひさしつつ、「我はつゆ忘るることもなかりしを」と うち泣きて、 君を思ひ日長くなりぬ夢にだに見ずて注)ここだも恋ひし渡れば 常忘られず」などあはれなるさまに聞こえなし給ふ。女、 幾夜かも涙の床をはらひ侘びしをれし注⑥衣かへしてぞ寝し 月立つまでに」と言ふも、心苦しければ、「今はな思しそ。 さらに途絶えあるまじう、目離れず見え奉 らんとこそ思へ」と慰めて、男君、 注きくありてあひそめてし若草の妻注はしきやし離れず通はん 注)その長浜に」と聞こえ給ふ。 みそ またの日、ありつる文使ひの主殿司、密かなる所に呼びて問ひ給ふに、聞こえやらん方なくてゐた 4 とこ > ページ 2/6

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古文 高校生

「桃の園生」という文の一節なのですが 上手く要約できず苦戦しているのでどなたか要約してください😭🙇‍♀️

一次の文章は『桃の園生』の一節である。 謹慎中の弁(「頭弁」「男君」)は恋人の左京「女」)に手紙 を何通も送ったが、何者かのいたずらで、手紙は左京にほとんど届かず、 弁に届けられた返信も多くは 偽物であった。本文は弁の謹慎が解け、このいたずらを知らない二人が対面するところから始まる。こ れを読んで、あとの問いに答えなさい。 頭弁は思しやる方あまたあれど、まづ左京が許に行きて気色見給ふに、ありしに変はることなく、 また人になれける中の衣ともなく、うらなければ、心おちて思ふものから、日頃の文の心得 がたかりしも、絶え間も恨めしう思ひけるなめりとおぼえて、いとどらうたく、こまやかにうち語らひ 給ふ。女は、「影踏むばかりのほども、逢坂こそかたらめ、文をさへ通はし給はぬ勿来の関の恨めし う」と、にくからぬさまにはうちかすめ、怨じ聞こゆるに、 弁、「そは我こそ恨みをも聞こえめ。さし もぼつかなからず、日ごとにものしつるを、 あさはかにも思しなして、いつもあやしげにかこちなし給ひ、 あひ思さざりつるが、かひなくのみ思ひしものを」と、まめだち給へば、女、「いとまがまがしうも」と 徒に文も通はぬ中檜垣隔つる君が心とぞ見し 移し心はげに、色ことなりけり」と言ふに、弁、「あやなくおぼめき給ひけりな。 さらば賜ひつる文あ また所狭げにあるを、今見せ奉らん」とのたまふに、女もいぶかしう、 「さらに知らず。 僅かに二度三度 ばかり」など言ひて、弁の文取り出てたり。ここら書き尽くし給ふは、ゆめなくて、三つばかりのみなり。 いとあやしう、いかなることぞと胸うち騒ぎて思ひめぐらすに、論無う使ひの心をさなく、もてたがへ つるなり、さても何方にかものせと、いとどやすからずおぼゆれど、すべなければ、明日その主殿司 に問ひてこそ、まことそらごとあきらめめとて、言ひさしつつ、「我はつゆ忘るることもなかりしを」と うち泣きて、 どのもつかさ 君を思ひ日長くなりぬ夢にだに見ずてはここだも恋ひ渡れば 常忘られず」などあはれなるさまに聞こえなし給ふ。女 幾夜かも涙の床をはらひ侘びしをれし衣かへしてぞ寝し 月立つまでに」と言ふも、心苦しければ、「今はな思しそ。さらに途絶えあるまじう、目離れず見え奉 らんとこそ思へ」と慰めて、男君、 さきくありてあひ見そめてし若草の妻はしきやし離れず通はん その長浜に」と聞こえ給ふ。 またの日、ありつる文使ひの主殿司、密かなる所に呼びて問ひ給ふに、聞こえやらん方なくてゐた AUR

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古文 高校生

質問です 宝物集の問題で調べても現代語訳が出てこないので問4と5の解答根拠が分からないので教えてください

〔二〕〈古文〉次の文章を読み、後の問いに答えなさい。 (注1) (注2) 延暦のころ、天下に世中心地おこりて、一人ものこらずたふれふして制りけるに、但馬守国高、任国へ神拝しに下向したりける。ともに、子 はしたもの(A)- みのかさ なりける人も下りけるが、ある宮腹なりける 半者を志ふかくおもひけるが、この心地をわづらふをほのかにききて、蓑笠もとりあへずはせ のぼりて、たづねければ、「人のいむ病なれば、とふ人なかりしかば、朱雀門へ出してける」と申しければ、やがて朱雀門へまかりて見れば、 (u)_(^). 薦といふものひきましたる中に、病し、死にけらし。二つの眼は鳥にとられ、木の節のぬけたるやうにて、さしも緑なりし髪は芥となり、 (イ) こも (注4) あくた きぬには血うちつきてありけるを見るに、こころうくかなしかりければ、三井寺にまかりて、法師になりて侍りける。 (ウ) (注5) 病は、うつくしき人をもかくやつし つよげなる はやます。 波の眼といふとも、鳥にとられぬればなにかはせん。翡翠のかんざしな りといふとも、芥にむすぼほれぬれば、見る人愛づる事なし。ひとたびゑみしかば、千金を惜しむ人なかりし人、歯は雪のやうにしろくさらさ れて、見る人おぢずと云ふ事なし。我心にまかせたるべきこひの病すら、しのびがたき事にてぞ侍るめる。 (「宝物集』による) (注1) 延暦…..‥ 桓武天皇の時代の年号、西暦七八二年から八〇六年までの期間を指す。 (注2) 神拝・・・・・・国司が任国の主要な神社に参拝すること。 (注3) けらし・・・・・・過去の助動詞「けり」の連体形「ける」に、推定の助動詞「らし」が付いた「けるらし」から変化した形。 (注4) 緑なりし髪…... 黒くてつやのあった頭髪。 (注5) 曾波…...重なりあった波。 また眼が白黒はっきりする様、澄んだひとみのたとえ。 WIN(A) G ひすい

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日本史 高校生

日本史が分かりません!! 答え教えてください!!

討幕の 計画 討幕へ 鎌倉幕府の滅亡 討幕の 背景 5 武家社会の成長 混乱と 対立 室町幕府の成立 統(後深草上皇系)と2 →幕府介入による両統迭立 →朝廷政治を左右 うちかんれい (2)執権北条高時,内管領長崎高資による得宗専制に対し御家人の不満が高まる (3) 畿内近国で悪党の活動が活発化 後醍醐天皇(大覚寺統), 天皇親政を実施 →討幕を計画→正中の変(1324) 3 くすのきまきしげ もりまし (1) 楠木正成 (1331) 護良親王 (1332) ら蜂起、後醍醐天皇は隠岐を脱出 (1333) ↓ 鎌倉幕府滅亡 (1333) 建武の新政 新政 後醍醐天皇 年号を1 組織 [中央] (2) 幕府軍の足利高氏(のち尊氏)が寝返り→4 を攻撃 ( 1333) (3) 5 ] は鎌倉を攻撃 (1333) 北条高時ら北条一門は自殺 天皇 統 (亀山天皇系) の対立 ○南北朝の動乱 北朝 こうごん ] (1331) 失敗 (天皇, 隠岐へ配流→光厳天皇即位) □ (警備) □と改元, 幕府・院政や摂政・関白を否定→天皇親政をめざす 2 ] (重要政務)...天皇親裁 恩賞方 (恩賞事務) ・・・公家・武家が担当 雑訴決断所(訴訟関係の裁判)・・・ 幕府の引付を受け継ぐ 3 なりよし 鎌倉将軍府 (成良親王を派遣, 補佐 : 足利直義) のりよし 14 ](義良親王を派遣,補佐: 北畠顕家) [地方] 国司・守護(併置) りんじ (1)土地所有権の確認を天皇の綸旨で実施→武士社会の慣習を無視→武士の不満・抵抗を招く (2)足利尊氏,征夷大将軍を望むが認められず (3)5 ] (1335)... 北条時行 (高時の子)が鎌倉を攻略 ↓ ひるがえ 足利尊氏は鎮圧を名目に関東へ下り反旗を翻す (1) 足利尊氏, 京都に1 ■ (持明院統) を擁立 (2) 2 6 1334年鴨川のほとりに 掲げられたといわれる。 (政治方針17カ条) を発表→幕府は自永式目を思いた。その補足を3 □とよぶ

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日本史 高校生

日本史が苦手でわかる方答え教えてください🙏🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️

南朝 (1) 後醍醐天皇は6 (2) 楠木正成・7 社会の変化 分割相続→8 将軍 組織 (3) 足利尊氏、征夷大将軍となる (1338) (4)4 ■ ( 1350~1352) 尊氏・執事 5 ●守護大名と国人一揆 守護の権限の拡大 大犯三ヵ条に加えて 鎌倉時代の守護と区別して3 守護国人の対立 国人が一味同心→国人一揆 □(一方的な稲の刈取り)を取り締まる権限 使節遵行(幕府の裁判の判決を強制執行する権限) 2 ] (1352年、年貢の半分を軍費に調達することを認める→近江・美濃・尾張→全国へ) 守護請 (守護が年貢徴収を請け負う) er 南北朝の動乱が長期化 国衙機能の吸収,国内武士の家臣化→一国全体におよぶ地域的支配権 [中央] 管領 4 ただよし ただみゆ VS 直義 (尊氏の弟) ・ 直冬 ( 尊氏の子) コへ逃れ, 皇位の正統を主張 ] 戦死→北畠親房らが抗戦 [] 相続へ,惣領制崩壊→血縁的結合から地縁的結合へ ●室町幕府 幕府の安定 (1)足利義満,将軍となる (1368) →将軍を義持に譲り、太政大臣となって公武両方を支配 (2) 南北朝合体・・・南朝の1 ■天皇が北朝の [2② ]天皇へ譲位する ( 1392) (3)京都の市政権・諸国の段銭徴収権を朝廷から吸収 (4) 京都の室町に邸宅 (3 細川 斯波 畠山 [地方] □とよび, その支配体制を守護領国制とよぶ 鎌倉府 6 「室町殿」) を建設→室町幕府とよばれる 政所 (財務の管理, 長官: 執事) 侍所 (京都の警備・刑事裁判, 長官 : 所司) 15 問注所(記録・訴訟文書の保管, 長官:執事 ) 評定衆引付衆 ―関東管領・ 尊氏の子基氏の子孫が世襲 上杉氏世襲 ・・・ 赤松 一色 山名 ・京極 政所 侍所 問注所 評定衆 ・ 引付衆 九州探題(九州の統轄) 今川氏→渋川氏 奥州探題(陸奥の統轄) 羽州探題(出羽の統轄) しゅっし 守護・地頭(守護は在京して出仕,領国は守護代に統治させる ) おおさき もがみ } 斯波… 上杉氏→大崎・最上氏 of

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日本史 高校生

分からないんです… 教えてください🙇‍♀️🙇‍♀️🙇‍♀️

鎌倉幕府の滅亡 (1)1 討幕の 背景 討幕の 計画 討幕へ ■統(後深草上皇系) と 2 □統 (亀山天皇系) の対立 てつりつ →幕府介入による両統迭立→朝廷政治を左右 うちかんれい たかすけ (2)執権北条高時,內管領長崎高資による得宗専制に対し御家人の不満が高まる (3) 畿内近国で悪党の活動が活発化 後醍醐天皇(大覚寺統), 天皇親政を実施 →討幕を計画→正中の変(1324) 3 くすのきまさしげ もりよし (1)楠木正成 (1331) ・ 護良親王 (1332) ら蜂起, 後醍醐天皇は隠岐を脱出 ( 1333 ) (2) 幕府軍の足利高氏(のち尊氏)が寝返り→4 ] を攻撃 ( 1333) (3) 5 ] は鎌倉を攻撃 (1333) 北条高時ら北条一門は自殺 北朝 ↓ 鎌倉幕府滅亡 (1333) ●建武の新政 新政 後醍醐天皇 年号を1 組織 2 [中央] 恩賞方 (恩賞事務) ・・・公家・武家が担当 雑訴決断所(訴訟関係の裁判)・・・ 幕府の引付を受け継ぐ 3 ](警備) なりよし 鎌倉将軍府 (成良親王を派遣,補佐: 足利直義) 天皇 南北朝の動乱 . こうごん ] (1331) →失敗 (天皇, 隠岐へ配流→光厳天皇即位) ]と改元、幕府・院政や摂政・関白を否定→天皇親政をめざす (重要政務)...天皇親裁 (1) 足利尊氏, 京都に1 (2) 2 のりよし □ (義良親王を派遣, 補佐: 北畠顕家) ar [地方] 国司・守護(併置) ar りんじ 混乱と (1) 土地所有権の確認を天皇の綸旨で実施→武士社会の慣習を無視→武士の不満・抵抗を招く 対立 (2)足利尊氏,征夷大将軍を望むが認められず (3) 5 ■ (1335) 北条時行 (高時の子) が鎌倉を攻略 ↓ ひるがえ 足利尊氏は鎮圧を名目に関東へ下り,反旗を翻す St (持明院統)を擁立 ] (政治方針17カ条) を発表→幕府は貞永式目を用いた。 その補足を3 Ar 6 1334年鴨川のほとりに 掲げられたといわれる ]とよ

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