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古文 高校生

古文です。問5の①って間違ってないですか? 生徒と先生の会話から分からなかった場合のために 、一応問題文もつけておきます。 よろしければ②から⑤の正誤判別もお願いしたいです。

問五次に掲げるのは、二重傍線部「「下行く水の」と、いとほし」に関して、生徒と教師が交わした授業中の 会話である。会話中にあらわれる和歌や、それを踏まえる二重傍線部の解釈として、会話の後に生徒から出 された発言 ①~⑤のうち、適当でないものを二つ選べ。 ただし、解答の順序は問わない。(各5点) 生徒 「下行く水の」だけでは、何のことかわからないのですが、どう考えたらよいでしょうか。 ろくじょう 教師 この「下行く水の」は「古今和歌六帖』の「心には下行く水のわきかへり言はで思ふぞ言ふにまされ る」に基づいた表現だから、 この歌を知らないと理解できないね。 生徒 有名な和歌の一部を引用して、人物の心情を説明する、いわゆる「引き歌」の技法ですね。 教師 その通りです。さらに、この歌の注釈書には みかど みち いはて こぼり たか たま この歌、大和物語に、奈良の帝、陸奥の国磐手の郡より奉れる鷹のそれたるを、悲しみ給ひて詠ま せ給へる御歌に、心には下行く水のといふ上の句をそへたり とあります。 『大和物語』は歌物語だから歌の由来を説明しているということだね。 以上を踏まえて、『古今和歌六帖』の和歌と『枕草子』の記述について、意見を出し合ってみよう。 生徒A ―― 元は「言はで思ふぞ言ふにまされる」だけだったということは、この下の句にこそ帝の心 情が表現されているということですね。

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英語 高校生

赤い線で囲ってる部分を私にも分かるように教えてほしいです... 一応全ページ載せておきます

196 そのほかの重要表現 98 <V +S+X... > は譲歩, or があれば <whether ... A or B> 次の英文を訳しなさい 「解 sol yaxinusto taboe zalquio viram Spiritual life seems to parallel natural diamond formation. We I have all probably seen the miracle of people under extreme pressure, be it physical, emotional or moral, developing a new and shining strength. 受験生用の英文法参考書などには少し載っているだけですが,公文書や,と には会話でも使われるのが動詞の原形で始まる仮定法現在の表現です。 法 映画「ビルマの竪琴」の中に登場する歌の中にもこの仮定法現在が使われています。 タイ国境付近の村で少数の日本軍が何千ものイギリス軍に包囲されたそのとき,日本 兵が「埴生の宿」を歌うとイギリス軍も “Home, Sweet Home” を合唱し,戦闘は止 むのですが,その曲の一節が “Be it ever so humble, there is no place like home." です。この Be it ... は現代英語の Even if it is …. に相当しますが, Be... humble は普 通However humble it may be 「それ(=わが家) がどんなに粗末であっても」と言い 換えられています。要するに「譲歩」の表現だということです。 like は前置詞ですが, nothing や〈no + 名詞〉とセットになった場合,「・・・に匹敵する (equal to)」 の意味 になります。なお、「埴生の宿」 とは 「土で塗ったみすぼらしい家」 のことです。 この Be it ... に or が加わると, Whether it is ... or ~ の意味になります。 SUOROD では例題に入りましょう。 第1文は 〈seem to V > 「Vするようだ」 がわかれば, あとは語彙力の問題ですね。 (大阪大) バ 第2文は be it.... or moral がカンマとカンマで挟まれているのが容易に把握でき ます。いったんこの部分をはずして文構造を検討しましょう。 人はことがある皆 たぶん・・・だろう を見た 奇跡的な出来事 〜という人間が We have all probably seen the miracle (of people... S (助) ( 同格語) (副) (過分) O M (意味上のS) 例題: 語句 parallel Vt に似ている/formation 組成 / miracle 奇跡的な出来事) / physical 形肉体的な / emotional 形感情的な / moral 道徳的な L て の こ 白 に

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英語 高校生

赤い線で囲ってる部分の意味がわかりません。どういうことですか?

196 そのほかの重要表現 98 <V +S+X... > は譲歩, or があれば <whether ... A or B> 次の英文を訳しなさい 「解 sol yaxinusto taboe zalquio viram Spiritual life seems to parallel natural diamond formation. We I have all probably seen the miracle of people under extreme pressure, be it physical, emotional or moral, developing a new and shining strength. 受験生用の英文法参考書などには少し載っているだけですが,公文書や,と には会話でも使われるのが動詞の原形で始まる仮定法現在の表現です。 法 映画「ビルマの竪琴」の中に登場する歌の中にもこの仮定法現在が使われています。 タイ国境付近の村で少数の日本軍が何千ものイギリス軍に包囲されたそのとき,日本 兵が「埴生の宿」を歌うとイギリス軍も “Home, Sweet Home” を合唱し,戦闘は止 むのですが,その曲の一節が “Be it ever so humble, there is no place like home." です。この Be it ... は現代英語の Even if it is …. に相当しますが, Be... humble は普 通However humble it may be 「それ(=わが家) がどんなに粗末であっても」と言い 換えられています。要するに「譲歩」の表現だということです。 like は前置詞ですが, nothing や〈no + 名詞〉とセットになった場合,「・・・に匹敵する (equal to)」 の意味 になります。なお、「埴生の宿」 とは 「土で塗ったみすぼらしい家」 のことです。 この Be it ... に or が加わると, Whether it is ... or ~ の意味になります。 SUOROD では例題に入りましょう。 第1文は 〈seem to V > 「Vするようだ」 がわかれば, あとは語彙力の問題ですね。 (大阪大) バ 第2文は be it.... or moral がカンマとカンマで挟まれているのが容易に把握でき ます。いったんこの部分をはずして文構造を検討しましょう。 人はことがある皆 たぶん・・・だろう を見た 奇跡的な出来事 〜という人間が We have all probably seen the miracle (of people... S (助) ( 同格語) (副) (過分) O M (意味上のS) 例題: 語句 parallel Vt に似ている/formation 組成 / miracle 奇跡的な出来事) / physical 形肉体的な / emotional 形感情的な / moral 道徳的な L て の こ 白 に

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現代文 高校生

この現代文の問題を教えてください 一つだけでも教えてくださると嬉しいです!

DELUC 四 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。(B) 見えない人が「見て」いる空間と、見える人が目でとらえている空間。それがどのように違うのかは、一緒に時間を過ごす中で、ふとした 瞬間に明らかになるものです。 たとえば、 *注木下路徳さんと一緒に歩いているとき。その日、私と木下さんは私の勤務先である東京工業大学大岡山キャンパスの私の研 究室でインタビューを行うことになっていました。 私と木下さんはまず大岡山駅の改札で待ち合わせて、交差点をわたってすぐの大学正門を抜け、私の研究室がある西9号館に向かって歩き はじめました。その途中、一五メートルほどの緩やかな坂道を下っていたときです。木下さんが言いました。 「大岡山はやっぱり山で、いま その斜面をおりているんですね」。 私はそれを聞いて、かなりびっくりしてしまいました。 ①なぜなら木下さんが、そこを「山の斜面」だと言ったからです。毎日のようにそ こを行き来していましたが、私にとってはそれはただの「坂道」でしかありませんでした。 つまり私にとってそれは、大岡山駅という「出発点」と、西9号館という「目的地」をつなぐ道順の一部でしかなく、曲がってしまえばも り忘れてしまうような、空間的にも意味的にも他の空間や道から分節化された「部分」でしかなかった。それに対して木下さんが口にしたの は、もっと俯瞰(ふかん)的で空間全体をとらえるイメージでした。 確かに言われてみれば、木下さんの言う通り、大岡山の南半分は駅の改札を「頂上」とするお椀(わん)をふせたような地形をしており、西 9号館はその「ふもと」に位置しています。その頂上からふもとに向かう斜面を、私たちは下っていました。 けれども、見える人にとって、そのような俯瞰的で三次元的なイメージを持つことはきわめて難しいことです。坂道の両側には、サークル 勧誘の立て看板が立ち並んでいます。 学校だから、知った顔とすれ違うかもしれません。前方には混雑した学食の入り口が見えます。目に飛 び込んでくるさまざまな情報が、見える人の意識を奪っていくのです。あるいはそれらをすべてシャットアウトしてスマホの画面に視線を落 とすか。そこを通る通行人には、自分がどんな地形のどのあたりを歩いているかなんて、想像する余裕はありません。 そう、私たちはまさに「通行人」なのだとそのとき思いました。 「通るべき場所」として定められ、方向性を持つ「道」に、いわば②ベル り開放的なものに思えます。 トコンベアのように運ばれている存在。それに比べて、まるでスキーヤーのように広い平面の上に自分で線を引く木下さんのイメージは、よ 物理的には同じ場所に立っていたのだとしても、その場所に与える意味次第では全く異なる経験をしていることになる。それが、木下さん の一言が私に与えた驚きでした。人は、物理的な空間を歩きながら、実は脳内に作り上げたイメージの中を歩いている。私と木下さんは、同 じ坂を並んで下りながら、実は全く違う世界を歩いていたわけです。 ③彼らは「道」から自由だと言えるのかもしれません。 道は、人が進むべき方向を示します。もちろん視覚障害者だって、個人差はあると しても、音の反響や白杖(はくじょう) の感触を利用して道の幅や向きを把握しています。 しかし、目が道のずっと先まで一瞬にして見通すこ とができるのに対し、音や感触で把握できる範囲は限定されている。道から自由であるとは、予測が立ちにくいという意味では特殊な慎重さ

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