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この問題の3番教えていただけませんか( ;∀;) わりと困ってます。ここだけわからないです 教えてくださればフォローさせていただきます!

サハラ砂漠である。もう、三十年以上も前のことだ 日本の風土とまさに対極にある 「砂の海」に身を置いたら、どん な気分になるだろう。そう考えたのが砂演への旅の動機だったのだ が、そのサハラのまんなかに連なっている月世界のような岩の台地 に、一万年も前の原始絵画が描き残されている、と知らされたこと」 も、ぼくを砂漠へ駆り立てるのに拍車をかけた 予想はしていたものの、砂漠への道行きはじつにきびしいもの だった。地中海に臨む港町アルジェからアトラス山脈を越え、南へ 千数百キロ、目的の岩絵はそこに。応立するタッシリ高原に“展示 されているのだから。 その岩のアトリエへ達するには、ふもとのオアシス、ジャネット でロバ数頭を調達し、水、食糧、毛布、キャンプ道具一式を積んで、 映阻なタファルレット峠を越え、何日も歩き通さなければならな い。だが、神秘な原始絵画の誘惑が、すべての苦難に勝った。 峠を登りつめるのに、どれほど苦労したことだろう。最も苛酷な 夏の盛りである。気温は五十度を超えていた。累々と積み重なる岩 の急坂を、半死半生の態でよじのぼり、まだほんの序のロというの に、ぼくは早くも岩陰にヘナヘナと座り込んでしまった したたる汗を拭いながら、岩と空しかない世界を見回したときで ある。まさしく *反世界。 としか思えない日本の美しいイメージが、 不意にぼくの胸をよぎった。そのイメージとは、なんと、場ちがい な『新古今和歌集』の夢のような風景だった。その一首 みよし野の高嶺のさくら散りにけり 嵐もしろき春のあけぼの一 み吉野の高い峰まで咲き競った桜が、春の強風に雪のように散っ ている。その花吹雪が、あけぼのの空に白い嵐のように見える、と ん いう風景だ。 作者は後島羽院。 この。親集のなかで、ぼくが最も 心意かれる美の極致である ぼくは、あらためて、あたりを見回した。一木一草とて許さない 1大地の骨が、悪のような太陽のもとで溶け出すのではないか とさえ思われた。ぼくを先導するトゥアレグ人のガイド、パーバが 傍らに立って不思離そうに、ぼくを見おろしている。彼にとって こんな岩場は革のサンダルで歩き慣れた日常世界なのであろう。 バーパには、落花で嵐も白い春のあけぼのの光景など、2およそ想 像もつかないにちがいない。そう考えると、こうも異なる風土に ぼくは、いまさらのように、おどろきを禁じえなかった。 3このタファルレット峠が現実だとすればーいや、たしかに現実 だ そうならば、「吉野」はまさに曇気楼ではないか 「早く行こう。休んでいたら、もっと暑くなるよ」とパーバに促さ れて、ぼくは全身の力をふりしぼり、岩に手をかけながら夢中で立一 ちあがった。「しろい嵐」は一瞬にして消えた。だが、このとき、 ぼくは日本へ帰ったら、桜の季節に、ぜひとも吉野を訪ねよう、と 心に決めたのだった。 そんなわけで、帰国後、折りにふれては、「みよし野」の「嵐も しろき」春の風景が心に浮かんでいたのだが、花の季節に吉野を訪一 れる機会は、なんと、三十余年もめぐって来なかった。毎年、桜に 心を奪われながら、つい、行きそびれていたのである。このままで は、吉野を知らずに人生を終わることになってしまう ところが、早春のある日。旧友のI君から思いがけぬ誘いがか かった。「吉野の桜を見に来ないか」というのである。彼とは長い 付き合いだったが、彼の。細君の実家が、吉野「中千本」の通りに 面して、絶好の場所にあると知らされたのは初めてだった。 Jad 体号 山梨県

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歴史 中学生

歴史です。教えてくれると助かります。

)にあてはまる語句を書きなさい。 口(1) Aは, 3世紀の日本のようすについての記述が 見られる中国の歴史書「競志」倭人伝の一部。「そ の国」とはO[ は女王の②[ に使いを送り,皇帝から金印などを授かったとい (史料の読解〉次の史料を読んで, 右の文中の[ A その国の王はもとは男であったが,争いが 絶えなかったので, 国々が共同して[ a ] ぎし、わじんでん ]のことで、[a] ]。[a ]は239年に競 を王に立てた。[a ]は神に仕え.まじな いによって人々を治めた。 -[ a ]が 死ぬと大きな墓がつくられ,100人余りの奴 ひ どれい きんいん 蝉(奴隷)がいっしょにうめられた。 う。 口(2) Bは, 7世紀初めに聖徳太子が役人の心がまえ として定めたの[ しょうとくたいし B ーに日く,和をもって貫しとなし、争うこと のないように心がけよ。 二に日く、あつく三宝を敬え。三宝とは、仏」 てはまる語句は,L 法福である。 三に日く,[b ]の器を受けたら、必ず誰 いわ とうと J。(b ]にあ ]である。 ]となった太子は、 さんぼう うやま 推古天皇の③[ 【b ]を中心とした国づくりを進めた。 みことのり んでこれに従え。 ]がよんだ 口(3) Cは,8世紀にO[ 「貧窮間答歌」。貴族である[① ]が,農民の立場 に立ってよんだもので,最古の歌集である r[ C 人間に生まれ 人なみに田をつくるのに よれよれになったぼろを肩にかけつぶれか かった土間の上にわらをしき 父母はまくら の方に 妻や子は足の方にいてなげき悲 しんでいる……それなのに むちをもった 里長が戸口で税を出せとどなりたてる…… ひんきゅうもんどう ]」に収められている。 さとおさ きさき 口(4) Dは, O[ なった祝いの席でよんだもの。[① ]は子の頼通 とともに@[ 口(5) Eは,1221年におきたの[ 頼朝の妻であった[ D ]が、娘が天皇の妃と (う) もちづき この世をば わが世とぞ思ぶ 望月の (え) いわ よりみち 欠けたることも無しと思へば ]政治の全盛時代を築いた。 ]の乱の際。 が御家人た E みなの者,心をひとつにして聞きなさい。 頼朝公が幕府を開いて以来, 官位といい, 慰 賞の土地といい, その恩は山よりも高く, 海 よりも深いものです。 それに報いたいという 志は浅くないはずです。 名誉を重んずる者 は,今すぐ京都に向かって出陣し, 逆臣をう ちとって, 幕府を守りなさい。 よりとも こけにん よりとも ばく。 おん しょう ちに言ったとされる言葉である。 むく この戦いは幕府軍の大勝に終わり,乱の中心人 こころざし めいよ おき 物であった®[ J上皇は,隠岐に流さ しゅつじん ぎゃくしん れた。 口(6) Fは, 1428年におきた①[ ついての記録。近江(滋賀県)の坂本でおこった民 衆の反乱が,近畿地方一帯に広がった。 [c]は高利貸しを営んでいた質屋で, ]に F 正長元(1428)年9月, 天下の土民が蜂起 した。徳政とさけんで, 酒屋, [ c ], 寺院 などを破壊し,いろいろな品物を勝手に略 奪し,借金証文をすべて破棄した。管領が これを鎮圧した。 しょうちょう ど みん ほう き おう み さかもと は かい りゃく だつ しょうもん ちんあつ だいじょういんにっ きもくろく (「大乗院日記自録」より) ]という。

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