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歴史 中学生

答えどこか行きました わかんないので教えてください🙇🏻‍♀️

H 日 【問2J,我が国から東南アジアに渡り,定住する者も現れた。とあるが, 次のIの略年表は,室 町時代から江戸時代にかけての,我が国の海外との交流に関する主な出来事についてまとめ たものである。Iの略地図中のA~Dは、Iの略年表中のある時期に日本町が栄えた都市を 示したものである。Iの文章は,ある時期の我が国の貿易の様子などについて述べたものであ る。皿の文章で述べている貿易が行われた時期に当てはまるのは, Iの略年表中のア~エの時 期のうちではどれか。また, Ⅲの文章で述べている日本町に当てはまるのは, Ⅱの略地図中の A~Dのうちのどれか。 I 西暦 我が国の海外との交流に関する主な出来事 1500km 0 あしかがよしのり 足利義教が道淵を明に派遣した。 どうえん みん 1432 D A ア B フランシスコーザビエルが来日し、キリスト教を伝えた。 おおともよししげ 1549 あり まはるのよ イ おおむらすみだだ 1582 大友義鎮·有馬晴信 大村純思らが, 天· しょう 正遣欧使節を派遣した。 ウ 1690 |●ケンペルがオランダ商館の医師として来日… した。 エ だいこく やこうだゅう 1792 |●ラクスマンが大黒屋光太夫を護送して来日 した。 幕府は,栄印状と呼ばれる書状を我が国の商船に与え, 海外へ渡ることを許可し, 東南ア ジアの国々に対しても, 朱印状を持つ商船を保護することを求め, 貿易体制を整備した。 ま た、自治権をもつアユタヤの日本町では, 王室に重く用いられる日本人も現れた。 しゅいん I 7-

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現代文 高校生

現代文の100字要約の問題です。 上手くまとまらず、悩んでいるのでわかる方教えていただきたいです。

現代文の文章ですが、松尾芭蕉以降の近世の世界観を逃 さてここで、「山吹や蛙飛びこむ水の音」に戻ろう。このようにかはづの和 歌の歴史を見てくると、「山吹」「かはづ」「水」という組み合わせはさほど不 思議ではない。しかしここにはすでに、和歌の観点から見た場合、重大な欠落 がある。それは「鳴く」という言葉の欠落だ。連歌集である『蒐玖波 集』の 歌でさえ、「なにごとのあらそひか有る鳴く蛙」と、かはづは鳴くことになっ ている。しかし芭蕉はかはづを鳴かせなかった。「蛙飛びこむ水の音」という 着想だけでも、これは和歌の言葉を通して見た自然ではなく、その隙間を縫っ て芭蕉自身が発見した新しい自然だった。かはづは鳴かない。なんと、ぶざま にも水に飛び込んだのである。そして山吹の問題だ。其角は和歌の歴史から 言って当然のように山吹をつけた。なにしろかはづが鳴かないのだから、せめ て山吹でもないことには歌の道に連なることができない。しかし(芭蕉は即座 にそれを退け、やがて「古池や」に至ったという。結果としてここに、「山吹」 も「清流」も「鳴く」も無い、無いものだらけのかはづの句ができた。千年の あいだ続いたかはづの自然は、ここにあとかたも無く崩壊したのである。 それにしても、このような和歌の歴史の中で考えてくると、なんと革命的な 句なのだろう。単に和歌で必須とされる要素が無い、というばかりではない。 鳴く」に対して「 I」が対時され、「声」に対して「 Ⅱ 時され、「清い」に対して「一 D の文章を読み、あとの設問に答えよ。 芭蕉は「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」と言ったという。『三冊子』 はこの言葉について、「X私意をはなれよといふ事也」と書きとめている。魔 末保は、このようなことが言われるには、「松が、まさにそこにある松、つま り、 即物的に接することのできる松として出現しはじめた時代だという前提が なければならない」と論じた。これは「江戸時代にとって自然とは何であった か」という問題を考える上での根幹である。我々の時代はすでにそういう時代 が始まってから久しく、物は「即物的に」物でしかないのが当たり前になって しまった。そうでなければ、これほど環境は悪化しないし、これほど多くの物 が平然と消費され捨てられたりはしない。それゆえに、近世という時代が始 まって間もなく、芭蕉や西鶴や近松に何が起こっていたか、よほビ自夏刀b かせなければ理解できないのである。(中略) A自然はすでに近世において、ただの樹木や石や水という「物」になってし まった、と考えられる。それまでは表現するだけで自然の力を感じさせた雅語 (たとえば和歌の言葉)や雅の絵画(中世山水画など)さえももはや力を持た ず、貨幣経済の中でひたすら自然が消費されていくようになった。遊山を描く 扉風絵や旅を書きつける旅行記などは、まさにそのような消費対象としての 自然(自然の俗化)を調歌しているわけだが、同時に、このような「物」とし ての自然の出現は、新しい文学をもたらすことにもなったのである。 芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」の句は、作られた時のことが「葛の松 原』に書かれている。『野ざらし紀行』の旅を終えて江戸に戻って一年ほど後 のことだ。旧暦三月の暮れ、江戸の郊外に遊んだ。雨が静かに降り、風柔らか に吹き、ときたま蛙が水に飛び込む。芭蕉は「言外の0フゼイこの筋にうかび て、蛙飛びこむ水の音 といへる七五は得給へりけり」という。このとき芭蕉 は七五のみ想い浮かんで、上の言葉は浮かばなかった。するとそこにいた其角 小、上を付けた。それが「山吹や」である。ここに、「山吹や蛙飛びこむ水の 昔」という発句ができあがった。この其角の案はもっともで、まさに和歌に連 なる句の世界としては、まっとうな作だった。そしてそこには、Bまだ近世の 俳人たちを支配していた自然観がかいま見える。 『万葉集』にいう。「かはづ鳴く清き川原を今日見ては何時か越え来て見つつ 偲はむ」||かはづは必ず清い川、澄んだ水にいる。そしてかはづは必ず「鳴 く」。澄んだ水でないと生息しない蛙のうち、和歌の世界でその美しい鳴き声 が詠まれるのはたった一種類、かじか蛙だけである。『万葉集』に始まった 「かはづ」の歌は、つまりかじか蛙だけのための歌であり、そうであるからに は「澄んだ水、清流」そして「鳴く」という二つの言葉が不可欠だったのであ る。「かはづ鳴く神名火川に影見えて今か咲くらむ山吹の花」 は、神社のある場所の川のことをいう。ここでは飛鳥川か竜田川だ。この歌に は山吹の花が出現する。「清流」「鳴く」「山吹」の三つの言葉がこうして、「か はづ」とセットになって現れるようになる。「かはづなくるでの山吹ちりにけ り花のさかりにあはまし物を」 |これは『古今和歌集』の歌だ。井出の玉川 は山城の国の川のことだが、「玉川」は清流を意味する。川は清流でなくては ならず、水は、常に流れて水を入れ替える=でよくてはよう!よい。「匹こよく pv しゅう が対 日 」が対時され、「流れる川」に対して 」が対時されたのである。古池とはどんな池だろうか。まず流れな い。水が入れ替わらない。澄んでいない。その底には、枯れ葉や木の残骸や動 物の死体が腐って堆積し、間違いなく濁っている。その周辺には苔や菌類や古 木や下草がいつも濡れてじっとりと生きていて、数え切れないほどの生命が地 を這っている。古池とは歴史の堆積であり、生命のるつぼなのだ。そこに蛙が 飛び込めば底の堆積物は一気に舞い上がり、水はさらに濁るだろう。かじか性 がそういう環境に暮らせるはずがなく、ここに登場する蛙はがま蛙や殿様蛙 牛蛙など、そのあたりで庶民が日常的にみかける生命力旺盛な蛙に違いない。 Vト さらに言えば、古池が川と違うところは、ふだんはじっと動かないところ だ。まるで川は我々人間の意識の流れのようであり、古池は我々人間の無意識 の堆積物のようである。みじろぎもしないその濁り水に突然一匹の蛙が飛び込 む、というその一瞬に起こるハモンのざわめきは、記憶の堆積と無意識に起 こるざわめきのようだ。何が起こったのか。周知のように禅では、座禅の際に このざわめきを意図的に起こす。p意識によって隠された連関への目覚めをも たらすためである。 芭蕉はこの句から、風雅の道を見つけたと言われている。すなわち、蕉風の 確立である。蕉焦風では、言葉の革命と新しい境地の創造が、確かにあった。そ トトキA+ -神名火川と れは、和歌の言葉の背後に隠された自然を、詩の言葉として発掘するというこ とだった。「木のもとに汁もなますも桜かな」 ーごく日常的な食べ物の出現。 J るャ 了東風々に糞のいきれを吹きまはし」 ふがん人のうしろむき」 -排池物も詠まれる。「団扇もて -まるで浮世絵のように、俗世の人の姿を捉える。 うぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれか うたをよまざりける」と、『古今和歌集·仮名序』にも言う。もはやかはづは 驚と同じくらい、和歌の世界のスターとなった。それもその美声ゆえであっ た。いったんスターとなったからには、代表的な和歌の集に登場し続ける。 海くれて鴨のこゑほのかに白し」||思い切りのいい不定形。声が色とL て眼に見える。和歌の言葉の繰り返しの中で日本人の脳裏に形成された定型E 自然観は、このように次第に崩れてゆき、江戸時代になってそれは新たな自 世界を構成することになった。私たちの今日の自然観は、和歌のそれではな~ 俳譜の自然観にずっと近い。 傍線部 a.bの漢字の読みを記せ。 (日留) (田中優子『江戸の自然,

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日本史 高校生

この解答を教えてください🙇‍♀️よろしくお願いします!

時国 H十H サ 0 ナ 時回 3)次の姫路の地図をみて, 下記の設問に答えよ。 問1 姫路のような都市を何というか。 生野街道 問2 中曲輪には家臣団らの屋敷が配置された。 この居住地域を何というか。 問3 問2に居住する人々について述べた次の各 文の正誤を判断し, ○×の記号を解答欄に記せ。 (7) 支配身分として苗字 帯刀の特権をもった。 (イ) 戸主の権限が強く, 家督は長子が相続する ことを原則とした。 (ウ) 町の支配のために町年寄に選ばれるものも 本 いた。 問4 外曲輪の南側には商人や手工業者が居住し た。この居住地域を何というか。 問5 問4に居住する人々には多様な階層が存在した。 次の①~③の階層の名称を記せ。 の町屋敷をもち, 町の運営に参加した。 の宅地を借りて自分で家屋を建てて住んだ。 の商家に住み込んで働いた。 問6 問4に居住する人々について述べた次の各文の正誤を判断し, ○×の記号を解答欄に記せ。 (7)屋敷地にかけられる地子を免除される特権をもった。 (イ)それぞれの職種ごとに仲間 組合などとよばれる集団をつくった。 (ウ) 町は代表であるかわたを中心に, 町法にもとづいて運営された。 問7. 都市の商業について述べた次の文章の空欄(②~) に適する語旬を記せ。 都市を根拠地とする(② )は, 生産地の( ③ )から商品を受託し, これを都市部の(① )に手数料を とって卸売した。都市部の( ③ )は, 仕入れた商品を武家や(② ) 商人などに売った。 (③ )は, 購 人した商品を消費者に売る商人で, 常設の店舗, 路上の店, もち歩いて販売する零細な(④ )など, さまざまな形で商売を営んだ。

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