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不便の価値を見つめ直すの要約かける人居ませんか!至急です!!200字程度です

不便」の価値を見 177 価値を見 SALATEUR POURISTI Balidea NAM VIRT+ NAM ひろ わかみ 「不便」の価値を見つめ直す 川上浩司 不便てよかった。」と感じたことはないだろうか。 くこう尋ねると、たいていの場合、けげんな顔をされる。「便利でよかった」な らばわかるが、「不便でよかった」とはどういうことか、不便でよかったことな んてあるはずがない、というわけだ。 そこにあるのは、「便利はよいこと」で 「不便は悪いこと」という価値観である。実際に、今の世の中は便利であること をもてはやすものであふれている。テレビやインターネットのコマーシャルを見 ていると、「手間要らずで、なんて便利」 「もっともっと便利に」という調子のも のが多い。 私の専門である機械の設計や工業デザインの分野でも、長い間、便利を追求す ることが大きな指針であり続けてきた。手間を省き、便利を追求することこそ、 人の生活を豊かにすることだと考えられてきたのだ。 使う人の手間がかからない よう、また使う人が迷ったり考えたりしなくてもよいようにと、使い方が複雑な ものは単純化され、自動化や効率化、高機能化が進められた。以前より手間のか かるものをわざわざ開発することなど、想像もできない。 私も、元は設計の自動化について研究していた。何か欲しいものがあれば、自 動的に設計してくれるコンピュータを作れたらどんなにかすばらしいだろうと考 えていたのだ。ところが、あるとき、次のような疑問が生じた。 全てを自動化で きれば確かに楽にはなるが、その分、自分で考えることによって得られる達成感 や喜び、技術の向上も望めないことになる。それは、本当に人の生活を豊かにす るデザインなのだろうか、と。確かに、便利になることで楽になるという側面は ある。そして、それが必要な場面もあるだろう。しかし、一様に便利さばかりを 追求し続けることで、私たちの生活や社会は本当に豊かになっていくだろうか。 今、便利の追求以外の新たな発想が求められているのではないか。 らこのような考えから私が着目したのが、これまで見過ごされてきた 「不便」の を新しいデザインに生かせないか、日々研究している。 価値である。私は、不便だからこそ得られるよさを 「不便益」とよび、その発想 そもそも、「不便」とはどういうことだろう。ひと口に「不便」といっても、 人によってその言葉の捉え方はさまざまだ。 それではしっかりとした分析や議論 カラー版 すらすら基本文法 CHIUDE [目標] ●必要な情報を取り出し、結び付け 約する。 ●筆者の主張を要約し、それに対す 分の考えをもつ。 9 工業デザイン 生活に関わ 具や機器のうち、工業的に 生産され、大勢の人々に使 るものの企画や設計。 2 けげん意 9 追求 文 ない要る 要る(いる) 1複雑 対 9 確かに、 12 見過ごす 関 見落とす 見のがす 見誤る

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英語 高校生

和文英訳の問題なのですが、よければ添削していただきたいです🙇

44 1 次の文章を読み, 下線部(1)~(3)を英語に訳しなさい。 2017年度 〔4〕 地球の表面の70%を覆い, 人類の生活に欠かせない海の環境が, 今のままでは 危機的な状況を迎える。 貴重な栄養源である海の魚は乱獲によって減少し, プラス (1) チックごみなどの海洋汚染が深刻だ。 大気中の二酸化炭素(CO2) 濃度の上昇は、 海水温度だけでなく, 海水の酸性度が高くなる 「海洋酸性化」 を招くと懸念されて いる。 【出典: 「海の日/環境保全の努力強化を」 「山陰中央新報』 2016年7月19日 (共同通信配 信)】 2人はコミュニケーションによってさまざまな恩恵を受けている。他者に何かを知 らせる,必要なものを入手する、新しい知識を得るというだけではない。誰かに気 持ちを話すことで心の安らぎが得られることもある。また, ことばによって協力し あい、助けあうこともできる。 テレビ,ラジオや新聞などのマスコミも多くのこと を伝えてくれる。近年はさらにインターネットによる多様な情報の発信,受信な ども加わり, コミュニケーションの恩恵は計り知れないものになっている。 【出典 : 岡本真一郎 「悪意の心理学』 中央公論新社, 2016年】 (2) 3 「折々のことば」 鷲田清一 「これもいい」 「あれもいい」という発想のほうがおいしい料理を作れる。 小林カツ代 すぐに作れるおいしい料理を紹介し, 忙しい親たちに支持されていた料理家は, 自然派とか安全派,「食育」などと肩ひじはらずに、おいしい料理を食べさせるほ うが子育てにはいいと言う。実際、おいしいものを作って喜ばせてあげようと腕 を鳴らす人が輪の中心にいると、その集団は華やぐ。 ほんとうはそれがいちばんい いのかも。 「学びの場.com」 の取材に答えて。 (3) 【出典: 鷲田清一 「折々のことば」 「朝日新聞」 2016年2月5日】

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大門4の問1を教えておしいです。(写真順番は画像のしたの真ん中にあるページどおりです。)

4 次の文章を読んで、あとの各問に答えよ。(*印の付いている言葉に は、本文のあとに [注] がある。) あなたは、誰かと対話をした経験があるだろうか。 会話ではなく、対話 である。(第一段) よほど特別の事情がない限り、私たちは日常的に会話をしている。 駅の キヨスクでチョコレートパーを買い、会社の守衛さんに挨拶し、職場で同 と打ち合わせをして、昼食時にショートメールで遠方の友人と近況を伝 えあい、帰宅して家族と今日のニュースについて話し合う。このどの場面 でも、私たちは会話をしている。そのいくつかは軽いやり取りであったり、 ただ楽しむためであったりする。他方、仕事の打ち合わせなどはかなり真 剣に、ときに厳しいやり合いをしなければならない。 (第二段) だが、このどれもが会話であっても対話ではない。(第三段) 対話とは、真理を求める会話である。 対話とは、何かの問いに答えよう として、あるいは、自分の考えが正しいのかどうかを知ろうとして、誰か と話し合い、真理を探求する会話のことである。ただ情報を検索すれば得 られる単純な事実ではなく、きちんと検討しなければ得られない真理を得 たいときに、人は対話をする。 それは、自分を変えようとしている人が取 り組むコミュニケーションである。(第四段) ショッピングや仕事でのやり取りは、自分の要望と相手の要望をすり合 わせようとする交渉である。 友人や恋人との会話は、よい関係を保ち、相 手を理解し、互いに話を楽しもうとする交流である。これらの会話は有意 かもしれないが、真理の追求を目的としてはいない。対話は、何かの真 理を得ようとして互いに意見や思考を検討し合うことである。(第五段) 私たちは日常生活の中で、ほとんど対話する機会がないのではないだろ うか。それは、真理の追求が日常生活で行われなくなっているからである。 だが実は、対話をしなければならない場面は、日常生活の中にも、思った よりもたくさんあるのだ。 (第六段) 仕事場でも、ただ当面の与えられた業務をこなすだけではなく、仕事全 体の方向性や意味が問われる場合、たとえば、「良い製品とは何か」「今は どういう時代で、どのような価値を消費者は求めているのか」「環境問題 に対して、我が社は頬かむりをしていていいのか」など真剣に論じるべき テーマは少なくないだろう。 家庭でも、子どもの教育をめぐって、 そもそ も子どもにとっての良い人生とはなにか、そのために何を学んでほしいの 親と子どもとはどういう関係なのか、子離れするとはどういうことか、 これらのことについて家族で話し合う必要はないだろうか。地域でも、ど のような地域を目指せばいいのか、住人はどのような価値を重んじている のか、以前からの住人と新しく来た人たちはどう交流すればよいか。本当 はこうしたことについて膝を突き合わせて対話する必要があるのではない だろうか。(第七段) 人生に関すること、家族と社会に関すること、政治に関すること、地域 での生活のこと、私たちはこれらのことをほとんど対話することなく、 日々を過ごしてしまっている。 そうした難しい議論は頭のいい人たちに任 せて、自分たちはせっせと働き、自分個人の生活だけを楽しめばいいのだ。 かつてはこう考える人たちもいた。しかし、そうした態度はすでに販売を 迎えている。私たちは、公共の問題にもう無関心でいられないし、自分個 人のあり方についても、いろいろな人から意見を聞いて考え直してみたい 1 6 ĭ

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大門4の問1を教えておしいです。(写真順番は画像のしたの真ん中にあるページどおりです。)

4 次の文章を読んで、あとの各問に答えよ。(*印の付いている言葉に は、本文のあとに [注] がある。) あなたは、誰かと対話をした経験があるだろうか。 会話ではなく、対話 である。(第一段) よほど特別の事情がない限り、私たちは日常的に会話をしている。 駅の キヨスクでチョコレートパーを買い、会社の守衛さんに挨拶し、職場で同 と打ち合わせをして、昼食時にショートメールで遠方の友人と近況を伝 えあい、帰宅して家族と今日のニュースについて話し合う。このどの場面 でも、私たちは会話をしている。そのいくつかは軽いやり取りであったり、 ただ楽しむためであったりする。他方、仕事の打ち合わせなどはかなり真 剣に、ときに厳しいやり合いをしなければならない。 (第二段) だが、このどれもが会話であっても対話ではない。(第三段) 対話とは、真理を求める会話である。 対話とは、何かの問いに答えよう として、あるいは、自分の考えが正しいのかどうかを知ろうとして、誰か と話し合い、真理を探求する会話のことである。ただ情報を検索すれば得 られる単純な事実ではなく、きちんと検討しなければ得られない真理を得 たいときに、人は対話をする。 それは、自分を変えようとしている人が取 り組むコミュニケーションである。(第四段) ショッピングや仕事でのやり取りは、自分の要望と相手の要望をすり合 わせようとする交渉である。 友人や恋人との会話は、よい関係を保ち、相 手を理解し、互いに話を楽しもうとする交流である。これらの会話は有意 かもしれないが、真理の追求を目的としてはいない。対話は、何かの真 理を得ようとして互いに意見や思考を検討し合うことである。(第五段) 私たちは日常生活の中で、ほとんど対話する機会がないのではないだろ うか。それは、真理の追求が日常生活で行われなくなっているからである。 だが実は、対話をしなければならない場面は、日常生活の中にも、思った よりもたくさんあるのだ。 (第六段) 仕事場でも、ただ当面の与えられた業務をこなすだけではなく、仕事全 体の方向性や意味が問われる場合、たとえば、「良い製品とは何か」「今は どういう時代で、どのような価値を消費者は求めているのか」「環境問題 に対して、我が社は頬かむりをしていていいのか」など真剣に論じるべき テーマは少なくないだろう。 家庭でも、子どもの教育をめぐって、 そもそ も子どもにとっての良い人生とはなにか、そのために何を学んでほしいの 親と子どもとはどういう関係なのか、子離れするとはどういうことか、 これらのことについて家族で話し合う必要はないだろうか。地域でも、ど のような地域を目指せばいいのか、住人はどのような価値を重んじている のか、以前からの住人と新しく来た人たちはどう交流すればよいか。本当 はこうしたことについて膝を突き合わせて対話する必要があるのではない だろうか。(第七段) 人生に関すること、家族と社会に関すること、政治に関すること、地域 での生活のこと、私たちはこれらのことをほとんど対話することなく、 日々を過ごしてしまっている。 そうした難しい議論は頭のいい人たちに任 せて、自分たちはせっせと働き、自分個人の生活だけを楽しめばいいのだ。 かつてはこう考える人たちもいた。しかし、そうした態度はすでに販売を 迎えている。私たちは、公共の問題にもう無関心でいられないし、自分個 人のあり方についても、いろいろな人から意見を聞いて考え直してみたい 1 6 ĭ

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