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古文 高校生

Yに「あはれなり」を正しく活用させたものを入れると「あはれに」になる理由を教えてください🙇🏻‍♀️

かんなづき くるすの はべ 神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、 尋ね入ることがございました時に、 うづ こけ いぼり かけ X 苔の細道を踏みわけて、心細く住みなしたる庵あり。 木の葉に埋もるる懸 遠くまで続いている 心細い様子で住んでいる 麺のしづならでは、つゆおとなふものなし。棚に菊・紅葉など折り散らし しずくよりほかは、 く音をたてるものがない。 たる、さすがに、住む人のあればなるべし。 折り散らしてい るのは、そうはいってもやはり、住む人がいるからであろう。 かうじ 5 かくてもあられけるよと、 見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の こんなふうにしても住むことができるのだなあと、趣深く みかんの 木の 木で 枝もたわわになりたるが、周りをきびしく囲ひたりしこそ、少しことさめ 枝もしなうほど実がなっている木が、 (第一一段) この木がなかったらなあ ■二 6~1 て、この木なからましかばとおぼえしか。 (注) 神無月…陰暦十月の別称。この月に諸国の神々が出雲大社に集まり、神が留守になる のでこの名が付いたともいわれている。 栗栖野…京都東方にあった地名。 京都市東山区山科の内。 やましな いずも A 庵・・・世捨て人などが住む粗末な家。 とい 懸樋・・・水を引くために地上に竹などを掛け渡した麺。 ※閼伽棚・・・仏に供える水(閼伽)を入れた容器などを置く棚。 みかん ※柑子・・・蜜柑のこと。 SEA PPADE

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古文 高校生

問5がわかりません。答えはイです

詞①格助詞・接続助詞・係助詞 にて月を見給ふぞ 月の都の人にて、父母あり ②袂を顔におしあてて、泣くよりほかの事ぞ なき。 問六 空欄に入る最も適当な語を一つ選べ。[東洋大] げに めでたかりけれ。(源氏) ウや アぞ イなむ エか オこそ + 問四傍線部の助詞「に」には、一つだけ種類の異 なるものがある。それを選べ。 とうろん 問七傍線部についての文法的な説明として正しい [成蹊大] ものを後から一つ選べ。 オ (太平記)[センター追試] ア 絵合せのありけるに、洞院の左大将の出ださ れたりける絵に、 まことの色を見てだにも世は皆夢の中のうつ つとこそ思ひ捨つることなるに、こはそも何事 あだし心ぞや。 かさ ウ 一村雨の過ぐるほどの笠宿りに立ち寄るべき 心地にもおぼしめさず。 久しく住み荒したる宿のものさびしげなる エ御車に召されて、 ばち せいがいは に、撥音気高く、青海波をぞ調べたる。 「……………ありのままに語らせたまへ」と慰めたて まつれば、殿下、御枕そばだて、「問ふにつらさ のまさるぞや、今は何をかつつむべき。…………」 (ささやき) ア上に係助詞「ぞ」があるので、それを受け て「べき」と結んだ。 イ上に係助詞「や」があるので、それを受け て「べき」と結んだ。 ウ上に係助詞「は」があるので、それを受け て「べき」と結んだ。 接続(そとどの)エ上に係助詞「か」があるので、それを受け て「べき」と結んだ。 傍線部にて」と同じ意味で用いられている [京都産業大] ものを一つ選べ。 冬のことにて、しもがれの薄ほのぼの見えわ たてをりふし物がなしうおぼえ侍りければ、 (新古今) ア帰る道にてくらもちの皇子血の流るるまで 調させ給ふ すすき オ係り結びとは関係なく、余情表現として「ベ き」と結んだ。 問八傍線部の後に省略されている言葉として最も [立教大] 適当なものを一つ答えよ。 「・・・・・・思ひがけぬ対面にこそ」と、 イ わが朝ごと夕ごとに見る竹の中におはする にて知りぬ (松陰中納言物語) ウなんでふ心地すれば、かく物思ひたるさま ア侍らん 1 侍らず ウ侍りける 8

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古文 高校生

芥川龍之介 羅生門 局所の指す言葉の意味は 「盗人を選ぶか、飢え死にするかということ」 だと伝わるんですけど、 本文でどこを指しているのか分かりません。 教えてください🙏

げにん らしょうもん ある日の暮方の事である。 一人の下人が、 羅生門の下で雨やみを待っていた。 にぬりは まるばしら きりぎりす 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。 ただ、 所々丹塗の剥げた、 大きな円柱に、 蟋蜂が一匹とまって いちめがさ もみえぼし すざくおおじ いる。 羅生門が、 朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、 雨やみをする市女笠や採烏帽子が、 もう二三人はあ りそうなものである。 それが、 この男のほかには誰もいない。 つじかぜ わざわい らくちゅう はく たきぎ しろ こりす ぬすびと 何故かと云うと、 この二三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか機饉とか云う災がつづいて起った。 そこ で洛中のさびれ方は一通りではない。 旧記によると、 仏像や仏具を打砕いて、その母がついたり、金銀の箔がつ いたりした木を、 路ばたにつみ重ねて、 薪の料に売っていたと云う事である。 洛中がその始末であるから、 羅生門 の修理などは、 元より誰も捨てて顧る者がなかった。 するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲む。 盗人 が棲む。 とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、 棄てて行くと云う習慣さえ出来た。 そこで、日の目が見えなくなると、 誰でも気味を悪るがって、 この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまっ たのである。 からす ごま その代りまた鴉がどこからか、 たくさん集って来た。 昼間見ると、 その鴉が何羽となく輪を描いて、 高い鴟尾の まわりを啼きながら、 飛びまわっている。ことに門の上の空が、 夕焼けであかくなる時には、それが胡麻をまいた ようにはっきり見えた。 鴉は、勿論、門の上にある死人の肉を、 啄みに来るのである。 もっとも今日は、 刻限 ついば こくげん ふん あお が遅いせいか、一羽も見えない。 ただ、 所々、 崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、 鴉の糞が、 点々と白くこびりついているのが見える。 下人は七段ある石段の一番上の段に、 洗いざらした紺の襖の 尻を据えて、 右の頬に出来た、 大きな面皰を気にしながら、ぼんやり、 雨のふるのを眺めていた。 にきび すいび 作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」 と書いた。 しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う 当てはない。 ふだんなら、 勿論、 主人の家へ帰る可き筈である。 所がその主人からは、四五日前に暇を出された。 前にも書いたように、 当時京都の町は一通りならず衰微していた。 今この下人が、永年、使われていた主人から、 暇を出されたのも、 実はこの衰微の小さな余波にほかならない。 だから「下人が雨やみを待っていた」 と云うより も「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」 と云う方が、 適当である。 その上、 今日の 空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。 申の刻下りからふり出した雨は、いまだ に上るけしきがない。 そこで、下人は、何をおいても差当り明日の暮しをどうにかしようとして――云わばどうに もならない事を、どうにかしようとして、 とりとめもない考えをたどりながら、 さっきから朱雀大路にふる雨の音 を、聞くともなく聞いていたのである。 さる こくさが 85 g 雨は、 羅生門をつつんで、 遠くから、 ざあっと云う音をあつめて来る。 夕闇は次第に空を低くして、 見上げる と、門の屋根が、 斜につき出した夢の先に、重たくうす暗い雲を支えている。 いらか いとま ついじ うえじに ていかい ほうちゃく どうにもならない事を、どうにかするためには、 手段を選んでいる遑はない。 選んでいれば、 築土の下か、道ば たの土の上で、 死をするばかりである。 そうして、この門の上へ持って来て、 犬のように棄てられてしまうばか りである。 選ばないとすれば――下人の考えは、 何度も同じ道を低徊した揚句に、 やっとこの局所へ逢着した。 しかしこの 「すれば」 は、いつまでたっても、 結局 「すれば」 であった。 下人は、手段を選ばないという事を肯定 しながらも、この 「すれば」 のかたをつけるために、 当然、 その後に来る可き 「盗人になるよりほかに仕方がな い」と云う事を、 積極的に肯定するだけの、 勇気が出ずにいたのである。 ぬすびと くさめ たいぎ ひおけ にぬり 「きりぎりす 下人は、大きな瞳をして、 それから、大儀そうに立上った。 夕冷えのする京都は、もう火桶が欲しいほどの寒さ である。 風は門の柱と柱との間を、 夕闇と共に遠慮なく、 吹きぬける。 丹塗の柱にとまっていた蟋蟀も、 もうど こかへ行ってしまった。 やまぶき かざみ あお うれえ おそれ 下人は、頸をちぢめながら、 山吹の汗疹に重ねた、 紺の襖の肩を高くして門のまわりを見まわした。 雨風の患の ない、 人目にかかる惧のない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、 夜を明かそうと思ったから である。すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の広い、 これも丹を塗った梯子が眼についた。 上なら、 人がいたにし ひじりづかたち さやばし はしご ても、どうせ死人ばかりである。 下人はそこで、腰にさげた聖柄の太刀が鞘走らないように気をつけながら、 わらぞうり 藁草履をはいた足を、 その梯子の一番下の段へふみかけた。 ようす うみ にさび それから、何分かの後である。 羅生門の楼の上へ出る、 幅の広い梯子の中段に、 一人の男が、 猫のように身をち ぢめて、 息を殺しながら、 上の容子を窺っていた。 楼の上からさす火の光が、かすかに、 その男の右の頬をぬらし ている。 短い髪の中に、赤く膿を持った面皰のある頬である。 下人は、 始めから、この上にいる者は、死人ばかり だと高を括っていた。 それが、 梯子を二三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、 しかもその火をそこここと 動かしているらしい。 これは、その濁った、 黄いろい光が、隅々に蜘蛛の巣をかけた天井裏に、 揺れながら映った ので、すぐにそれと知れたのである。 この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、 どうせただの 者ではない。 くも やもり 下人は、守宮のように足音をぬすんで、 やっと急な梯子を、一番上の段まで這うようにして上りつめた。 そうし たいら て体を出来るだけ、 平にしながら、 頸を出来るだけ、 前へ出して、恐る恐る、 楼の内を覗いて見た。 しがい 見ると、楼の内には、 噂に聞いた通り、幾つかの死骸が、 無造作に棄ててあるが、 火の光の及ぶ範囲が、 思った より狭いので、数は幾つともわからない。 ただ、 おぼろげながら、 知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た 死骸とがあるという事である。 勿論、 中には女も男もまじっているらしい。 そうして、その死骸は皆、それが、か つて、生きていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、 土を捏ねて造った人形のように、口を開いたり手を延ばし たりして、ごろごろ床の上にころがっていた。 しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、 ぼんやりした火の 光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖の如く黙っていた。 あ おし げにん ふらん おお 下人は、それらの死骸の腐爛した臭気に思わず、 鼻を掩った。 しかし、 その手は、 次の瞬間には、もう鼻を掩う 事を忘れていた。 ある強い感情が、 ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからだ。 うずくま ひわだいろ や 下人の眼は、その時、 はじめてその死骸の中に蹲っている人間を見た。 檜皮色の着物を着た、 背の低い、痩せ

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国語 中学生

答えが2と6なのですが、6が答えの理由を教えてください。よく分かりませんでした🙇‍♀️

次の文章を読んで、あとの〜に答えなさい。 ある倉の二階に、オルフォイスとオイリディケというねずみの夫婦が住んでいました。 オルフォイスはねずみの世界では絶世の詩人として広く知 れわたっていました。よく磨かれた宝石のようにするどく澄みわたったその叫びは、暗闇を引裂いて光をまねき、ねずみたちの心をよろこびに美し く輝かせたばかりでなく、ねこの爪を起すあの恐ろしい筋肉を麻痺させ、ねこいらずの毒を中和させ、 ねずみとり機のバネを延ばしてしまい、小麦 の袋は、自ら高い香りを発散させてそのありかを知らせ、油の壺は重しをはねのけて蓋を開け、卵は自らコロコロところがってねずみたちの巣を訪 れ、板や土の壁ばかりでなくコンクリートや石の壁までがねずみたちの交通に便利なようにと、顔や胸のまん中に穴を開けて待っていたということ です。 この評判は、考えてみると、 オルフォイスが単なる詩人ではなく、現実のあらゆる隅々まで知りぬいた科学者であり哲学者であったことを意味し ているのだろうと思われます。 また例えばこんな噂も伝わっています。大飢饉の年でした。ササの実のなる南の国を目指して大移動をすることになったとき、ねずみたちが一番 恐れたのはセレーネという山ねこの住む沼のそばを通らねばならないことでした。 セレーネは不思議な歌をうたってねずみを沼に誘いこむと伝えら れていました。いよいよその沼に近づいた時、突然ねずみたちの間に激しい動揺がおこりました。 「セレーネが歌っている!」 苦しそうな囁きが波のようにひろがり、 身もだえしながらその場にうずくまり、動けなくなるもの、さては理性を失ってすすり泣きながら沼のほ うへよろめいて行こうとするものさえ現われました。 オルフォイスは驚いて耳をすませました。しかし彼の耳にはどんな歌も聞えないのでした。 実 際セレーネは歌ってなんかいなかったのです。 オルフォイスはすぐにそれが沈黙の歌であることを理解しました。 そして沈黙の歌ほど恐ろしいもの はないことを知りました。 オルフォイスはねずみたちの先頭に立って歌いはじめました。 ながい闘いのあと、ついに彼の歌はセレーネにうちかち、 ねずみたちは無事に目的地に辿りつくことができました。 自然オルフォイスはねずみたちの教師であり指導者でした。ねずみたちは彼に、王様になってくれと嘆願しましたが、 彼は拒み、共和政治をしく ことをすすめました。 そこで彼はねずみ共和国の初代大統領にえらばれました。 はじめにお話した倉が大統領官邸に採用され、それ以来そこが彼の 住居になったわけです。 住居だったばかりでなく、その倉はねずみの社会の議事堂であり、裁判所であり学校であり公民館でした。 オルフォイスは そこで政治の事務をとり、壁争いやチーズの分け前についての裁判をし、学生を集めて詩作法からねこいらずの解毒法にいたるまで教え、あるいは 大音楽会を開いたりするのです。世 そんなわけでしたから、自然ねずみたちの出人も多く始終ねこどもがうろうろと倉の周囲をうろついて、パリパリ壁を引っかいたり舌なめずりし たりしているのでした。 しかしオルフォイスの知恵とねずみたちの共同した力とは、倉を難攻不落の要塞にしていました。 ようさい もちぬし ある日のことです。 不意に一人の人間がやってきて、倉の戸を開けたのです。ねずみたちはこんなことが起ろうとは、夢にも考えなかったので、 ひどく狼狽してしまいました。 事実は単に春がきて、その倉の持主である農夫が耕作機の手人をしにきたというにすぎなかったのですが、人間の一 日がねずみにはひと月以上にもあたるのです。 何十年来の、いやほとんどありうべからざる事件に思われたのも無理はなかったのです。 ねずみたちは狼狽しました。 そして案じていたとおり、男は戸を半開きにしたまま帰って行ったのです。倉はもはや難攻不落ではなくなりました。 老いぼれねこのプルートーがやってきたのはその夜のことでした。 老いぼれてはいましたが、残忍で名の聞えたプルートーです。 その名はねずみ たちにとっては「死の王」という意味でした。 ねずみたちは一心に相談し意見をたたかわせました。 「誰が鈴をつけに行くか?」というあの有名なイソップの寓話ができたのもこの時でした。 オルフォイスはブルートーがいかに冷酷であり残忍であるかをこんこんと説き、どんな妥協もありえないことを強く主張しましたが、すっかりおび えたねずみたちは彼の気持を少しも理解しようとはしませんでした。 もしねずみたち全部がその気になれば、いかにプルートーが恐ろしい爪をもっ ているにしても、必ず打ち破ることができたはずです。 しかしねずみたちはただおびえるだけで、まるで闘う気力を見せないのでした。 そして馬鹿 のようにいつまでも「誰が鈴をつけに行くか?」を繰返すのでした。 「困難が君達を強くするのを待つよりほかないのだろうか。」 オルフォイスは悲しそうに言って、一同の顔を見まわしました。 しかし誰も返事をするものがないので、あきらめて言葉をつづけました。 「むろ ん交渉の余地がないわけじゃない。 それが君たち全部の意見だというのなら、やってみよう。」 オルフォイスは壁ごしに、 よく透る美しい声で呼びかけました。 「プルートー君、相談だが・・・・・・」 「なんだ?」 プルートーの太いダミ声が意外に近くして、ねずみたちは気が遠くなるほどふるえ上りました。 オルフォイスは言いました。 「もし君がこの倉の出人にさいして私たちの生命を保証すると約束してくれるなら、私たちは一日一ポンドの肉と半ポンドの油と、四匹のニシンを 君にあげることを約束しよう。」 「なるほど」とプルートーが言いました。 「君は利口者だ。ニシンを六匹にしたらどうかね。」 「もし君がその約束を守るという証拠に、君の首に鈴をつけさしてくれればそうしよう。」とオルフォイスは答えました。 さて、オルフォイスが鈴をもって下りて行こうとすると、我に返ったねずみたちはいっせいに騒ぎはじめました。 万一のことがあってはと言うの です。そのくせ、では誰が行くかということになると、やはり尻込みして申出るものは一人もないのでした。 そのとき、「私が参りましょう。」 そう言ったのはオイリディケでした。 オイリディケは夫の手から鈴を受取り、恐ろしく静まりかえった中を、静かに下りて行きました。 チリチリ うけと Seit ラー

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古文 高校生

問8についてです。答えはAでした。Bの「家族が恋しくてふさぎ込んでいた」がだめな理由を教えてください。かう=直前の「こころぼそくわびしかりつる」だと思ったのですが... (写真は本文と注釈と問題です)

つづ 次の文章は「更級日記』の一節であり、作者が宮仕えに赴いた際の体験を綴ったものである。これを読んで、後の問に答えなさ まず一夜参る。菊の濃くうすき八つばかりに、濃き掻練を上に着たり。さこそ物語にのみ心を入れて、それを見るよりほか に、行き通る類、親族などだにことになく、古代の親どものかげばかりにて、月をも花をも見るよりほかのことはなきならひ に立ち出づるほどの心地、あれかにもあらず、うつつともおぼえで、暁にはまかでぬ。・・・(中略)・・・ あかつき 師走になりてまた参る。してこのたびは日ごろさぶらふ。上には時々、夜々も上りて、知らぬ人の中にうち臥して、つゆま 父の老いおとろへ どろまれず、恥づかしうもののつつましきままに、忍びてうち泣かれつつ、暁には夜深く下りて、日ぐら われことしも頼もしからむかげのやうに、思ひ頼みむかひゐたるに、恋しくおぼつかなくのみおぼゆ。母亡くなりにし姪 どもも、生まれしよりひとつにて、夜は左右に臥し起きするも、あはれに思ひ出でられなどして、心もそらにながめ暮らさる。 立ち聞き、かいまむ人のけはひして、いといみじくものつつまし すびつ 十日ばかりありて、まかでたれば、父母、炭櫃に火などおこして待ちゐたりけり。車より下りたるをうち見て、「おはする時 こそ人目も見え、さぶらひなどもありけれ、この日ごろは人声もせず、前に人影も見えず、いと心ほそくわびしかりつる。 てのみも、まろが身をば、いかがせむとかする」とうち泣くを見るもいと悲しつとめても、「今日はかくておはすれば、 内外人 多く、こよなくにぎははしくもなりたるかな」とうちいひて向ひゐたるも、いとあはれに、なにのにほひのあるにかと涙ぐまし うちと う聞こゆ。 (「更級日記」より) 〔IV〕

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古文 高校生

問6の解説に「宮はわざわざ作者の様子を隠れて伺う必要がないのでDの女房が答え」とありました。 垣間見って男→女にやるものじゃないんですか? (写真は本文と注釈と問題です) それとも「かいまむ」と「垣間見」は意味が少し違うんですか?そんなことないですよね、、

つづ C 次の文章は「更級日記』の一節であり、作者が宮仕えに赴いた際の体験を綴ったものである。これを読んで、後の問に答えなさ い。 かいた まづ一夜参る。菊の濃くうすき八つばかりに、濃き掻練を上に着たり。さこそ物語にのみ心を入れて、それを見るよりほか に、行き通ふ類、親族などだにことになく、古代の親どものかげばかりにて、月をも花をも見るよりほかのことはなきならひ に、立ち出づるほどの心地、あれかにもあらず、うつつともおぼえで、暁にはまかでぬ。・・・(中略)・・・・ あかつき 師走になりてまた参る。乱してこのたびは日ごろさぶらふ。上には時々、夜々も上りて、知らぬ人の中にうち臥して、つゆま どろまれず、恥づかしうもののつつましきままに、忍びてうち泣かれつつ、暁には夜深く下りて、日ぐらし、父の老いおとろへ The 155 て、われをことしも頼もしからむかげのやうに、思ひ頼みむかひゐたるに、恋しくおぼつかなくのみおぼゆ。母亡くなりにし姫 どもも、生まれよりひとつにて、夜は左右に臥し起きするも、あはれに思ひ出でられなどして、心もそらにながめ暮らさる。 立ち聞き、かいまむ人のけはひして、いといみじくものつつまし すびつ 十日ばかりありて、まかでたれば、父母、炭櫃に火などおこして待ちゐたりけり。車より下りたるをうち見て、「おはする時 こそ人目も見え、さぶらひなどもありけれ、この日ごろは人声もせず、前に人影も見えず、いと心ほそくわびしかりつる。かう てのみも、まろが身をば、いかがせむとかする」とうち泣くを見るもいと悲しつとめても、「今日はかくておはすれば、 内外人 多く、こよなくにぎははしくもなりたるかな」とうちいひて向ひたるも、いとあはれに、なにのにほひのあるにかと涙ぐまし う聞こゆ。 (「更級日記」より) 2

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現代文 高校生

できたら、答えまたは考えを聞かせて欲しいです、またこうした方がいいなどということがありましたら教えて欲しいです

作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた。」と書いた。しかし、下人は 格別どうしようという当てはない。 ふだんなら、もちろん、主人の家へ帰るべきはずであ る。ところがその主人からは、四、五目前に暇を出された。前にも書いたように、当時京 都の町はひととおりならず衰微していた。今この下人が、永年、使われていた主人から、 暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを 待っていた。」と言うよりも「雨に降りこめられた下人が、行き所がなくて、途方に暮れて いた。」と言うほうが、適当である。そのうえ、今日の空模様も少なからず、この平安朝の カチンチマンタリス 下人の Sentimentalisme に影響した。 中の刻下がりから降り出した雨は、いまだに上がる 気色がない。そこで、下人は、何をおいても差し当たり明日の暮らしをどうにかしようと していわばどうにもならないことを、どうにかしようとして、とりとめもない考えを たどりながら、さっきから朱雀大路に降る雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。 雨は羅生門を包んで、遠くから、ざあっという音を集めてくる。 夕闇はしだいに空を 低くして、見上げると、門の屋根が、斜めに突き出したの先に、重たく薄暗い雲を支え どうにもならないことを、どうにかするためには、手段を選んでいるいとまはない。 選 んでいれば、土の下か、道の土の上で、飢え死にをするばかりである。そうして、こ の門の上へ持ってきて、犬のように捨てられてしまうばかりである。選ばないとすれば 下人の考えは、何度も同じ道を回したあげくに、やっとこの局所へ逢着した。しかしこ の「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばない ということを肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、そのあとに 来るべき「盗人になるよりほかにしかたがない。」ということを、積極的に肯定するだけの、 勇気が出ずにいたのである。 下人は、大きなくめをして、それから、大儀そうに立ち上がった。夕冷えのする京都 は、もう火桶が欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱との間を、夕闇とともに遠慮な く、吹き抜ける。丹塗りの柱にとまっていたきりぎりすも、もうどこかへ行ってしまった。 下人は、首を縮めながら、山の疹に重ねた、紺の襖の肩を高くして、門の周りを見 回した。雨風の憂えのない、人目にかかる恐れのない、一晩楽に寝られそうな所があれば、 そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸い門の上の楼へ上る、 幅の広い、これも丹を塗ったはしごが目についた。上なら、人がいたにしても、どうせ死 人ばかりである。下人はそこで、腰にさげたの太刀が華だらないように気をつけなが ら、わら草履を履いた足を、そのはしごのいちばん下の段へ踏みかけた。 Free Pas からか ほうなん S S

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理科 中学生

(3)を教えて下さい😖 分からない点としては ・3.00-2.00ってなにから何を引いているの? ・15.0×75.0/15.0って何?なんでそれをかけるの?その数字はどこから出てきたの?それで何を求めてるの? です。つまりほとんど分かりません。1から解説してもらえると助... 続きを読む

太さんは化学変化について調べる実験を行った。あとの問いに答えなさい。 おしまいに石沢石を加えたとさの石灰石の質量と発生する気体の質量との関係を 150 1 図1のように、うすい塩酸15.0cmを入れたピーカーを電子てんびんにのせ、 ピーカー全体の質量を測定したところ、74,00gであった。 図2のように、このビーカーに, 石灰石 0.50gを加えたところ, 発生した。 気体の発生が終わってから、図3のように反応後のピーカー全体の質量を 測定したところ, 74.28g であった。 このビーカーに, さらに石灰石 0.50gを加え, 反応が終わったこと,また は, 反応がないことを確認してから, ビーカー全体の質量を測定する操作を 行った。 この操作を, 加えた石灰石の質量の合計が3,00gになるまでくり 返し行った。 表は, この実験の結果をまとめたものである。 表 加えた石灰石の 質量の合計 (g) 反応後のビーカー 全体の質量(g) 0.50 1.00 1.50 2.00 2.50 3.00 74.28 74.56 74.84 75.12 75.62 76.12 線部 ① について, 発生した気体の質量は何gか、求めなさい。 199 図2 図3 74.00 g180 電子てんびん 石灰石 *** WHO 74.28 g 薬包紙 調べるために <実験2>を <実験2> 図4の装置を用いて、 溶液を満たして電流を 流を流すのをやめたあ た気体の体積や (5) <実験2>で、 (5) (6) <実験2> ア~エから 7 気体の体積

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