学年

質問の種類

政治・経済 高校生

基準年のデフレーターを100にすると書いてあるのですが、赤で囲った部分も100にして良いのでしょうか?

54-1 名目値と実質値 0名目値と実質値の違い (1) 名目値は,物価の変動部分を調整しないで,当該年の物価水準で表した値。 (2) 実質値は,物価の変動部分を調整したもので、基準年の物価水準 (デフレーダ が100) で計算し直した値。 デフレーターとは,基準年を100として比較年の物 価水準を示した指数のことである。 実質値を求める際に用いられる。 ② 表を使って求める方法 次のような表を作って実質GDPを求めてみよう。 問3の数値を用いて解いてみる。 実質GDPをxとする。 表中に, 問題で与えられた数値を入れて表の下にある式を作 る。 基準年 比較年 名目GDP 125兆円 110兆円 110兆円 : 95=x: 100 デフレーター 100 95 95x=11,000兆円 x= 11,000兆円 95 = 実質GDP 125兆円 ↓ Goddel 105. 95 IC 100 カー110兆円: 表と式の意味・問題に与えられている数値を表中に入れる。実質値は基準年の物価 水準で計算し直した値なので、表の一番右の基準年のデフレーターの欄はいつでも 100とすること。比較年の表のそれぞれの数値の関係は, デフレーターが95のときの 110兆円は、デフレーターが100のときにはæとなる,という比例関係を示しているの で、表の下に示した比例式でその関係を表すことができる。これを解くと次のように なる。 ≒115.8兆円 IC ↓ 基準年のデフレーター 100 100 この表の便利な点は,デフレーターを求める問題の場合でも実質値を求める問題の 場合でも,このような簡単な比例式で求めることができることにある。 SM

回答募集中 回答数: 0
現代文 高校生

この現代文の問題を教えてください 一つだけでも教えてくださると嬉しいです!

DELUC 四 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。(B) 見えない人が「見て」いる空間と、見える人が目でとらえている空間。それがどのように違うのかは、一緒に時間を過ごす中で、ふとした 瞬間に明らかになるものです。 たとえば、 *注木下路徳さんと一緒に歩いているとき。その日、私と木下さんは私の勤務先である東京工業大学大岡山キャンパスの私の研 究室でインタビューを行うことになっていました。 私と木下さんはまず大岡山駅の改札で待ち合わせて、交差点をわたってすぐの大学正門を抜け、私の研究室がある西9号館に向かって歩き はじめました。その途中、一五メートルほどの緩やかな坂道を下っていたときです。木下さんが言いました。 「大岡山はやっぱり山で、いま その斜面をおりているんですね」。 私はそれを聞いて、かなりびっくりしてしまいました。 ①なぜなら木下さんが、そこを「山の斜面」だと言ったからです。毎日のようにそ こを行き来していましたが、私にとってはそれはただの「坂道」でしかありませんでした。 つまり私にとってそれは、大岡山駅という「出発点」と、西9号館という「目的地」をつなぐ道順の一部でしかなく、曲がってしまえばも り忘れてしまうような、空間的にも意味的にも他の空間や道から分節化された「部分」でしかなかった。それに対して木下さんが口にしたの は、もっと俯瞰(ふかん)的で空間全体をとらえるイメージでした。 確かに言われてみれば、木下さんの言う通り、大岡山の南半分は駅の改札を「頂上」とするお椀(わん)をふせたような地形をしており、西 9号館はその「ふもと」に位置しています。その頂上からふもとに向かう斜面を、私たちは下っていました。 けれども、見える人にとって、そのような俯瞰的で三次元的なイメージを持つことはきわめて難しいことです。坂道の両側には、サークル 勧誘の立て看板が立ち並んでいます。 学校だから、知った顔とすれ違うかもしれません。前方には混雑した学食の入り口が見えます。目に飛 び込んでくるさまざまな情報が、見える人の意識を奪っていくのです。あるいはそれらをすべてシャットアウトしてスマホの画面に視線を落 とすか。そこを通る通行人には、自分がどんな地形のどのあたりを歩いているかなんて、想像する余裕はありません。 そう、私たちはまさに「通行人」なのだとそのとき思いました。 「通るべき場所」として定められ、方向性を持つ「道」に、いわば②ベル り開放的なものに思えます。 トコンベアのように運ばれている存在。それに比べて、まるでスキーヤーのように広い平面の上に自分で線を引く木下さんのイメージは、よ 物理的には同じ場所に立っていたのだとしても、その場所に与える意味次第では全く異なる経験をしていることになる。それが、木下さん の一言が私に与えた驚きでした。人は、物理的な空間を歩きながら、実は脳内に作り上げたイメージの中を歩いている。私と木下さんは、同 じ坂を並んで下りながら、実は全く違う世界を歩いていたわけです。 ③彼らは「道」から自由だと言えるのかもしれません。 道は、人が進むべき方向を示します。もちろん視覚障害者だって、個人差はあると しても、音の反響や白杖(はくじょう) の感触を利用して道の幅や向きを把握しています。 しかし、目が道のずっと先まで一瞬にして見通すこ とができるのに対し、音や感触で把握できる範囲は限定されている。道から自由であるとは、予測が立ちにくいという意味では特殊な慎重さ

未解決 回答数: 0
1/22