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世界史 高校生

これを書いた人物は誰ですか?

***** 実践問題 次の資料について、下の問いに答えよ。 次の資料は、ローマ時代のある人物が1世紀前半, 死去の直前に自分の功績を したものである。 ( 21 共本改) 私は19歳の時、国家を自由へと解放した。 私の父(養父)を殺害した者たちを 追放し、法律に則った裁きによって、復讐した。 マルケルスとアルンティウスがコンスルの年、国民と元老院からア職を提 供されたが,私は受けなかった。 元老院とローマの民衆は、私を、法律と道徳についての最高権限を持つ単 独の監督者に選ぶことで一致した。しかし、先祖の慣習に反して提供された公職 については、私は何も受けなかった。 我々の先祖は, ローマ国民の領土全体にわたり。陸と海において勝利により平 和がもたらされた時はいつも、ヤヌス神殿の扉を閉じることを命じていた。この 扉は,私の生まれる前では, ローマ創建以来2回だけ閉じられたと伝えられてい るが,私が元首である時に、元老院は3回閉じることを決議した。 11度目のコンスルであった時、私は自身の負担で食糧を買い, 12回配給した。 私の名前で3回、 私の息子たちと孫たちの名前で5回, 剣闘士試合を催した。 私の命令で,二つの軍がほぼ同時期に エチオピアとアラビア半島南部へ遠征 した。マ時代の地図問題 Jus ローマ国民の領土にエジプトを付け加えた。 私が元首となる前には, ローマ国 民の軍隊が侵入したことのなかったパンノニアの人々を、ローマ国民の支配下に 置き, イリュリクムの境界を イ 川の岸辺まで延ばした。 この川を越えてこち ら側に侵入してきたダキア人の軍は敗れ, 壊滅した。 内乱を終わらせた後にすべての人の同意で全権を握っていた私は,国家を,私 の権限から元老院とローマ国民の指導の下に移した。 以後、 私は権威では全ての 人に優っても、権限では、公職の同僚である他のどの人を越えることはなかった

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世界史 高校生

よろしくお願いします!!

B 75年,ペトロニア=ユスタは自らの自由のために裁判で争っていた。ユスタは (カ解放 奴隷を母に持つ女性である。解放された,すなわち自由人の母から生まれたのだから,自 分は「生まれながらの自由人」 である,というのがユスタの主張だ。しかし, 雇い主の妻 はユスタを「解放された奴隷」だと主張し, 全面的に争う姿勢をみせている。 ローマの拡大は奴隷制度の発達をもたらしたが,(キ帝政期になると奴隷の扱いも変化 し,ユスタの母のように解放される奴隷も多くなった。しかし, 市民社会では解放奴隷と 生まれながらの自由人とでは扱いが異なるため,ユスタも必死であっただろう。 ユスタの裁判記録はヘルクラネウムという (ク都市でみつかった。それは, 裁判の登場 人物たちにさらなる困難が待ち受けていることを示唆する。 79年のウェスウィウス火山 の噴火である。同年にヶ即位したティトゥス帝は救援を送ったが,この都市は埋没し, (ケ) ユスタの無事はわからない。判決の記録もなく, 彼女が裁判に勝利したのカ うかも不明 である。しかしユスタの裁判記録は, 2000年近く前の古代ローマにおいて, 一人の女性 が裁判を起こせる (コ文化的,社会的背景があったことを示している。 問9 下線部(ケ)に関連して,下の表はある時期の皇帝と即位年をまとめたものである。こ の時期の政治的状況と, それがどのような形で終息したのかについて,表中のZの名を 明らかにしながら,次の語句を必ず用いて, 55字以内で説明せよ。 属州 皇帝 即位年 マクシミヌス 235 ゴルディアヌス1世 238 ゴルディアヌス2世 238 プピエヌス 238 パルビヌス 238 ゴルディアヌス3世 238 (中略:8人の皇帝) ウァレリアヌス 253 (中略:11人の皇帝) Z 284

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