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なぜ賎民出身なのに、山水河原者が活躍できたんですか?室町時代になっても、賎民はまだいたんでしょうか?また、有名な庭はデザインしたのは夢窓疎石で、石を敷いたのが彼らということですか。

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賎民(河原者)が活躍できた理由
>古い時代の人々は、死牛馬の処理などを行う彼らには「穢れ」を取り除き、神や仏の世とかかわりあえる「清め」の力があると信じていました。
この信仰的側面から、死と隣り合わせの「無」の世界(枯山水)を表現する役割に最適とみなされた側面があります。

庭園造り、特に石組には巨大な石を安定して運搬・配置する特殊な技術が必要でした。
彼らは日頃から肉体労働に従事していたため、その高度な実務能力が重宝されました。

室町時代は「下剋上」の時代であり、伝統的な権威よりも実力が重視されました。
特に京都の禅宗寺院や権力者たちは、優れた庭園技術を持つ河原者(善阿弥など)を、出自に関わらず積極的に起用しました

室町時代になっても、賎民はまだいたんでしょうか?
>室町時代にも、賎民は確実に存在していました。
平安期以降に形成された被差別集団(河原者)は、室町時代に入っても皮革加工、土木、芸能、庭師など多岐にわたる生業に従事し、しばしば寺社や権力者に隷属しつつも、特権を獲得していきました。 なお、この時代の賎民は、後の江戸時代の「穢多・非人」制度とは異なり、より流動的で多様な職業に携わっていました。

有名な庭はデザインしたのは夢窓疎石で、石を敷いたのが彼らということですか。
>「夢窓疎石が全体的なデザイン(構想)を手がけ、河原者が具体的な石の配置(施工)を行った」という側面は濃厚です。
当時の記録では、夢窓疎石が設計し、具体的な現場の石組は、熟練の河原者が石の質を見極めて配置したと推定されています🙇

さきち

とても、丁寧にありがとうございます!!賎民なのに、差別とかされずに庭師の仕事を行えたのでしょうか?

🍇こつぶ🐡

結論から言うと、厳しい差別の対象でありながらも、その「圧倒的な技術」と「将軍の強力な保護」によって、社会的な境界を超えて活躍することができました。

差別がなかったわけではありません。 むしろ差別の中で、その技術と精神を磨き上げ、時の権力者を虜にするほどの美を創造したことで、彼らは歴史に名を刻む「芸術家」としての地位を勝ち取ったのです。 

さきち

ありがとうございます😊

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