古文の「けり」は「動作がすでに終わったこと(完了・結果)」や「過去の事実」に焦点を当てて語られることが多いから。
なぜ「遠くを見ていた」と訳してはダメなのでしょうか?
>「見ていた」と訳すと「過去の時点での動作の進行・継続」を表すことになり(英語の過去進行形みたいな感じ?)、古文が本来持っているニュアンスからズレてしまうため、参考書では「見た/見てしまった」という訳し方が推奨されていると思われます🙇
中学古文で過去、完了の表現についての質問です。
遠くを見てけり。/遠くを見てける時。/遠くを見てけれども。
↑の文は参考書に「遠くを見た/見てしまった」と訳すと書いてあるのですが、なぜ「遠くを見ていた」と訳してはダメなのでしょうか?
教えていただきたいです🙇
古文の「けり」は「動作がすでに終わったこと(完了・結果)」や「過去の事実」に焦点を当てて語られることが多いから。
なぜ「遠くを見ていた」と訳してはダメなのでしょうか?
>「見ていた」と訳すと「過去の時点での動作の進行・継続」を表すことになり(英語の過去進行形みたいな感じ?)、古文が本来持っているニュアンスからズレてしまうため、参考書では「見た/見てしまった」という訳し方が推奨されていると思われます🙇
Users viewing this question
are also looking at these questions 😉