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Political economics Senior High

計算方法が分からないので教えて欲しいです。 答えは②になります

3. 生徒は授業の中で取り上げられていた国民所得について、各経済指標がどのように計算されているかを確認 するために、教科書で使われている用語を使って、架空のX国における国民経済計算の内訳と説明文をつくっ てみた。生徒が作成した説明文にあるア イに入る数字の組合せとして最も適当なものを、後の①~ ⑥のうちから一つ選べ。 <X国の国民経済計算の内訳> 間接税 15兆円、固定資本減耗 50兆円、補助金 2兆円 国民所得 120兆円 海外から受け取った所得 15兆円、海外へ支払った所得 8兆円 <説明文> 一国の経済活動の規模を知る仕組みとして国連がつくった国民経済計算がある。 いわゆる国民所得には、 国民所得(NI)、国民総所得 (GNI)、 国内総生産(GDP) などの指標がある。 国民総所得は、三面等価の原 で国民総生産(GNP) と同額であり、 国民総生産に代わって現在使われている指標である。 これからX国 の経済規模について国民総所得、国民総生産の順に計算する。 一般的には国内総生産を求めてから国民総所 得を計算し、その後何回かの計算をして国民所得を求める例がよくみられるが、今回は内訳の項目を使って 違う方法で求めていく。 まず、国民所得をもとに市場価格で表示される国民純所得(NNI)を算出し、国民純所得に機械や設備な どの資産価値が減少した分を加えると国民総所得になる。したがって、 国民総所得はア兆円となる。国 民経済計算では、国内と国民という二つの概念を用いる。国内はX国の領土内で生み出された付加価値の合 計であり、国民は国の内外を問わずX国の国民によって生み出された付加価値の合計である。ゆえに国内総 生産はイ兆円となる。 ちなみに日本は国内総生産よりも国民総所得の額が多い。 ①ア 183 イ 168 (3) ア 183 イ 190 6 ア 187 イ 180 ア 183 イ 176 (4) ア 187 イ 172 ⑥ア 187 イ 194

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Political economics Senior High

こんにちは。公民の課題です。解ける方是非解いてください。

戦後の日本経済の歩みについて,(1)戦後復興期,(2)高度経済成長期,(3)安定成長期および(4)バフ ル経済崩壊から現在までの4つの時期に分けて簡単にたどってみよう。 第二次世界大戦の敗戦により,多くの生産資源を失った日本経済は大きなダメージを受け, 1946 年 の実質(a)GDP は戦争末期の6割程度にまで落ち込むことになった。(1)戦後復興期には,こうした困難 な状況のなか, 日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)の主導により, ための政策がすすめられた。政府はまた, 限られた資源を石炭·鉄鋼などの基幹産業に重点的に投入す 日本経済の民主化と近代化の る傾斜生産方式をとり, 日本銀行による債券と国債の引き受けにより資金を調達したが,通貨量の増加 は激しいインフレーションをまねいた。経済の安定化をはかるため, 1940 年代末には, 連合国軍総司 令部(GHQ)からの経済安定9原則に基づき(c)さまざまな施策がとられたものの, 一転してデフレーショ ンにみまわれ, 中小企業の倒産や失業が増えるなど深刻な不況に陥った。しかし, 1950 年の朝鮮戦争 勃発は米軍による多額の物資調達という特需を発生させ, 日本経済は戦後不況から脱却し,鉱工業生産 高や GDP が順調に増大したことから, 1956年度の経済白書には 「もはや戦後ではない」 という文言が 盛り込まれるに至った。 1955年頃から 1973年頃までは, (2)高度経済成長期といわれる。 この期間中には, 景気が後退する 局面こそあれ,(d)さまざまな背景と要因とが複合的に寄与し, 数度の長期間にわたる (e)好景気を経験し, 着実な(の経済成長により 1960年代末に日本はアメリカに次ぐ資本主義国第二の「経済大国」となった。 他方で,高度経済成長は, 公害問題や環境破壊, 都市化による過密·過疎問題, さらに社会資本整備の 立ち遅れなどのひずみをもたらしたのも事実である。 1970年代に入ると, (g)変動為替相場制への移行や (h)第一次石油危機 (オイル·ショック)などを契機と して経済成長は減速し, 世界的な景気低迷のなか,わが国は 1974 年には戦後初のマイナス成長を経験 する。こうして高度経済成長期は終馬をむかえ, わが国は ()経済の質的転換を迫られることとなった。 賞その後の日本経済は, 国際競争力をつけた製品の欧米諸国への輸出を拡大させたこともあり, 再び成長 軌道に乗った。とはいえ, 経常収支の大幅な黒字の計上は新たな懸案事項をわが国にもたらし, 特に, 貿易赤字と財政赤字という「双子の赤字」 に苦しむアメリカとの間の日米貿易摩擦は深刻化した。わが 国単独での,あるいは世界各国と協調しての()当該問題への官民を挙げた対応は為替相場の安定に一定 の役割を果たしたものの, 低金利という副産物を日本経済に残した。 低金利は (k)バブル経済(景気)の一 要因となったが,実態を反映しない虚構の産物であるバブルはほどなくして崩壊する。第一次石油危機 (オイル·ショック)後のマイナス成長から回復した 1975年頃からバブル経済が崩壊する 1991 年頃ま で,実質経済成長率が安定的に推移した時期を(3)安定成長期という。 (4)バブル経済の崩壊から現在までの期間の前半となる 1990年代, 日本経済は長期にわたる深刻な不 況にみまわれ, 「の失われた 10 年」とよばれる停滞期を過ごした。 その後, 2000年代以降現在までの 期間においても, 日本経済は(m)さまざまな経済構造の改革や変容を経ながら, これまで同様にその時々 の喫緊の課題に対処している。

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