✨ ベストアンサー ✨
・「する」社会
アメリカ映画などで見られる社会
仕事という側面についてだけの上下関係
・日本の社会(「ある」社会)
武士は行住坐臥に武士である、といった価値観の社会
仕事の上下(職能)関係が仕事以外にも及ぶ上下関係
・日本の「する」社会への移行
本文(写真部)にはありませんが、日本が明治維新により西洋化を進めたことは周知の事実で、おそらくこれについて述べていると思われます
以上の関係を踏まえて考えると、日本は「ある」社会から「する」社会へと移行していったと言えます
にも関わらず、未だに日本の社会は現代でもなお「仕事以外の娯楽や家庭の交際にまで会社の「間柄」が付きまとう」社会であり、「ある」社会から脱却していません
この点をして、筆者は赤線部分のような結論を出していると考えられます
「もし日本で必ずしもこういう関係が成立していないとするならば」は、今日本で成立している、とはなりません。どちらかと言えば「成立していないこともある」という含意です。
「もし日本で未だに人間関係が仕事の上下関係に縛られてるなら〜」といった調子であり、「日本は未だにそういう部分があるのではないか」という指摘、疑問提起(場合によっては皮肉)に近いと言えます。
本文に関しては後続の理論と合わせて考えると、「もし日本で〜」は皮肉めいた論理(日本で成立していない)と捉えざるを得ないというのが実際です。
筆者がこの部分を皮肉調子で書いている根拠としては、たとえば「彼の下役との関係はまるごとの人間関係ではなく、仕事という側面についての上下関係だけである『はず』です」といった物言いや、「仕事以外の娯楽や家庭の交際にまで会社の「間柄」が『付きまとう』」といった表現から捉えられます。
実際、日本は全国的に仕事の上下関係が人間関係になっている訳ではありません。しかし、そういった価値観が残っている部分もあります。
元来、日本の人間関係や上下関係は「年齢的な年上、年下の考え」「会社的な上司、部下の考え」「能力的な上下優劣の考え」の区別がはっきりしていません。
仮に「年上の部下」に対した時、アメリカではあれば本文通り仕事上は部下として、プライベートでは年上としてといった使い分けが簡単ですが、日本ではそうはならないことが多いです。他にも芸能界でたとえると「売れてないけど先輩の芸人」に対して、「売れてるけど後輩の芸人」は奢って貰うべきか否か、など。
これらは全て「ある」社会の価値観の名残りのようなもので、「人間関係を仕事の上下関係に基いて形作ろうとする」発想によるものです。
なるほど、「彼の下役との関係はまるごとの人間関係ではなく、仕事という側面についての上下関係だけである『はず』です」の『はず』がそれを表してるんですね。
「もし日本でこういう関係が成立してないとするならば」ということは、今日本で成立しているということですよね?