直接の原因は、皇太子を銃撃した青年プリンチップがセルビア人だったからです。ただ、その背後には、大セルビア主義がありました。
オーストリア=ハンガリー二重帝国は青年トルコ革命に乗じてボスニア=ヘルツェゴヴィナを併合します。しかし、そこには多数のセルビア人が住んでいたため、スラヴ民族は強く反発しました。そして同時にバルカン半島内では、セルビアを中心にスラヴ人の統一国家を作る大セルビア主義が強くなっていました。これがオーストリアのパン=ゲルマン主義と対立していたため、このようなことになってしまったのです。
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