回答
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1185年以来、幕府は京都守護を置いたが1221年の承久の乱の際、後鳥羽上皇に滅ぼされた。この乱にあたり、幕府軍を率いて上洛した北条泰時・時房は、そのまま六波羅の北・南の居館に駐留し、乱後の処理にあたりました。
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