現代文
高校生
解決済み

傍線部のところの旅もまたと書いてるところについてで、回答には10行目の別の世紀の人々にしたしむのと旅が並列されていると書いてあったのですが、私は、傍線部で旅もまたと書かれていたので、傍線部より前に並列されてるものがくると思ってしまったのですが、違うのですか?教えてください!

いま学 きる! KIMERU SERIES 次の文章を読んで、後の問いに答えよ。 過去問にチャレンジ 例題2-2 デカルトが四十一歳のときに公刊した『方法序説』をよむと、ごくはじめのところで、われわれは旅 というものの効用が申し分なく簡潔に指摘されている次のような一節に出会う。ただし、その効用は、 よく文字を弁え、知識として摂愛し得るかぎりの知識を時代から申し受けたひとりの若々しい人間に とって、旅が用として働くときの効用である。しかもデカルトは、旅の効用を説きながらも、旅人とし て長く異郷に暮らすという境涯の孕んでいる危険な罠から、油断のない目を離さない。旅もまた、この 短い一節のうちで相対化されている。デカルトは、同時代のフランスで人々が呼びならわしているとこ ろをそのまま用いて、こういう醒めきった目をボン・サンス(良識)と称した。 だが、これまでにギリシア・ラテン語のためには、もう充分の時をついやしたと私は思っていた。 このことは、古き世の書物との付き合いについても、そういう書中にみえる歴史また寓話についても、 同様にいえることだった。じっさい、別の世紀の人々にしたしむのと、旅をすることとは、よく似て いる。いろんな違った国民の習俗について何かを知るのは良いことだ。そうすれば、われわれ自身の 習俗について、もっと公平な判断がくだせるようになるし、われわれの風とは相容れないもの、納得 しかねるものをすべて見境なく滑稽な、不都合なものに思ったりもしなくなる。何らの見聞もない人々 4
2 共通テスト評論〈解〉の技法 は、そういう思いこみを平気でするものだ。だが、旅にあまりに多くの時を用いすぎると、自分の国 に戻ってきても異邦人になってしまう。 そして、過ぎし世のことにあまりに打ち興じていると、今の 世のことに対してさっぱり不案内な有様になるのはよくあることだ。(『方法序説』第一部) (杉本秀太郎『散文の日本語』による) 問 傍線部A「旅もまた、この短い一節のうちで相対化されている。」とあるが、旅を相対化するとは、 どういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①~⑤のうちから一つ選べ。 旅というものを、フランス人がボン・サンス(良識)と呼びならわしている醒めきった目で見 直すことによって、旅の思い出を日常の生活と等価なものとしてとらえること。 ② ギリシア・ラテン語などの古い時代の書物やそこに記された歴史と付き合い、別の世紀の人々 にしたしむのは、日常生活を離れて異国へ旅に出るのと同じであると考えること。 (3 自分たちの風俗・習慣と相容れないもの、納得しかねるものをすべて見境なく滑稽な、不都合 なものに思ったりせず、旅先の目新しい現実をも公平に判断すること。 何らの見聞もない人々は、自分たちの日常生活から逸脱したものを平気で排除してしまう傾向 があるが、自分の国に戻っても異邦人にならないためにはそれもやむをえないと考えること。 知見を広め人間を成長させるなど、旅の有する意義を認めると同時に、旅に多くの時間をつい やして現実から遊離してしまう危険性についても自覚的であること。 15

回答

✨ ベストアンサー ✨

その直前の内容と旅が並列されている
デカルトが「旅の効用」に語っている部分を受けて
「しかし、デカルトは旅の効用を説きながらも、旅人として長く異郷に暮らすという境涯の孕んでいる危険な罠から、油断のない目を離さない」その後に、「旅もまた」と続いているわけだから 「旅の効用」と「旅の危険性」
が並列されてるよって考えるのが普通です

だからデカルトは、旅の良い面だけじゃなくて危険の面も認識していたというニュアンスを含む「旅もまた」と述べている

りんご

回答ありがとうございました!

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