現代文
高校生

至急!!

高校三年生の国語なんですけど全く分からないので解答と解説を求めます。

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よろしくお願いします!

ふじはらたつ 藤原辰史「食を聴く」「孤食」という社会問題 ★次の文章を読んで、後の設問に答えよ。 食文化とは、人間のすべての感覚に訴えてくる総合的文化である。 2 味覚と嗅覚は言うまでもない。 お椀の味噌汁から漂う大豆発酵の香りと、味噌汁を口につけたときに広がる濃厚な味わい。 鼻と舌と いう器官は食の舞台では主役級だ。それ以外に、視覚、触覚、聴覚も深く関わる文化であることも、容易に理解できるだろう。一皿に 載せられた食べものの色彩と配置は絵画にたとえられるし、歯ごたえや舌触りという名詞は世のグルメ本には欠かせない。二日酔いの朝、 口に含んだ味噌汁は、まだ眠っている鼻腔の細胞を挑発し、舌の真ん中あたりの痛覚をも刺激したあと、喉の上方から吸収されてい。 くように、体に浸みわたる。 ③ ただ、聴覚については、ほかの感覚と比べて、これまでほとんど掘り下げられてこなかったように思うので、ここでは食と音につい 考えてみた 食の「音」が意識されるのはどんなときだろう。私にとって真っ先に思い浮かぶ音は、せんべいを砕くあの音である。 私の職場は、定期的に研究会を運営したり参加したりして、その道のエキスパートの話を聴き、知見を蓄え、研究報告書やシンポジ ウムというかたちで社会に還元することを主な職務としている。研究会は平均四時間、場合によっては五時間に及ぶことが多いので、 発表者や参加者がおやつや飲みものを持ってくることがある。 これを休憩時に食べるのが楽しみでもあるのだが、研究発表が三時間以上続くこともたびたびあって、そのときには小腹が減ってく るので、聴きながら食べることもある。研究会中にせんべいを食べる音は、部屋全体に響きわたる(と私は恐れる)。ので、できるだけ そのゆっくりと砕かれるせんべいの音が悪目立ちしてしまう(と私は恐れる)。しまったと口 B 音を立てないように砕くのだが、 それは私の食道と胃袋を傷つけて に含んだせんべいの行き場に自信を失った私は、悩む。このまま飲み込んでしまいたい。 やまないだろう。いっそのこと高速で噛み砕いてしまおうか。噛むべきか、噛まぬべきか悩む私がふと目をあげると、目の前の参加 者が、勇猛にもせんべいを噛み砕いていることに気づく。しかも破砕音があの独特のリズムを刻んで部屋に響いている。なんと勇敢な せんべいの戦士だろう。 D 生来気の弱い私は、勇敢な戦士の放つ音に紛れるように自分の口のせんべいを食べ切ることに成功するのである。私がこの間一言も 20 漏らさぬように真剣に報告を聴いていることは、名誉のために付け加えておきたい。 総じて静かな空間は、食べる行為が音を発する行為であることを思い起こさせてくれる。 箸が茶碗に当たる音。ナイフとフォークが 皿に当たる音。蕎麦をすする音。スープをすする音。キュウリの漬物を噛む音。 レンコンを噛む音。 肉を切り分ける音、骨についた肉 をしゃぶる音。ビールが食道を通る音。 バリボリ、カツカツ、コツコツ、ズズズズズ、 ギコギコ、シャキシャキ、ゴクリ。食卓は本来 さまざまな音に囲まれている。 胎児は、あるときから子宮のなかで音が聴こえるようになるという。産婦人科医の増﨑英明はこう述べている。 「子宮の中ってめちゃ めちゃやかましいんですよ。お母さんの心臓は子宮に接してますから、おそらく、ドッコンドッコンドッコンドッコンってずーっと聞 いてたら、たまらんですよ。 ノイローゼになる」(増崎英明・最相葉月 「胎児のはなし」)。ならば、母親が食べたものが、食道を通って、 胃や腸で揉まれる音も、心臓の鼓動の合間に、羊水の振動を通じてきっと聴いているのではないか、とこの一節を読んで考えた。他者 が食べる音は、生まれたばかりの赤ちゃんが母親の心臓の近くに置かれると泣き止むように、安らぎのようなものを与えるのではないか。 3 たとえ胃腸の音が心臓音で掻き消されているとしても、心臓の鼓動は、胎児の栄養を送る音だ。私は、ともに食べることが、単に複 数で食べること以上の何かをもたらす理由として、母親の胎内にいたときの「耳の体験」があるのだと考えている。 子宮のなかで母親 と一緒に食べていること。つまり、縁食の原型である。心臓の音を聴きながら、へその緒を通じて食べていることは、ともに食べるこ との原初的なかたちではないだろうか。 実際、食べる音は、歯にせよ、舌にせよ、喉にせよ、胃袋にせよ、腸にせよ、人間の体のなかが発する音である。食べる音は、本来、3 自分が動物として生まれてきたことをそっと私たちに再確認させる音だと言える。それはもっと多彩だったはずだ。 皮のついたリンゴを丸ごとかじる音は、切られたリンゴを食べる音よりも硬質で高い響きを持つ。氷を噛み砕く音は、かき氷を食べ 音よりも低音で岩を砕くように口腔内に轟く。一本のキュウリを噛み切る音は、刻まれたキュウリを食べる音よりも折れる感じが出 ていて爽快。焼き鳥の軟骨を噛み切るときの音は、わずかに歯が滑ったあとに、心地よい野蛮さを響かせる。 喉から胃袋にかけてその 通過の感覚が残り続けるのも軟骨のうまさである。トウモロコシをかじるとき、芯から実が外れる音はユニゾンを楽しめるし、とろろ ご飯を食べる音は蕎麦やうどんをすする音と似ていて、スピード感にあふれている。 39話を料理技術にまで広げてみると、食の音はさらにヴァラエティを増す。 心地よい音に思われる度合いが高いのは、まな板の上で野 菜を刻む音だろう。野菜そのものの音に刃が板に当たる音がダブって響いてくる。ダイコンやショウガをおろす音は大地を鳴らす重低 25
音に痛みの感覚をも伴う。 鍋のなかで煮える煮物の音は冷えた心を温めてくれるし、かき氷を削る音は体と心に涼をもたらす。 ハンバー グを捏ねる音、ポテトコロッケの具を整える音は、皮膚と湿り気とねっとりした具材との競演となる。多彩なパーカッションこそが、 料理の音文化を豊かにしてくれるのだ。 食べる音は、食べものの「もの」の性質を伝えてくれる。もののテクスチュアと言ってもよいだろう。「歯ごたえ」という言葉に見ら れるように、食べもののテクスチュアとは、身体に対する抵抗を示すものとも言える。繰り返すがレンコンやニンジンなどの根菜にあ るたくさんの繊維は、独特の歯ごたえとともに、断末魔の叫びではなく、あの爽快な音を引きおこす。しかもその「抵抗」は体内で続 いていく。強烈な消化液のシャワーにも耐え、大腸まで運ばれて、微生物たちのごちそうとなる。食べ終えた微生物は気体を放出し、3 大腸を膨らませるのである。ガスが体外に出されるときの金管楽器に似たあの音も、食の交響楽団の構成員として認めるべきだろう。 鷲田清一は、「歯ごたえ、舌ざわり、喉ごしといったテクスチュアの表現はまた、そのまま肌ざわりや着ごこちの表現としても用いら れるものが多い」と述べたうえで、人間は口から肛門までのチューブにたとえられるが、「チューブの外壁で起こる皮膚感覚が肌ざわり だとすれば、内壁で起こる皮膚感覚が口あたり」になる、と表現している(「ひとはなぜ服を着るのか」)。 着道楽と食道楽という言葉がともに存在するように、着心地という言葉があるのならば、食べ心地という言葉があってもよい。食べ 3 心地は、ちょうど、朝起きてシャツの袖に腕を通すときの清々しい気持ちとどこかで通底している。死せる生命体の塊が、生きている にちがいない私の内なる肌を通っていき、生きていることを確認させる音。生きる生命体と死せる生命体がこすり合う音に耳をすませる、 ということが、食を聴くということであり、ひいては、生を聴くということなのである。 こすり合うこととは、摩擦することである。 摩擦は熱を生み出す。 生命体は外界と摩擦するがゆえに熱を発する。 熱は生命の兆しで あり、生命の証である。 摩擦のない世界は、アイスホッケーのバックのように、最初の一撃によって与えられた力のベクトルにしたがっ て、ひたすら滑り続ける。生命とは逆に、氷を削って氷山を登る人間のようだ。砕き、抗う。食べることの意味もまた、こうした抗い にあるはずである。 しかし、生きる生命体とこすり合わない食がとても増えているいまという時代は、どういう時代なのだろう。 胃腸をいたわってあら かじめドロドロにしてある食事は、胃腸を病む患者には不可欠の食事であるが、しかし、そうではない人にとっても欠かせなくなって きている。徐々に、食べる主体を剥奪され、「病院食」を食べる時代になりつつある。 子ども食堂で実践されているように、孤食ほど寂しくなく、共食ほど規制が強くない食のあり方を「縁食」と名付け、ちょうど建ても のの縁側のようなその食のあり方を考えてきた本書で、では、音とはどのような位置にあるのだろうか。 それはやはり、へその緒がつながっていたときに耳にした音のように、食の原初的な琴線に触れることではないだろうか。 子どもが好むお菓子には、内なる肌を刺激するものが少なくない。 口のなかに入れて弾けるものもあるし、 かじると派手な破裂音を 立てるものもある。それを売り文句にする商品もある。おそらく、食べやすく、消化しやすく、噛みやすく、溶けやすく、砕きやすい 食べものがレストランから食卓まで闊歩している世の中で、食べものの抵抗を感じ、胎児の頃聴いていた食べものの「もの」性を感じ なおすため、あるいは、食べるという行為の原始の音に再び触れたくなって、そういった食べものに魅力を感じているのではないか、 とさえ考えたくなる。 2 音楽学者の岡田暁生は、「音楽と出会う21世紀的つきあい方」のなかで、一九八〇年代以降、音楽が次第に環境化していくことを 指摘している。耳触りが良く、スーッと流れていくような音楽が増え、 癒やしブームがそれに乗っかり、〔 音波が垂れ流されるユーチューブの番組が大量に聴かれる時代。 引っかかりのない、それゆえ、聴くものが考えなくてもよい音楽が市 心を癒やすための 場に出回り、安易な涙やリラックスや癒やしを誘う。 2- 食べものも同様だ。引っかかりのない食べもの。スーッと胃袋を通り抜けていくような清々しい食べもの。そこからは、生と死がギ シギシと軋みながらこすれ合うあの音はしない。 料理もまた、洗わず、切らず、砕かず、すりおろさず、潰さず、茹でず、焼かずにただ電子レンジに入れるだけの食品が、家庭のみ ならず、レストランでも用いられている。食品産業にとって、家庭とレストランはもはやその工場の最終ラインとなった。 もちろん、 食材を洗い、切り、砕き、すりおろし、潰し、茹で、焼くことを特定単数の性に任せ続けることを主張しているわけではない。食の音 を聴く暇を惜しんで、労働と消費時間を増やし続ける社会こそが問われなくてはならない。 いうまでもなく、食べることは本来的には消費ではない。そう錯覚するようになったのは、食が商品として大量に売られ捨てられる ようになったこの数百年の限定された時代だけのことにすぎない。たとえば、調理員の畑から収穫されたサツマイモを食堂で用いるよ うに、あるいは、持ち込んだ食べものと食堂の食べものを一緒に食べられるような、そんな食の空間の寛容さこそが縁食の必須の条件 であるが、それは食からその商品性を引き剥がす試みでもあった。商品性の伴う、ピッというバーコードを読み取る音やカサカサと鳴 包装パックの音ではない食の音。 売り手の世間話と一緒にリヤカーでガタゴト運んできた野菜のように、商品に還元しきれない音。 農家の庭先と食べ手の玄関先を結ぶことによって、食が社会にもたらす摩擦の音を取り戻す試みだともいえよう。 最後に大急ぎで付け加えよう。 一枚のせんべいを二人で食べるときに割る場面を想像していただきたい。あの音も、食の商品化の歴 史よりもずっと昔から存在する、食の原初的な音、すなわち「分有」もしくは「共有」の音、もっといえば、ともに生存する音である。 く 69
きる。 けっして真っ二つには割れないあの音、ちょっと地面を這う生きものへのおこぼれも生じてしまうあの音、微妙な調整と会話が必要に なるあの音を消していくのではなく、増幅させることもまた、食の音楽学の必須の課題と言えるだろう。 注 子ども食堂 子供たちに食事を提供し、 安心して過ごせるように工夫された場所。 問1 a・bに入る語句として適当なものを、次のうちからそ れぞれ一つ選べ。 もし 2 だが 3 だから 4 なぜなら 5 かえって 6 けっして 2 =[ 問2 空( に入る語句として適当なものを、次のうちから一つ選べ。 3 贅沢の限りでは 1 奈落の底では 2挙げ句の果てには 一日の長には 5 若気の至りには 問3線Aについて、「食べる行為が音を発する行為である」とはど ういうことか、適当なものを、次のうちから一つ選べ。 を高める。 ( 601 ) 1 動物として生まれてきた野蛮さを持つ人間は、リンゴやキュウリを かじる多彩な音から爽快さやスピード感を楽しむことができる。 2 食卓を思いながら、さまざまな音を立てて野菜を刻んだり、ハン バーグを捏ねポテトコロッケの具を整えたりすることが、料理の技術 3 人間が他者の食べる音に安らぐのは、母親の胎内にいたときのヴァ ラエティに富んだやかましさの記憶から逃れようとするためである。 問5 傍線C「縁食」について、筆者は同じ本の別のところで次のよう に定義している。筆者の主張として適当なものを、後の1~5のうちか ら一つ選べ。 縁食とは、孤食ではない。複数の人間がその場所にいるからである。 ただし、共食でもない。食べる場所にいる複数の人間が共同体意識を 醸し出す効能が、それほど期待されていないからである。 縁とは、人間と人間の深くて重いつながり、という意味ではなく、 単に、めぐりあわせ、という意味である。じつはとてもあっさりした 言葉だ。めぐりあわせであるから、明日はもう会えないかもしれない。 場合によっては、縁食が縁となって恋人になったり、家族になったり するかもしれないが、いずれにしても、人間の「へり」であり「ふち」 であるものがある場所の同じ時間に停泊しているにすぎない。これ は「共存」と表現すると仰々しい。むしろ「並存」のほうがよい。 そ んなゆるやかな並存の場こそ、出会いも議論も、ますますSNSに回 収される現代社会のなかで、今後あると助かる人が多いのではないか。 子ども食堂のユニークさも、この縁にあるのではないか。ちょっと 立ち寄れる。誰かがいる。 しかし、無理に話さなくてもいい。作り笑 顔も無用。停泊しているだけなので、孤食を存分に楽しんで、ちょっ 掲示板を眺めて、月でも眺めながら帰ってもいい。 孤食を存分に楽しめる人間が、 ちょっと掲示板を眺めたり月を眺め たりする共存の場において、SNSでは得られない笑顔での会話がで 2ある場所の同じ時間における人間と人間のめぐりあわせという並存 の場があることで、現代社会のなかで助かる人が多くなる。 3 ちょっと立ち寄れる誰かがいる場所で、同じものを食べて話を交わ すことで、複数の人間が共同体意識を醸し出す効能が生まれる。 ・ 4 lewe HILT 4 食べることによって、歯や舌、喉、胃袋、腸など人間の体のなかが 発する多彩な音が、本来、自分が動物として生まれてきたことを再確 させる。 母親の心臓の音を羊水の振動によって聴きながら、へその緒を通じ てものを食べてきた胎児は、動物から人間への進化を追体験している。 問4 傍線B 「食べもののテクスチュアとは、身体に対する抵抗を示す ものとも言える」の説明として適当なものを、次のうちから一つ選べ。 「もの」の性質を伝えてくれる、肌ざわりや着ごこちの表現が、歯 ごたえや舌ざわりといった表現として用いられるようになった。 2口から肛門までのチューブの外壁と内壁が食べものとこすれ合う皮 感覚が、内なる肌を通して生きていることを確認させる。 3 生きる生命体と食べものが摩擦することで発した熱が、 生命の兆し となり、生命の証となるところに、食べることの意味がある。 4 根菜にある繊維は独特の歯ごたえを引きおこすが、体内で生命体の 強烈な消化液を浴びて気体となり、 微生物にごちそうを与える。 5 食べる主体を剥奪され、胃腸をいたわることが不可欠となり、生き 生命体とこすり合わない食が欠かせなくなってきている。 4 恋人や家族など人間と人間の深くて重いつながりを生むためには、 あっさりした「へり」や「ふち」に停泊する縁が必要である。 5 複数の人間がある場所の同じ時間に共食する公の場が新しい出会い を生み、SNSに回収されない現代社会の議論を活発にする。 問6 本文の内容に合致するものを、次のうちから二つ選べ。 1食は、味覚や嗅覚はもとより、視覚、触覚、聴覚も深く関わる文化 である。 2 食べものの色彩と配置は絵画にたとえられるので、世のグルメ本に は写真が欠かせない。 onne no 3 長時間に及ぶシンポジウムでも、筆者の職場では休憩時を除いて飲 食は禁じられている。 は、名誉ある行為である。 4 勇敢な戦士が放つ音に紛れるように研究会でせんべいを食べ切るの 5 産婦人科医は、騒音で病になった胎児の治療に当たっている。 6 一九八〇年代以降、音楽が次第に環境化し、安易な涙や癒やしを誘 うようになった。 問7 傍線について、現代社会において「食と音」の関係はどうあるべ きか、筆者の考えを説明せよ(句読点とも四十字以内)。 sen
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